【外伝・書き下ろし】こちら、終末停滞委員会。です!シーズン2 ――例えばこんな、普通の日々の物語。

第4話『プレジャー・ソング』



 カウス・インスティトゥートの陥落は、既に時間の問題だった。


「レア。本当に、いいの」


 私――神流奈々は、眠っている赤ちゃんを抱きかかえる、レア・クール・ドゥ・リュミエールに尋ねた。彼女は意思の籠もった瞳で、私を見つめる。


「うん。だってあの人がこうなっちゃったら、私の話なんて聞かないもの」

「……でも。心葉には、あなたとクゥちゃんが」

「仕方がないわ。だって、それが私の誇り高き夫なの」


 レアの表情に、恐怖はなかった。……強いな、と思う。極限状況になってみて初めて、その人の根本的な強さって奴が分かるのかもしれない。


「わかった」


 私は頷く。穴開け銃ホール・ガンを握りしめながら。


「――心葉の事、任せて。あたしが必ず、生きて帰すから」


 レアは笑った。


「だめよ。あなたも、帰ってこないと」

「……うん。……ありがと」


 この誇り高き少女と友人になれたこと、それって私の自慢だな、と思う。


   ■


 蒼の学園が人類を駆逐し初めて、たった数ヶ月の出来事だった。既にCorporationsは壊滅。弱小の学園達も全滅。地上はアメリカ・中国・日本・英国の、特に対反現実組織に力を入れていた4つの国家以外は焼き尽くされている。


(イシスのニュースを見たけど、酷かった)


 日本では極限まで下がった現実性のせいで様々な共同幻想達が復活し、狂気に支配された『真の英雄』とかつて呼ばれた少女と共に、百鬼夜行が人間を食い殺して回っている。

 アメリカは『コールド・ジャケット』と呼ばれる時間凍結兵器が、カリフォルニアにある小さな街だけを護り続けているのだと聞く。しかし、潰されるのは時間の問題だろう。

 中国も、殆ど全ての主要都市が幻想によって占拠された。数百発もの核爆弾を蒼の学園に向けて打ち込んだが、それらは『反射する銃痕』によって全て地上に落とされた。

 様々な異界と良好な関係を結んでいた英国は国民を異界へと退避させようとしたが、蒼の学園が逃がすわけがない。多くの異界ごと、滅ぼされてしまった。


「蒼の学園がこれほど大きな力を持っている事。それは間違いなく異常であり――原因だ」


 エメ先輩が、会議室の議長席で呟いた。既にカウスの現役議長も現役生徒会長も戦死している。生き残っているのは斬撃を失ったロートルばかりだ。


「カウスの生徒会執行部――カタリナ・リバス・エスクデロを中心にした決死の作戦により、蒼の学園の近郊にポータルを設置した。心葉。君の任務は蒼の学園で何が起きたのかを調査し、そして可能であれば、銃痕の天使を奪取することだ」


 エメ先輩が、心葉に告げる。心葉は昏い瞳で頷いた。彼は……共感の人だから。沢山の仲間や子どもたちが死んでいくのを見て、きっと誰より苦しんでいるのだ。


「奈々」


 エメ先輩が、私を呼ぶ。


「君の任務は心葉の護衛だ。……ポータルを使えるのは、たった2回。一度に運ぶ事の出来る重量は140kg程度まで。君たちに全ての運命を背負わせること、どうか許して欲しい」


 最早壊滅寸前のカウスにおいて、心葉の存在は切り札だ。何故なら彼は『他者の心を覗き見る』という終末だから。殆どの生徒が斬撃を失った今、彼以上にこの無謀な作戦で活路を見いだせる存在は居ない。


「任せて下さいよ、エメ先輩。……きっと、何かの希望、持ち帰りますから!」


 私は空元気で笑った。だってそうしないとダメだ。これが決死の作戦なのは明らかだ。皆、私と心葉を犬死にさせてしまうこと、罪悪感でいっぱいのはずだ。この作戦は、奇跡を前提にしている類のものなんだから。――でもだからこそ、私は笑わなきゃって思う。


「あたし達、カウスで任務遂行率が1番高い最強コンビだったんだから。あの記録、まだ破られてないんだから。ね、心葉!」


 私が彼の背中を叩くと、彼は笑った。


「ああ、もちろん」


 そうだ。あんたはそうでなきゃ。昏い瞳なんてしちゃダメだ。だって似合いすぎるんだから。彼は私の意図を汲み取って笑みを浮かべると、自分の頬を二度叩いた。


「いってきます。エメ義姉さん。だから後の事。家族の事。任せます」


 エメ先輩は泣きそうな顔で、深く、深く、頷いた。


   ■


 作戦開始まで、あと5分。俺と奈々は『時計の間』で息を整えていた。奈々は何度行ったかわからない装備の点検を続けている。カチカチと、時計の音ばかりが狭い室内に響く。


「蒼の学園に行くのは……久しぶりだな」

「そっか。そういや心葉って、最初は蒼の学園に拾われたんだっけ」

「ああ……懐かしいな」

「じゃあ土地勘とかあるんだ?」

「いやあ。俺が蒼の学園に居たの、数日だけだしな。その辺は期待しないでくれ」


 なんて言いつつも、俺の終末『囁き屋』がここ数日で、遥かに強度を増しているのに気がついていた。今の俺だったら、虫や微生物の感じる風の動きから、大体の周囲の様子は伺えるだろう。


「奈々」

「なに」

「ありがとう。着いてきてくれて」


 彼女は、じっと俺のことを見てから。


「良かった。お前はやっぱ残れ。なんて言われたら、殺してた」

「……ああ、分かってるよ。だって長い付き合いだ」

「あはは。だよねえ」


 奈々と俺は、共に何度も死線を潜り抜けてきた。死にかけのお互いの体を運んだ回数だって、数度じゃ効かない。この無謀な作戦には、彼女が必要だった。エメ先輩に護衛の人選を尋ねられる前に、奈々が立候補してくれて、本当に良かった。


