【外伝・書き下ろし】こちら、終末停滞委員会。です!シーズン2 ――例えばこんな、普通の日々の物語。

第3話『そうだ。メフとデートにいこう。』



 今日も賑やかなバザールは、沢山の人々が往来していた。


「駄目です。そんなの飼いません」

「ええー! なんでですかあ!」


 とある一軒の店前でグズっているのは、背の高い少女と小さな少女――メフと小柴である。俺は荷物を持ちながら、それをぼけーっと見守っていた。


「うずらって飼うの大変なんですよ、結構鳴くし。大体もううちには鶏がいるでしょ」

「で、でもメフ先輩! こんなにちっちゃくて、可愛いんですよ……!」


 店先の段ボールの中でふわふわと暴れまわるウズラ達に、うちの小柴さんは完全にノックアウトされてしまっていたのだ。メフが、はあとため息を吐く。


「だーめ。どうせ私がお世話することになるんだから」

「うずらの卵美味しいんですよ? ねー心葉先輩?」


 小柴のキラキラとしたお目々が俺を見つめる。俺はうーんと悩んでから。


「確かにうずらの卵は美味い。俺は串に刺して食うのが1番――」

「………………」


 メフの鋭い氷のような視線が俺を襲う!


「――でも、わがままはよくないぞ小柴。うずらの卵はパックで買えばいいし」


「えーんっ。心葉先輩の弱腰っ。メフ先輩の小姑ー!」


 小柴はぱたぱたと駆けて逃げていった。と思ったら中等部の友達と出くわしたみたいで、楽しげに会話をしている。こっちをチラチラ見ながら目を逆三角形にしているので、どうやら俺達の悪口を言っているようだ。


「さ、行きましょ言万くん。お米も買い足さなきゃだし」

「あのちびっこはそのままにしといていいの?」

「放っておいても帰ってきます。いぬは帰巣本能が強いので」


 メフは小柴のことを完全に犬扱いしていた。彼女は草原で生き抜いてきた遊牧民族の1人なので、動物の扱いが俺達よりも遥かに上手なのである。


「あ、あのっ。すいません。そこのお姉さん!」


 不意にメフに話しかけてくる、長髪の男が居た。メフは一瞬で視線を凍らせて、冷たすぎる視線を男に向ける。男は一瞬たじろぎつつも、カメラを持って口を開く。


「私『a-999』のスナップ隊の者なんですけど。良ければ、少しお写真撮らせて頂けませんか? 再来月のピンナップに載せる予定の物になります」

「……あの……私、そういうのは……」


 メフが面倒臭そうに断ろうとする。モデル顔負けのスタイルと美貌を持つ彼女にとって、この手のスカウトの話は慣れっこなのだろう。しかし慣れてないミーハーの俺は、ちょっとテンションが上がってしまった。


「え! a-999って、あの!? 第12地区のティーンが最も読んでいるで有名な!?」

「え。言万くん意外と詳しいんですかそういうの」

「まやっぱ青春コンプガチ勢としては、読むよね必死に」


 一瞬、メフに哀れそうな顔で見られたが、それは置いておくとして。


《こんなに綺麗な子そうそう居ないし、制服の着こなしも完璧》

《今日撮影して、ゆくゆくはスナップ常連になってほしいなあ》


 その怪しげな長髪の男も、純粋に仕事の為にメフの撮影をしたいらしく、信頼はおけるような気がした。


「やってみても良いんじゃない? メフ。時間もあるしさ」

「……やりません」

「そう? でも何で?」


 俺が尋ねると、メフは彼女の大きな体と対象的に小さな声で呟く。


「…………だって…………恥ずかしいし……」


 かわよ。いや冷静になるな俺。冷静になってメフの可愛さに気がつくな。日常生活を送っていると忘れがちだが、美少女揃いの恋兎班の中でも、メフは『美人のお姉さん』なのである。そんな子が写真を撮られるのが恥ずかしいとか言ってる。そりゃ、可愛い。