「いつも通りだよ、心葉。負けたら全部終わりなんてのは、いつも通り。だから、いつも通りにやろう。ほどほどに必死に、ほどほどに適当に。それで終わったら、久しぶりに飲みに行こう。あんたんちに赤ちゃん産まれてから、一度も行けてないんだから」

「はは。そうだな。……今回ぐらいは、別にそうしても、良いだろうな」


 きっとこのまま人類は滅んでしまうんだろう。俺達が必死に停滞させてきた終末って奴が、とうとう訪れてしまったんだ。けれどそれは、諦める理由には決してならないんだよ。最後まで足掻き続けるやつがいるんだ。ここには確かに、俺達がいるんだ。


『ポータル開通まで60秒前。逆探知を避けるため、ポータルの持続時間は10秒に絞られます。開通次第、速やかにポータルに入って下さい』


 『時計の間』にそんなアナウンスが響く。俺と奈々は目配せすると、ポータル開通地点の前に立った。きっとこれが、俺の最後の戦いになるのだろう、と思った。そんな事他の誰にも言えなかったけど、心の底から、終幕を感じた。


「行くぜ、奈々。俺達で勝つんだ」

「おう!」


 そして時間が訪れた。俺達の前に、藍色と橙色の混じったポータルが現れた。それはいつものカウスらしい瀟洒さの無い、むき出しの次元の穴だった。


 俺と奈々は、並んで、穴の中に飛び込んだ。


   ■


 第12地区の市場は一切の人の気配が無く、まるで墓場のような静けさに満ちていた。


(まあ、当たり前か)


 蒼の学園は、全ての人類の根絶を目標に掲げていた。であれば当然、その支配下にある第12地区の人々が1番初めに狙われた筈なのだから。この街こそが、きっと人のざわめきを失って、最も長く時を過ごした場所なのだから。


「……人は。そして、非人間も、周囲数500mには居ない」


 心葉が小さく呟いた。それと同時に、背後のポータルが閉じる。次にそのポータルが開く時は、こちらが通信で合図を送った時だけだ。蒼の学園は汎ゆる電波を感知する技術を持つらしく、通信は不可。ここから先は私達は完全に2人で考えて行動するしかない。


「ここ、バザールか」

「来たことあるの?」

「ああ……歓迎会を開いて貰ったんだ。食材の買い出し、ここでした。……なんだっけ……あの子の名前……子犬みたいな……人懐っこい女の子……」


 心葉は少しだけ辺りを見渡してから、遠くを見上げた。


「あれだ。あれが……蒼の学園」


 小高い丘の上にある、白と蒼の建造物。心葉は険しい顔でそれを見つめた。


「何か……酷く、禍々しい願いで、覆われているみたいだ……」

「こんな距離から分かるの?」


 心葉の終末、きっと強くなっている。レアと結婚してから、その速度は緩やかになっていたのに。いろんな喪失や恐れを経て、強化されてしまったのだろう。


「今まで蒼の学園に入った生徒の全員が、帰還できず、更に情報の記録さえ失敗した。きっと何か原因があるんだ。心葉、分かる?」

「……もっと近づかなきゃ無理だな」

「おっけ」


 私達は、周囲を最大限警戒しつつ、歩き始める。


「ここ、現実性が全く安定していない。……ちょっとした異界のレベルだよ」

「とんでもない儀式の後なんだろうな。次、曲がるぞ。監視がいる」

「監視?」


 心葉が目線だけで、上を指した。遥か彼方に、僅かな点が見える。私は目を凝らす。


「なに。あの。溶けた人」

「わからん。ただ、侵入者を探してる。目的は飢餓を満たす為だ。蒼の学園の終末を用いた監視システムって所だろう。上空に……15体……いる」

「どうやって進む?」


 心葉が曲がった先に、マンホールがあった。心葉は穴開け銃ホール・ガンでそれを破壊すると、するすると下っていく。


「良かった。下水道にはネズミが沢山生息してる」

「それのどこが、良かったわけ?」

「連中の心を覗けば、地図が描けるだろ」


 どんな神経の処理速度をしているんだ、こいつは。かつてアメリア・マクビールと呼ばれる怪物がほぼ無限人数の自分の思考を無限人数の神経を使って処理していたが、彼がやっている事はそれに近いのかもしれない。


「地下に警備はナシ、か。結構ザルだね」


 私が呟くと、心葉は微かに頷いてから。


「第12地区の周囲を、200万の人工獣が包囲してる。大規模なポータルを開けば探知できる。そして、蒼の学園の中には――また別のセキュリティがあるんだろう」

「はは。笑っちゃうね」


 笑ってしまうほど――勝ち目が無い。それでも私達は、奇跡を求めてこの場所に来たんだ。


「俺は」


 心葉が呟く。


「未来に繋がる、芽のような物があればいいと思う」

「……芽?」

「黒の魔王という少女が言ってたんだ。どうせ終わるなら、ハッピーエンドを目指そうと」


 黒の魔王。有名な終末だ。彼女がどうなったのかは誰も知らない。案外、Corporationsが滅んでしまった時に誰よりも先に考え無しに戦場に飛び込んで、何も変えられずに死んだのかもしれない。


「終わりの先の、希望か」


 心葉、死ぬつもりなんだな。……いや、違うか。この場所に来た時点で、彼も、私も、殆ど死は確定したようなものなんだ。


「うん。賛成」


 私は素直に呟いた。私達のこの最後の作戦の目標。それは『希望』だ。私と彼が死んだ後に、何か、芽が残せると良い。それが人類の希望になると良い。


「止まって」


 数十分ほど歩いた所で、心葉が呟いた。その意図が私にもなんとなく伝わる。だって眼の前の何も無い下水道に、足が震える程の恐怖を覚えているんだもの。


「これは何? 何かの、儀礼災害?」

「違う。たぶん、天使の律だ」

「え。つまり……銃痕……?」


 心葉が目を閉じて、僅かに手を伸ばした。その恐ろしい空間を、爪の先で触れる。


「……この銃痕の持ち主はウー・シーハン。銃痕の名は『四つの凶メガロマニア』。その4つの能力の1つ――窮奇アブラカタブラ。この空間内の全てをあべこべにする。人間なんかの生物が入ると、高確率で理性のない化物になる」

「ウー・シーハン? 聞いたことがあるような……。あ、そうだよ! あたし達の代の天空競技祭で、1回戦ってるのを見たことがあるよ。確かかなり年上だったような」


 銃痕や斬撃とは、20代の前半から失っていくものだ。私や心葉が斬撃を失ったのはつい最近のことだが、それにしたってカウスの中では最も遅い部類だった。


「年齢的に、ウー・シーハンが銃痕を保持していた確率はとても低い気がする」

「……確かに……な」

「どうかした?」

「この戦争は蒼の学園が仕掛けた物だ。だけど誰も、『蒼の学園の生徒』を見ていない」

「……うん」


 戦場に出てくるのは終末か、或いは兵器、合成獣ぐらいな物だ。蒼の学園の最高戦力である、その生徒たちの姿を誰も見ていない。


「そこに、何かの秘密があるんじゃないか……。この戦いの動機が……」


 心葉は深く考える。今考えても答えは出ないだろうが、想定しておくことには大きな意味があるのだ。私は考え込む心葉の肩を、軽く叩いた。


「心葉。あたしが見るに、今のあんたの終末は、今までで1番絶好調……でしょ?」

「…………ああ」


 だって昔なら、触れただけで銃痕の効果を把握なんて出来なかった。それは彼にとっては喜ぶべきではない事だ。しかしこの限定的な場所においては、価値がある。


「あんたがここに来たことは、きっと意味があるはずだよ」

「……」

「大丈夫。最後まであたし、一緒だからさ」

「……ああ」


 心葉は笑った。


「500m先。ドーナツの穴みたいに、銃痕の効果が適用されていない範囲がある」

「蒼の学園にとって、あべこべにするわけにはいかない、重要な物があるって事だ」

「ああ。おそらくは――銃痕の天使だ」


 だけど問題が1つ。そこまで、どうやって行けばいいの? って話。心葉はバッグの中からロープを取り出すと、私と彼の腕を強く強く結んだ。


「奈々。ここから一步でも先に進めば、俺達は理性の無い怪物に変化するだろう」

「うん」

「だがこいつは……いや、こいつに限らず全ての物が、人間の根源的な渇望には敵わない。何故なら渇望――指向性は、宇宙の原初から存在する、最も強い力だからだ。どれだけ理性を失ったとしても、その強い願いが変わる事は無い」


 心葉が真っ直ぐに、私を見つめた。


「奈々。今のお前の、願いは何だ」

「そりゃあ――君を家まで送り届ける事だよ」


 その答えに、何も悩むことはなかった。死を前にして、終わりを前にして、私、友達のことだけを考えてたんだ。きっと、それが私の心の形だから。


「よかった。俺達やっぱ似てて、……でも少しだけ違うな」

「え?」


 心葉は、寂しげに笑った。


「俺は……お前が死んでしまうのが嫌で。それを避けるために、必死だ」

「…………」


 お互いを守ろうとしている。けれど、ニュアンスが違うのは確かだった。


「奈々。俺達は怪物になって、怪物の群れに飛び込むんだ。きっと凄まじい数の怪物が、俺達を殺そうとするだろう。だけど、お互いに護り続ける。そう願う。俺達なら出来る。いや……これは、俺達2人じゃないと、きっと出来ない事なんだ」


 昔、レアに言われたことがある。私も心葉も『いつだって友達のために必死』だって。私達は似ているからこそ、きっと1番の相棒になれたんだ。


(あたし、きっと怪物になっても、こいつのこと、護り続けるだろうな)


 心の底から、分かってた。


「おっけ。やることは分かった。心の準備はいい? 心葉」

「ああ、いけるさ。やろうぜ、奈々!」


 私達は眼の前の空洞を睨むと、全く同時に足を踏み出す。


 ――さあ、最後の戦いの、はじまりだ。


   ■


 あれから、一体どれだけの時間が経ったのかは、分からなかった。


「ごぼっ……ごぼっ……げぼっ……」


 私は、真っ暗な視界で、ただ、苦しさだけ覚えて、咳き込む。喉の奥に溜まっていた血を吐き出して、なんとか酸素を捕まえた。


「がひゅー……がひゅー……」


 必死に呼吸しながらも、ぐじゃぐじゃになった頭の中を整える。一体何が起きたんだっけ。どうしてここに居るんだっけ。私の目的は何だっけ。


「……心……葉……?」


 そうだ。大切なお友達を護るために、私、ここに来たんだ。


「心葉!」

「ごっ……ごぼっ……」


 私の隣で、心葉が痙攣していた。その体はボロボロで、傷だらけだった。私はバッグからメディキットを取り出すと、ナノボットの注射器を打つ。それらは心葉の体内で連絡を取り合いながら、彼の状況を診断する。


(心臓が急速に再構築された時に、電気信号が乱れて不整脈を起こしているんだ)