 俺は首をぶんぶんと振ってから。


「そっか。まあ、嫌な思いをする事もないか。興味もないことならさ」

「……興味が……ないというわけでは……」

「えっ」


 メフは若干もじもじしていた。この感じ、メフも撮ってみたいのかな。むしろ背中を押して欲しいのかもしれない。俺は彼女の手を取った。


「じゃあやりなって! 雑誌に載ってるメフ、俺絶対見たいよ。クラスの連中にも自慢しまくってしまう!」

「な、何で言万くんの自慢になるんですか」

「この美人の子、俺と同じ班の子なんだぜって言えるじゃん。超・鼻高々だよね」

「………………」


 メフは顔を真赤にしながら、俺の手を振り払うと、ジトっとした目を向けた。


「また……こいつはそういうこと……」

「こいつはなに」

「ぷいっ。知りません」


 メフは、長髪の男性に向き直る。


「……その……でしたら……少しの時間? であれば?」

「ありがとうございます! お兄さんも説得してくれてありがとうね」

「あ、あ。でも。……撮影するなら。彼に居てもらってもいいですか」

「もちろん」


 メフはちょっと怯えてはいるのか、俺の服の裾を掴んでいた。メフは草原出身で都会のアレコレにはいまいち慣れてはいないのだ。仲間として、守護らねば。

 ……いや俺も、真鶴まなづるという結構な田舎の出ではあるのだけれど。


   ■


「こ、こんな感じ……でしょうか……?」


 バザールを出て、一通りの少ない――けれど景色の良い場所に移動した長髪のおじさんは、ごちゃごちゃした大きなカメラを、メフに向ける。


「いいねえ! でももう少し、自然に笑えるかな」

「し、自然って」


 メフは緊張でカチコチになっていたし、目はぐるぐるとしていた。そんな彼女を見るのが初めてで俺は笑いそうになってしまうが、それは頑張っている彼女に失礼なので耐える。


「うーん。ねえ彼氏くん、どう思う? いつもの笑顔の方が可愛いよねえ」


 長髪のおじさんが俺に笑いかけて、メフは顔を真っ赤にさせる。


「か、彼氏じゃありません!」

「……そうですねえ、彼氏的には……うん。いつものメフの方が200倍は可愛いですね」

「こらそこ! 変な乗っかり方するなぁ!!」


 長い髪を振りまきながら、メフが声を荒げる。俺とおじさんが笑っているのを見て、憮然としながらも、少しは緊張が取れたようだ。おじさんの指示に従って、撮影が続く。


(しかし改めて見ると、メフって美人さんすぎるな)


 背が高く、足が長く、顔が小さい。絵に書いたようなモデル体型だ。毎日訓練している彼女の体は引き締まっていて、健康的。駿馬を感じさせるような美しい体に、絹のように滑らかな髪。彼女を美人と言わずに、誰を美人と言うのだろう?


(い、いかん。あんま考えるなよ俺。メフは仲間で、同じ寮の友達なんだから)


 なんて思いながらも、メフが俺を相手にすることは無いだろうと感じた。考えるだけでもおこがましくて、なんだか苦笑してしまう。


「そ、そこ! 何笑ってるんですか!」


 目ざとく見つけたメフが、目を逆三角形にしながら怒る。


「別に。ただ、綺麗なモデルさんだなあって思っただけ」

「……からかって!」


 こうして仲良くしてくれるだけでも、俺にとっては十分すぎるぐらいに嬉しい事なんだ。邪な視線とかはなんとか向けないようにしたいな、と思う。だって仲間で友人の彼女に、変な風に見てるって思われたくないし。


「はい、オッケー! 凄く良かったよ、ありがとう!」


 長髪のおじさんは、撮影したいろんな写真を見せてくれる。流石にプロの腕前で、モニターの中のメフは、本物のモデルのようだった。いつもうちの寮で鶏に餌をあげている子と同じとは思えない。