 私は胸骨圧迫で血流を確保すると、エピネフリンを投与する。その後、小型AEDの指示に従って、何度か心葉の心臓に電気ショックを浴びせた。


「ぐあっ」

「心葉!」

「はあ……はあ……奈々……大丈夫、か」

「あたしは大丈夫。でも、心葉が……」


 彼は極度の貧血状態にあるようだった。恐らく『窮奇』の能力で化物になった時、ダメージを喰らいすぎてしまったんだ。


「ごめん……ごめんね……」

「何で、謝るんだよ……」


 だって、本当に僅かに、覚えているんだもの。化物になった彼が、形振り構わずに、私を守ろうとし続けた事。彼はその『心が見える』終末を十全に使って、殆ど全ての脅威から、私を守り抜いた。私もそれをしようとしたけれど、彼には及ばなかった。


「それより……奈々……調査、を……」

「……うん。今は、あんたは、休んでて」


 心葉は、こくりと頷くと、そのまま、気を失った。ナノボットが彼の体内で造血を始めた。彼が目覚めるまで時間はかかるだろうが、命に大事は無いだろう。


「……ここは」


 私は――初めて、冷静に辺りを見渡した。


「蒼の学園の。中心部?」

 そこは、美しい中庭だった。崩れかけた吹き抜けが、陽の輝きが取り込んでいる。沢山の花々が咲き誇る広場の中央に、ボロボロの天使像が立っていた。


「――毀れ……てる……?」


 それは『銃痕の天使』だ。きっと間違い無いはずだ。けれどその殆どが既に崩れ落ちており、残っているのは腰から下ぐらいな物で、瓦礫が辺りに散乱していた。


(どういう事? 何故、銃痕の天使が破壊されているの? 全ての天使像は物理耐性LV9以上を持つ。つまり人類の汎ゆる技術で破壊できないと言うこと。誰かが、天使像を壊したのだとしても――一体誰が、どうやって?)


 そもそも『銃痕の天使』は毀れているというのに、何故銃痕が使われているのだろう?


「そう……か……。そういうこと……か」


 私の足元で、心葉が呟いた。


「――全ての原因が『銃痕の天使』だったんだ……」

「え?」

「クソ。天使の声が。俺の頭の中で。止まらない。この、後悔の声が。謝罪の声が。クソ。クソ……。なんだよ『線の人』って……? 誰なんだよ……ッ!」

「心葉。しっかりして。心葉!」


 心葉は虚ろな視線をしながらも、必死に頭を抑えていた。『銃痕の天使』が心葉に交信しているのでしょうか? 心葉は苦しげなまま、叫ぶ。


「ふざけんなよ……ッ! 都合の良いことばっか言いやがって……ッ! せめて……せめて俺達に……力を……よこせよ……ッ!」


 心葉は、必死に腕を伸ばした。その時だった。その掌の中央に、真っ白な光が輝いた。


「――え?」


 その真っ白な光は、やがて形を手に入れた。それはどこまでも無骨な、まるでギロチンのような、恐ろしい形の拳銃になっていた。心葉はそれを握ると、ぱたりと腕を下ろす。


「心葉……! 心葉!! 大丈夫!?」

「だい……じょうぶ……だ…………。奈々……」


 彼は、呟くと、目を閉じる。どうやら、体力が切れただけらしい。


「これは……一体……?」


 彼の手の中の、無骨な拳銃に、触れる。


『それは心葉の銃痕――鳥と詩バン・バード……だよ』


 聞き慣れた声が吹き抜けの中庭に響いた。

 私は心臓が止まりそうになりながら、振り向く。


「……ダナエ……先輩……?」

『……久しぶりだね。……奈々』


 私の背後に、ダナエ先輩が立っていた。だけどそんなわけない。だって彼女は、3日前のカウスの防衛戦で命を落としたはずだ。もう斬撃も無いくせに、無理したせいで。


「何で……あなたは……幻覚……?」

『違う。私は、ただの亡霊』

「え……」

『心葉の銃痕。それは、大好きな人達を生き返らせる事。ただし、亡霊という形で。厳密には、ユニバーサルソースコードから再現しているだけなんだけどね』


 なんて心葉らしい渇望だろうか、と思った。彼はきっと友達が死ぬ度に、その記憶を、必死に心臓に刻みつけていたんだ。彼らともう一度出会うためなら、きっとどんな事でもしただろう。だから、銃痕の天使が、その願いを叶えたんだ。


「ダナエ……せん……ぱい……」

『……知らなかった。奈々ってそんな顔で泣くんだね』

「だっ……って……あなた……と。あなた……がぁ……」

『ふふ、よしよし』


 彼女は私を抱きしめると、頭を撫でてくれる。生きている時は一度だって上級生らしいことしたことないくせに、こんな時だけ優しくするなんて、ずるだと思った。


『頑張ったね。奈々。すごく頑張った。君は、凄いことをやったんだよ……。先輩として……こんなに誇らしい事……ないよ……』

「う、うっさいぃ……似合わないこと、言うな……ばかあ……」


 ダナエ先輩は、穏やかに笑った。彼女のそんな笑みを、私は知らなかった。私は顔をぐじゃぐじゃにしながらも、涙を必死に拭った。


『……奈々。でもゆっくりしてる時間、ないんだ。天使の尖兵達が、この場所の異常に気がついた。ウー・シーハンの銃痕を解除して、すぐにここまでやってくるはず』

「……そう。そうだよね」

『だから、早く、逃げよう』


 ダナエ先輩が、私の頭を強く、強く、抱きしめた。だから私、彼女の体、押し返さないといけなかった。彼女の腕の中から、抜け出さなければいけなかった。


「ばかじゃないの? あたしが時間稼ぐに決まってんじゃん」


 呟くと、彼女は、泣きそうに顔を歪めた。あなただって分かってたんでしょ? だって実は馬鹿じゃないもんね。天使の尖兵とやらがここに攻め込んでくると言うのなら、この防衛戦に向いている場所で、誰かが大騒ぎしなければならないということ。


『奈々……ダメだよ……きっと、なんとかなるよ……だから、一緒に行こう』

「ダメ。心葉は重要な情報を掴んだ。そして彼の銃痕こそが、あたし達の希望だ」


 どこにつながっているかはわからないけど、その死者を生き返らせる力は、きっと何かの盤面をひっくり返す程の力を持っているはずだ。だとしたら、私は、命に変えても彼を護らなければいけなかった。


「ダナエ先輩。心葉の事、お願いします」

『奈々……』


 遠くから、まるで獣のような叫び声が響いて、こちらに近づいていた。数は恐らく、10や20では効かないだろう。その不気味な声を持つ連中は、すぐにもここに辿り着くだろう。


「……心葉。……心葉、ごめんね。こんな事されるのが、君にとって、1番辛いこと、あたしが誰よりも知っているのに。……お願い……お願いだから……きっと、希望を持ち帰ってね。その種を植えて……いつか……花を育ててね……」

「な……な……」


 私は倒れた彼を抱きしめて、僅かに首を持ち上げると、額と額をくっつけた。


「愛してたよ、心葉。あたしの大親友。またいつか、盛大な馬鹿をやろうね」


 目が覚めたら、心葉はきっと私を恨むだろう。そして、私は彼の二度と忘れられない傷の1つになるのだ。その傷を糧にして、この可愛そうな男の子は、どこまでもどこまでも行くのだろう。私達皆に託された希望を、必死に胸に抱きしめながら。


「行って、ダナエ先輩。……行って!」

『……』


 彼女は頷くと、心葉を肩に担いで、歩き出す。けれど最後に、振り向いた。


『奈々。私、必ずこの子を守り抜くから! だから……あなたも……!』

「ん?」

『最後まで……どうか……どうか……諦めないで……』


 彼女らしくない泣き事に、私は思わず、笑ってしまった。


   ■


 ――ダナエは帯刀していた。つまり、斬撃を持っていた。きっと心葉の銃痕は、生き返らせた対象の生前の能力まで再現するんだろう。


(ダナエの能力『真剣SSSマジ・ソード』を使ったとして……蒼の学園から脱出するまでに、恐らく10分)


 10分の時間を、私が稼がなければならない。しかも、大暴れして。


(……来る)


 まるで百足の大群のような足音が、すぐそこまで迫っていた。ああ、怖いな。心臓が凍りつきそうな程に怖い。足はガクガクと震えていた。だって私ってあんまり1人で戦ったことがない。大抵、ダナエ先輩か、心葉が近くに居てくれた。


(たった1人で戦うのって、こんなに、怖いんだ)


 息を吐く。真っ白な息。私は自分が生きている事を、嫌になるぐらいリアルに感じた。


「来いよ、クソッタレの化物共。ここから先は――誰一人として通さない」


 私の手の中に、2丁のアサルトライフルが現れていた。その真っ黒で飾り気のない長銃は、お世辞にも私に似合っているとは言えなかった。けれど今は、それで良かった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【プレジャー・ソング】[銃痕]

 『敵を殺す』銃痕。10分間だけ発現するアサルトライフル。その銃弾に触れた存在を停止し、殺害し、バラバラに引き裂く。殆ど全ての法則・反現実性よりも、この効果は優先される。10分の時間が過ぎた時、最後の銃弾が発射され、それは神流奈々の心臓を貫く。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(そうか。これが今のあたしの、願いの形)


 笑ってしまうほど、お誂え向きじゃない? 私の合理的で……弱い心が形になったような武器。私は照準さえ合わせずに、引き金を引いた。


『<全ての人類は滅び、死ぬべきです。そしてそれらは貴方達が選択すべきです>』


 意味だけが伝わる虫のような声で叫ぶ、真っ白で顔のないカトンボを感じさせる羽を持った、人間のような化物の頭を、ライフルの弾丸が追尾して、貫いた。


「……1つッ!」


 私は地面を思いっきり蹴り上げると、吹き抜けから2階の廊下に着地した。天使の尖兵達が、音のような速度で走る槍を投げている。私は物陰から適当な角度に引き金を引くと、それらは凄まじい速度で飛び出して、やはりその不死の化物の頭を撃ち抜いて殺した。


「っぐッ……ぉおおおおおおおおおおおッッ!!」


 不意に、私の頭上から、巨大な百足のような化物が降ってくる。それは何かしらの空間異常の性質を持っているのか、何も無い場所から飛び出すように見えた。


「くっ……」


 私はとっさに地面を蹴って、それを避ける。見たことがある。こいつは、カウスの防衛戦でも沢山の仲間を殺した、恐ろしい程に硬い装甲を持つ死霊兵器! ミサイルを直撃したって壊れない、正真正銘の化物だ。