「またモデルになっても良いなって思ったら連絡して。今回は謝礼出せないんだけど、その時からは出せるから。その代わりに、お礼ってわけでもないんだけど……」

「これは?」


 メフが受け取ったのは、2枚のチケットだった。


「黄金歌劇場でやってる、オペラのチケットだよ。編集部から貰ったんだけど、……おじさんが1人で行くには、ちょっと面倒臭くてねえ」

「面倒臭い? 何でですか?」


 俺が尋ねると、彼は笑った。


「あそこ、100年ぐらい歴史があって上品な人しか来ないから、ドレスコードとか凄いんだよね。同伴者が居て当然みたいな空気もあって、行きづらいし」


 へえ、そうなんだ。黄金歌劇場と言うと、第12地区の西の方にある、大きな建物だ。前に近くを通った事がある。うちの寮から、歩いても40分ぐらいだろう。


「はは。でもそんなのだったら、俺達も……」

「――あっ!」


 不意に、チケットを見つめていたメフが、大きな声を出した。


「こ、これ。演目が……『夜と野ばら』って……」

「メフ、知ってンの」

「はい! 私が1番好きな本で! フルクトゥスに来た頃……よく読んで……。え、え、あれのオペラ。ですか? ぇえー……どんな風にアレンジ、するんだろ……」


 いつもクールなメフが、珍しく年相応に、目をキラキラとさせていた。喜んでいる彼女を見ると、なんだかこっちまで嬉しくなってしまう。


   ■


「ぐ、ぐぬぬ……こんな感じで……良いのか……?」


 俺は恋兎寮の自室にて、鏡と格闘していた。アーラヴから借りたダークスーツは俺が着るとコスプレっぽすぎて、どうにもしっくり来ないのである。しかし、時間もない。


「ご主人ちゃーん。お茶淹れたけど飲…………なにしてんの?」

「ぎゃ! Lunaさん! 急に入らないで下さいよぉ!」


 Lunaさんが、俺を上から下までじーっと見つめてから。


「似合わないね」

「い、いじめだ」

「ちがくて。……ほらぁ、こっちおいで」


 彼女の手首からするすると伸びて、スーツの中に入っていく。それは微妙に俺の体型にあっていなかったスーツを補正していく。


「おお、すご。でもこれ友達のなんすけど」

「大丈夫。あとで直すから。傷一つつけないし」


 流石、実は家事スキルMAXのメイドさんである。けれどLunaさんにじーっと見つめられながら、こんな服を着ているのはちょっと恥ずかしい。


「あと髪型もちょっと、いつもよりきっちりめに整えよっか」


 彼女は手首の糸を伸ばして整髪料を手に取ると、俺の頭にわしゃわしゃとまぶす。


「……ンで? またどうしておめかししてるわけ」

「メフと一緒に、オペラに行くんです」

「へえ。ふふ、ガキのくせに生意気なモン見に行くんだね」


 Lunaさんは機嫌良さそうに俺の髪型を整えると、僅かに離れて、もう一度髪型を整えた。最後に肩をパッパと払うと、目を細めて笑う。


「……うん。格好いい♪」

「Lunaさんは知ってます? 『夜と野ばら』って」

「知ってるよ。最近読んだ。可愛くて、綺麗で、いいお話だよね」

「え、そうなんすか。じゃあLunaさんが行きます? オペラ」


 俺の言葉に、彼女はジトッと視線を尖らせた。


「なんでそーなんのよ。メフちゃんとデートなんでしょ?」

「い、いや。デートとかじゃなくて。……恋兎先輩も小柴もオペラとか絶対退屈! って言うもんで、俺が招集されただけですよ」

「でも、男の子と女の子が2人で遊びに行くんでしょ? じゃあデートじゃん」

「……そういうわけでもなくないです? 俺とLunaさんだってよく2人で遊び行くし」

「そうだよ? だってあれだって、デートじゃん」


 まあ確かにLunaさんと遊びに行った後の帰りに歩いていると、彼女は『今日のデート、楽しかったね?』とか普通に笑いかけてくる。俺もそれが当たり前になりすぎている所があったわけだが……。