「――だけどなァ! 今のあたし! だったらぁああああああ!!」


 両手のアサルトライフルが獣の咆哮のように吠えた。秒間20発の速度で解き放たれる弾丸はダイヤモンドを凌ぐ硬度の装甲を、まるでバターのように貫いた。


『<あなたたちは滅びるべきなのに! この宇宙はおしまいなのに!>』


 不気味に叫んで、真っ黒の血を吹き出しながら、巨大な百足は地面に落ちる。


「……――」


 私はその落ちていく百足に飛び乗って、それを遮蔽にしながらも、天使の尖兵たちの群れに突っ込んでいった。集団の中に飛び込むなんて、普通なら自殺行為だ。


「プレジャぁあああああ! ソング……ッッ!!」


 秒間20人の速度で、汎ゆる者を殺し、汎ゆる装甲を貫く、自動追尾の銃弾が降り注ぐ。それらは蜘蛛の巣のような軌道で縦横無尽に、化物たちを貫いた。


「はあっ……はあっ……ふぅー……っ!」


 ――吹き抜けの廊下には、100に近い遺骸が転がっていた。私は必死に息を吸って、酸素を取り込む。だって既に道の奥には、別の尖兵達が突撃しようとしている最中だった。

 それらは全員が長い真っ白の槍を持ち、投擲する準備をしていた。


「……ッ! あぁああああああああああああああッッッ!」


 その尖兵の槍は、私の銃痕と同じで、オートで追尾する性能があるようだった。恐らく、逃げられない。私はプレジャー・ソングを構えると、飛んでくる槍に向けて放った。


「あたしの友達の……邪魔、すんなぁあああああああああッッ!」


 化物によって投擲された槍が、数十発の直線に分かれる。まるでショットガンのように際限のない槍を、アサルトライフルの銃弾が全て撃ち落とした。


「がっ……あああ……ッ!」


 ――否、全てではない。撃ち漏らした1発の槍が、私の腹を貫いていた。体に空いた小さな穴から、自分の命が溢れていくのを感じた。


「――そんな程度でッ!」


 私は二丁のアサルトライフルを、強く握りしめた。解き放たれた魔法の弾丸が、彼方から狙撃してくる全ての尖兵を貫いた。


(稼いだ時間は、きっと、まだ、2分にも満たない)


 この倍以上の時間を稼がなければいけない。それだけじゃダメだ。こんな程度の暴れ方なら、逃げるダナエと心葉に気がつく奴がいるかも知れない。もっとだ。もっと暴れろ!


「お願い、あたしの、最後の渇望」


 心臓がばくんばくんと強く躍動し始めるのを感じた。この二丁のライフルが、私の命を吸い上げているのが分かった。だけど、ブレーキを踏むつもりなんてなかった。


「お願いだから……あたしに……あたしの愛した人……護らせて……」


 引き金を引く。凄まじい振動が私の体に伝う。その銃弾は――先ほどよりも遥かに大きく、遥かに早くなっていた。それらは建物の壁に突き刺さって建材の中を回転しながら進むと、遮蔽の遥か数百mの位置に居る敵を撃ち抜いて、殺した。


「だぁあああああああああああああああああああああああああ!!」


 ――まるで、花火のようだった。私の命全部を詰めた、大輪の花火だ。それらは汎ゆる障害をぶち抜きながら、ただ、私の友達を殺そうとする敵を殺し続けた。


「ぜーぇ……はーぁ……ぜーぇ……はーぁ……」


 数千発の銃弾を遮二無二打ちまくった私は、その場に膝を付いて、血の塊を吐いた。全身が気だるくて、動かない。それはただでさえ時間制限付きになった命を、更に酷使してしまった代償だろう。


「でもさ……これでさ……こっち、追うしか、なくなったでしょ……」


 これだけの大暴れをしたんだもの。心葉を追う余裕は、ないはずだ。この3分間で、私は数千人の敵を殺したんだもの。流石に、こっちが優先でしょう?


「はあ……はあ…………来たか、おかわりが」


 ぎちぎちぎちぎち! と、彼方の廊下からこっちに近づく音があった。私はアサルトライフルを構えて、撃ち始める。そいつが何であろうと、どこに居ようと、私の銃弾は、私の敵を殺すのだから。


(だけど、なに? おかしい。音が、止まない。近づいてくる!)


 だって私に殺されているのに。秒間20人の速度で死んでいるのに。それでも、音の勢いは全く止まずに、近づいてくる。一体、何が、どうやって?


「ちく……しょう……」


 それを視界の奥に捉えた時、私は思わず、声を漏らした。そうだ。蒼の学園の恐ろしい所。それは、相手の使う能力に応じて、的確に対処出来るチームを組んで戦う所だ。


(あれは……――蟻ッ!)


 真っ黒の巨大な塊が、壁や地面を覆い尽くしながら、私に向かって近づいていた。それは極小の化物の塊だ。私の弾丸は確かにその虫達を捉えて殺すが、秒間20匹殺した所で、その何千万匹という数の塊で動く蟻にとっては、何の意味がない。


「くっ……そぉおおおおおおおおおお……ッッ!!」


 私は地面を蹴って、上階に逃げる。しかしまるで意思を持つ塊となった蟻たちは、荒波のようにうねりながら、私を追った。その間も私のプレジャー・ソングが火を吐き続けるが、それは微かなダメージさえ入れたようには思えなかった。


「ぐっ……」


 真っ黒の蟻の塊が、私の足首に噛みついた。


「がっ……やめ……ッ!」


 捉えた私の足首が、更に黒の中に飲み込まれていく。必死に抵抗しようとするものの、撃とうが殴ろうが、蟻の進みが止まるわけがない。


(まずい。まだ5分しか時間、稼いでいないのに)


 こいつらはこの恐ろしい程の速度で、心葉の事を追うんだろう。沢山の化け物たちが、彼を捕まえようとするんだろう。ダナエの能力だけでは、きっと逃げ切れない。


(そんなの、あたし、いやだ)


 だって生きてほしい、心葉に。レアといっしょに。幸せになってほしい。


(あたしの親友、護れないなんて、いやだ)


 それって何でなんだろうって、一瞬私、考えてしまった。


(あたし、心葉のこと、愛してるんだ)


 だけどエメ先輩みたいに、レアに対して嫉妬なんてしたことない。レアのように、心葉と付き合ったり、結婚したり、赤ちゃんを作りたいなんて思ったことない。


(それはきっと……レアと居る心葉の事が、好きだったから)


 あの2人を見る度に、真実の愛ってあるんだなって思った。この世界に護る価値があるんだなって思えた。私が戦う理由ってこれなんだなって思った。


(あたしがここで、終わったら)