「あんまプレッシャーかけないでください。……俺、今、緊張エグいんで」

「え、なんで。メフちゃんとご主人ちゃん、仲良しじゃん」

「そ、それはそうなんですけど。だからこそと言うか」


 自由奔放型の恋兎先輩・小柴・Lunaさんと、抑制型の俺とメフは結構意見が合うので、寮内で意見が割れた時は大抵味方陣営に居る。仲は良いほうだ、と思う。だけどさ。


「くすくす。頑張りなー? 君は私のご主人ちゃんなんだから。エスコートぐらい完璧にしてもらわないと困る。私が沢山、練習させてあげたでしょー」

「……え? あ。今思うとあれ、俺、仕込まれてたのか」


 Lunaさんと遊んでいる時、『男の子が車道側を歩くこと』とか『女の子がお手洗いに行っている間に会計を済ませる』とか(その後Lunaさんは割り勘にする。全額出そうとしてくるが俺がごねる)、色々と教えられていた気がする。あれ、仕込みだったのか。


「いってらっしゃい、ご主人ちゃん。楽しんでね♪」

「……いってきます」


 ネクタイを優しく締められながら、俺は声を絞り出す。


   ■


 夜の恋兎寮の前で、俺は所在なく立ち尽くしていた。


(……やべ。何でこんな緊張してるんだ?)


 理由は自明だ。しかし、あまり考えない方が良いだろう。この格好を恋兎先輩や小柴に見られたらなんて言われるかわからない。俺が周囲を警戒していると――背後に足音。


「言万くん」

「あ、メフ。来――」


 振り向くと。


「……………………」

「どうかしましたか?」


 上品なパーティドレス。いつも制服の彼女からは想像出来ないぐらい、大人っぽい雰囲気。


(まるでお姫様みたいだ)


 ――なんて馬鹿みたいな感想が、思わず出てしまう。気品のあるドレスは背の高い彼女に恐ろしい程にマッチしていて、まるで彼女のためにあしらえたみたいだった。俺は口をぼんやり開けてそれに見とれて、すぐに正気を取り戻す。


「……変……でしょうか……?」


 それは、彼女が不安そうな表情をしていたからだ。彼女がいつもは着ないような服装を勇気を出して着たことが、分かった。だから俺は、素直に言葉をこぼす。


「いや。凄く綺麗だ」

「……っ」

「どうしたの、そのドレス。俺のは借り物だけど」

「あ、えと。母の持ち物で。それを仕立て直したんです」

「え? 自分で? すご」

「……別に……普通のことですから」

「めちゃめちゃ似合ってる。隣を歩くのが怖いぐらいだよ」

「な、なんで」

「そりゃあ――」


 道を行く人々が、あの美人は誰だ!? って思って振り返るだろうから。その時に隣に居る俺を見て、何を思うか怖すぎる。でもそんな泣き言ほざいてられないよな。


「こんな綺麗な子の隣歩いてたら、俺が王子様だと思われるだろ。強盗に会うかも」

「……言万くん、だんだん、Lunaさんみたいな事言うようになってきましたね」

「…………そうかな」

「くすくす」


 Lunaさんは冗談で煙に巻いて、本心を隠す天才だからな。自分のためにも、他人のためにも、上手に笑っていられる人だ。そういう所に、確かに憧れてはいる。


「行こっか。タクシー、呼んどいたから」

「え。別に、歩いていけるのに」

「ヒールだと大変だろ」

「……そんなエスコート術、どこで仕込まれてきたんですか」

「……うちの優秀すぎる、メイドさんから」


 思えば、あの中学時代とメキシコ時代を経て蒼の学園生になった俺が、巧いタクシーの使い方なんて知っているわけがない。どうやら本当に、いつの間にかいろいろ仕込まれているようだ。


「行こう」


 俺が呟いて、歩き出すと、背後から声。


「あ、待って」

「ん?」

「その……」


 メフは、自らの前髪に僅かに触れながら、か細い声で呟いた。


「……言万くんも……似合ってます。スーツ。格好いい……と思われます」

「ほんとにぃ?」

「な、なんですかその信じてない声はっ」

「七五三でめかしこんだ子供を褒めるニュアンスだろどうせ」

「しちごさんって、なんですか?」


 俺達は楽しく会話しながら、歩き出す。

 指先が冷たくなるほどの緊張は、どうやらいつの間にか溶けていたようだ。


   ■


『ああ、夜の王よ。どうか私に気がついて。

 あなたの足元に咲く、小さな花を』


 黄金歌劇場は、豪奢で大きな劇場だ。壁1つ、手すり1つとっても細かな意匠が描かれていて、こういう惜しみない贅沢のやり方は、なんというか蒼の学園的だ。俺達は、大きな舞台を二階席の半個室から見下ろしていた。


『私は野ばら。闇の色で濡れるその時だけが私の全て。

 どうかこの恋を、哀れな間違いだと言わないで』


 夜の王、と呼ばれる存在が居た。それは真っ白の世界に真っ黒を持ち込んだ、全ての昏き者を護る主だった。彼の戦いの結果、世界に朝と夜が生まれた。

 ある日、小さな野ばらは恋をしてしまう。そのとてつもなく巨大で、強い、夜の王に。ただの花である野ばらは何百、何千、何万年と恋をし続けて、ある日、自由に歩ける体を得る。

 小さな野ばらは目指すのだ。夜の王に出会うために。星を覆う程の巨大な存在の、その足先にキスをするために。ただ、愛を伝えるために。


(……めっちゃラブコメだな!)


 オペラだんて言うものだから小難しいのかと身構えていたが、話自体は物凄くシンプルだ。小さな少女『野ばら』の冒険譚。世界の敵である『夜の王』に恋をしながらも、旅をして、その道中で別の男に惚れられたり、身分を隠した『夜の王』と敵対したりする。


(ちゃんと面白い……)


 その途中途中で挟まる歌も、凄く良い。今風のアレンジがしているのか、時にはポップだったり、時には超絶技巧の歌だったりする。


「…………」


 メフはオペラグラスを全く離す事無く、一生懸命舞台を見つめていた。きっと、この作品がよっぽど好きなのだろう。


《きゃー! 夜の王、格好いい……。でも男爵はちょっと解釈違い》

《うぅ……このシーン何回読んでもきゅんきゅんしたとこ……》


 まずい。気を抜いて、メフの心を覗き見してしまった。心を見ないようにするのは結構集中力が必要なので、ふとした時にこうなってしまう。


(なんか……嬉しいな……)


 気がつけば、俺は笑っていた。きっと他人が見れば、幸せそうだと思うだろう。大切な人が嬉しそうにしているのって、こんなに気分の良いことなんだな。……今日、Lunaさんの機嫌が良かったのも、俺と同じ理由なのかもな。

 俺はオペラを見ながら、なんだか幸せな気持ちで、目を閉じる。


   ■


 そして物語は、佳境を迎える所でした。



「…………」

 自らの正体を明かした『夜の王』と野ばらがキスをするシーン。美しいピアノの独奏が、気分を盛り上げます。私は思わず胸をドキドキさせながら、それを見守る。


(ここの小説版の文章が、綺麗で。……こんなキス、私もいつか、するのかなって)


 『夜の王』が野ばらの腰に手を回す。野ばらは一瞬抵抗して、すぐにほどけないと気がついて、くたり、と力を抜く。『夜の王』の唇が近づいて。


 ――私の肩に、ぽすん、と重み。


「……~~っ」


 びっくりして飛び跳ねそうになった私は、オペラグラスを外すと、隣を見る。


「……すぅ……すぅ……」

「あっ」


 全く信じられない! 言万くんたら、こんな素敵なオペラを前にして、すやすやと眠ってしまっているのです。そりゃあ、美しい恋の物語だから、殿方向きではないのかもしれないけれど。でも、寝ちゃうだなんて。


「……ぁの……言万……くん?」

「……すや……すや……」

「……」


 彼の重み。彼の体温。ドキドキしていた私の胸はその慣性も相まって、なんだか止まらなくなってしまう。だって……私、初めてのデートなんだもの。


「もう。仕方がない人ですね……」


 彼の頭がずり落ちそうになっていたので、もぞもぞと動いて、ちゃんと私の肩に乗せる。なんでだろ。こんなに、悪いことをしている気分になるのは。


「……ほら……飲み物も……こぼすよ……? 危ない……」


 寝ている彼の手から、ペットボトルを回収する。彼の指を一本一本剥がして。……手を離す刹那に、一瞬だけ、ぎゅって、握って。


「…………」


 ――今、私、なにした?