 レアとの約束、違えてしまう。だって私、言ったもん。『心葉を必ず家に帰す』って。クゥちゃんのところに帰すって。その約束だけは、破りたくない。


(だから、ここで、終わったら、だめだ)


 大切な人を護らなきゃダメだ! 大切な世界を護らなきゃダメだ! ダナエ先輩は死んだ、皆のために。私は彼女みたいに強くないけど、でもせめて、好きな人、1人は、護らないとだめだ。


「終わって……やるもんか……」


 沢山の蟻が、私の体を包む。視界が真っ黒になる。完全な闇に囚われる。私の体を、数億匹の蟻が齧って、分解し始める。叫びたくなるぐらいの痛みに襲われる。


「終わってやるもんか!! 終わってなんか……やるもんかぁあああああ!!!!」


 私は、私の中に、探した。大切なモノ、護るための力を。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【大迷惑――Pellicule】[斬撃][到達点エンド]

『星になる』斬撃。神流奈々の肉体を、極限まで重くする。それは特殊な引力を帯び、人類に敵対する存在のみを引き付ける。銃痕『プレジャー・ソング』の終了と共に、その効果は失われる。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 それは私の体を、極小のブラックホールに変えてしまうバットだった。


(これは。あたしのバット。あたしのお気に入りのバット。――大迷惑)


 真っ黒の世界で、蟻たちに囲まれながら、その可愛くておしゃれで、私らしい、私の大好きなバットは、暖かい光を放っていた。


(そっか。君はあたしの中に、あったんだね。なくなったわけじゃなかったんだね)


 私の『重くする』能力。それは私が、大切な物を大切に思うための力だ。大切な物って、重いんだよ。どうでもいい物って、軽いんだ。これは、大好きな人に、大好きって伝えるための力なんだ。


(ありがとう。あたしの願い。最後まで、あたしに力、くれるんだね)


 まるで過去の私が、今の私の背中を押してくれるようだった。かつて10代だった私。このバットを振り回して、大好きなお友達といっしょに、戦ってたよね。


(……護ろう。例え世界が滅んでも、あたしの大好きなあの男の子が、希望の種を植えてくれる。それにどういう意味があるのかはわからないけど、いつかそれが誰かを救う)


 ああ。私の心の形って、これなんだ。こんなに優しくて暖かいものが、私の心の根源なんだ。それって、物凄く、嬉しいね。私って、すごいじゃん。


「いってらっしゃい。心葉。あたしの大好きな大親友!」


 きっと君の道は、どうしようもない程の茨の道。血だらけ傷だらけになりながら、亡霊達と共に歩むんだろう。或いはそれは彼にとって、死ぬことよりも苦しいだろう。


(あたしね。たまに、思うんだ……)


 本当に、時々ね。たまーに、ふっとね。


(……もしも、レアよりも先に……あたしが君に出会っていたら……)


 いや、そうじゃないな。レアと君が恋するより先に、私が君に恋したら。


(もしかしたらあたしが奥さんになって、レアが親友になってたかもね)


 それって、すごく、楽しいと思う。そんな未来もあったら良いなって思う。

 もしも時間が巻き戻って、彼ともう一度出会えたら、そういう風になっても、きっと良い。


「――Pellicule」


 私がバットを握った。その瞬間、私の肉体の重量が天文学的な数値に跳ね上がった。まるで星のような重さの私は引力を帯びて、周りの全ての蟻を引き付けた。小さな蟻達は重力に潰されて、死に絶える。それだけじゃない。心葉を追う連中。そしてこの蒼の学園全てが、私に引き付けられて、潰れ始める。


「ただ前に進むんだよ。いつまでも前に進むんだよ。あたし、ずっと見てるからね」


 この祈りが、きっと君に届きますように。

 あなたの旅路を、照らしますように。

 まるで星の灯りのように、あなたと共に居られますように。


 ――大親友より、愛を込めて。


   ☆


 私――神流奈々が目を覚ますと、そこは見覚えのない天井でした。木造で、古い蛍光灯がぶら下がっていて、沢山の布や絨毯が壁にかけられている部屋。


(あ、そっか。ここ蒼の学園だ。昨日は恋兎寮に泊まったんだっけ)


『焚火の国』でのごたごたが終わって、報告もかねて第12地区に来ていたのでした。隣では、レアとダナエがすやすや寝息を立てている。


「あれ、なんだろ」


 顔に違和感を覚えて、目元に触れる。指先が濡れる。私、泣いてた。大粒の涙だった。それが瞳から頬を伝って、ぽろぽろと滴り落ちていた。


「……なんだか、すっごく怖い夢を見たような」


 それが何なのかは全く覚えていないのだけれど。私はふわぁとあくびをしながら、窓の外を見る。カラっとしたいい天気だ。カウスの空と、青の色が違うなと思う。


(ちょっとお散歩にでも行こうかな?)


 今回の蒼の学園の滞在は、物凄く短い。後日、私は蒼の学園との共同の作戦を控えているので、またすぐに来るとは言え、折角の観光旅行だもの。時間を無駄にしてはいられない。

 私は結構、遊びとか旅行はスケジュールを詰め詰めにしたいタイプなのでした。


「よしっ」


 手早く着替えて、さっとお化粧をすると、レアとダナエを起こさないようにお布団を片付けた。この2人はお布団文化圏ではないので、使った後の布団を片付けるという概念もわからないかもしれない。後でちゃんと言わなきゃな。


「あ、おはよ」

「……心葉さん?」


 部屋を出て、階段を降りた。リビングに入ると、併設されたキッチンで、心葉さんがことことと何かを煮込んでいました。お鍋の中を覗き込む。これは……スープかな?


「今日の朝飯当番、俺だからさ。色々と下ごしらえしてるんだ」

「へえー……結構本格的なモン作るんですねえ」

「……うちはメフ・小柴・Lunaさんと料理上手が揃ってるからさ。俺が当番の時だけクオリティを落とすと、皆からの視線が痛い」


 言万心葉――先日、一緒に焚火の国の事件を解決した、蒼の学園の生徒。レアの親友というのは納得です。だってあの子、こういう真っ直ぐさが大好きだから。単純明快で、直情的――に振る舞っている男の子。


「ええー♡ 心葉さん、料理も上手なんだぁ~……そういう男の子、憧れちゃうなー♡」

「じょ、上手ってわけでもないけどね」


 私のぶりっこモードで、わかりやすく狼狽えている所は、扱いやすそうでいいなって思う。仮面心葉の居た並行世界では、私と心葉さんは親友だったらしい。でもそこはあんまり、想像出来ない。だって私とこの人って、結構タイプ違くない?


「で、奈々は何でこんな時間に早起きしてんの」

「あー。ちょっと目ぇ覚めちゃって。折角だからお散歩でも行こうかなって」

「なるほどね。この時間だったら、もうバザール開いてるよ」

「え、そうなんだ」


 バザールというと、第12地区でもかなり有名な市場です。その規模はフルクトゥスの中でも1番大きくて、……だけど危険な技術を売っているお店も多くて、結構治安も良くないので、あんまり近づかない方が良いと聞く。


「うーん」


 どうしよっかな。1人で行くのは、ちょっとなあ。レアとかダナエが起きてから行っても良いかもしれないけど、今日は別の用事が入ってるしな。どうしよ。


「案内しよっか?」

「えっ」

「バザール。行きたいんだったら」


 余りに自然に言うもんで、私は少し驚きます。だって私、男の子と2人で遊びに行くとか、したことないし。ていうか心葉さんはそういうの全然平気なんだ? プレイボーイには見えないけどな。


「えーw それってなんですかぁ? あたしとぉ……デート♡ したいって事ですかぁ?」

「なっ……いや、そういうんじゃなくてっ」


 甘ったるい声で尋ねると、やっぱりわかりやすく狼狽える。しかしからかいがいのある男の子だ。戦場じゃあんなに頼りがいがあって強いのに。今回の焚火の国でも、東京防衛戦でも、大活躍してたのに。デートって言葉だけで恥ずかしがっちゃうんだ。


「……困ってる人がいたら助ける。それだけだよ」

「ふぅーーん……♡」

「なんだそのニヤニヤした顔は」

「素直にあたしと朝デートしたいって言ってくれても、全然いやがんないんですけど?」

「俺は料理に戻ります」

「あーーっ。うそうそ。心葉さんっ。冗談通じないなあ」


 私は彼の手を握って、引っ張った。


(え、なにやってんのあたし)


 なんだか知らないんだけど、あんまり自然にその手を握ってしまった。大きなゴツゴツとした男の子の手だ。だけどなんだか、懐かしいような気がした。かつてこの手を、何度も握っていたような気がした。それはきっと、気の所為だったのだけれど。


「――皆には内緒で、遊びいこ♪」


 きっと私、この人のこと、心配なんだと思う。私の瞳に、あの髑髏仮面の男の最後の姿が焼き付いていたから。並行世界の私やレアの死を背負って、それでも世界を救おうとした高潔な化物。あんな怪物に、なってほしくないと思ったんだ。きっと。


(あたしは平行世界のあたしみたいに、彼と親友になれるのかしら)


 なんとなく、そうはならない気がした。だってこの子にはもうレアという親友が居るし。恋兎寮の皆ともとっても仲は良さそうだ。だけどその誰とも、恋仲にはなってないみたい?


(だったら、もしかしたら……)


 そういう関係だったら、あるかな? 可能性。って思った。一瞬だけ。


「あたし、美味しいもん食べたくてえ」

「……見えてた? 俺が一生懸命用意していた朝ご飯を」

「大丈夫。あたし、結構宇宙だから。胃袋」


 顔は――まあ、タイプでもなくはない。性格は、結構好きだ。強いのもいいね。ちょっと危なっかしいけど、私は結構、心配するのが嫌いじゃない。やっぱ、ちょっとぐらいぶっ壊れている子の方が、楽しいじゃんって思う。


「こういう時って、男の子が奢ってくれる物ですよね?」

「……こういう時って、どういう時?」

「分かってるくせに~♡ 心葉さんって、そういうトコありますよねぇー。どうせ他の女の子にも、そういう、あっしはウブでございって顔してるんでしょ。はあ、傷つくなあ」

「……俺の事からかって遊んでるだけだろ?」

「うん♡」

「まじでこいつ」


 私達がこれからどうなるのかわからない。無二の親友になるのか、不倶戴天の敵になるのか、あるいは生涯の伴侶になるのか。わからないけど、それが楽しい。でしょ?


(並行世界のあたしは、心葉さんを守って、死んだらしい)


 それだけこの人のことが好きだったんだ。その好きの形が、どんな物なのかはわからないけれど。でもそれだけ何かの事を好きになるって、素敵だと思う。私は好きな物って、多ければ多いほど良いって思うタイプだ。だから、彼と仲良しになりたいと思ったんだ。


「言い出しっぺはそっちなんだから。いっぱい遊んでくださいね?」


 真っ青な空の下、私達はバザールへと向かう。賑やかな街を、2人で並んで歩く。

 かつてこんな日があった気がした。きっとそれは気の所為に決まっていたんだけど。

 大粒の涙が、ぽつりと頬を伝っていくの。あたし、知らない振りをした。

刊行シリーズ

こちら、終末停滞委員会。5の書影
こちら、終末停滞委員会。4の書影
こちら、終末停滞委員会。3の書影
こちら、終末停滞委員会。2の書影
こちら、終末停滞委員会。の書影