(今、私っ。どさくさに紛れてっ! 言万くんの手、恋人繋ぎ……っ)


 いや、一瞬だったけど! ほんの一瞬だったけど!


(ばかばかばか! 何、痴漢まがいのことをしているの、私はっ)


 私は自分に言い訳を始める。


(だってこんな素敵な恋物語で、胸がキュンキュンしていたせいで)


 きっと、なんだか寂しくなってしまって。


(だってここは半個室で。私達二人きりで。誰も見ていなくて)


 だから、良いかもって思ってしまって。


「……すぅ……すぅ……」


 胸が飛び跳ねそうな私を余所に、彼は安らかに眠っています。それを見ていると、なんだか私は、ちょっとイライラし始めました。人がこんなに四苦八苦しているというのに、この男は。こんなに。かわいい顔で。寝やがって。


「……このこの」


 私は人差し指で、彼のほっぺをつっつく。意外と柔らかいほっぺで、面白い。


(全く、全部Lunaさんのせいだわ)


 言万くんたら、当たり前に私のこと、綺麗とか、言うんだもの。可愛いとか、言ってくる。その度に私がどれだけ、わたわたしてるか、知らないくせに。


(……まあ、昔から、素直な子ではあったけど)


 初めて一緒に潜水艦に乗って『守護者』の待つ異界に行った時も、私のこと、可愛いって言った。どうせこのおバカさんは、忘れているんでしょうけど。

 私の中で、小さな勲章になっていること、知らないんでしょ?


(あなたが可愛いって言ったから。自慢できるって言ったから。私、今日だって、恥ずかしいのに、写真を撮られてたんですよ?)


 お母さんのドレスを着た私を見て、綺麗だ。って素直に言ってくれた。だから私、『私って綺麗なんだな……』って思った。お母さんのドレス、似合うんだって。それがどれだけ嬉しかったのか、どうせ分かっていないんだ。


「……おばか」


 今日だって、立派にエスコートしてくれた。スーツだって、格好いいと思う。きっと彼は色んな経験を積んで、自分に自信が出てきたんだろう。それだけのことをしてきたもんね。


「だけど……あんまり……格好良く、なりすぎないでくださいね……?」


 私は、彼のほっぺをつつきながら。


「これ以上……モテたら……困るんだから」


 誰が? どうして? そんな疑問が頭に浮かんで、私は、はっと我に帰る。だって、劇場は凄まじい拍手でいっぱいだったんだ。『夜と野ばら』は大団円を迎えて、演者の方々が嬉しそうにカーテンコールを迎えている。


「ぐが……メフ……?」

「あ、こ、言万くん。ほら、終わりましたよ。オペラ。全くもう、寝ちゃうだなんて!」

「……ごめんごめん。ふわー……いつの間にか……」


 彼は気持ちよさそうに伸びをしてから、申し訳無さそうに頬を掻いた。私は怒ったふりをして、心の中のドキドキを、必死に抑える。


   ■


 そして俺達は劇場の一角のコーナーで今回の講演のグッズなんかを買った後に、夜の第12地区を歩き出した。冷たい風が、心地いい。


「いやあ、オペラとか聞いて構えてたけど、かなり面白かったなあ」

「あなたは寝ちゃってましたけどね」


 メフが視線を凍らせながら呟く。とは言え彼女も満足したのか、どこか浮足立っている。いつもより少しだけ、テンションが高い気がした。


「それじゃあ、帰ろっか?」


 俺が尋ねると、彼女は少し考えてから。


「……少し……お腹、減りませんか?」

「そっか。俺達、夕飯食ってないしなあ。なんか食べに行く?」

「はい」


 メフと2人きりで遊ぶなんてタダでさえ初めてだったのに、2人きりで食事となると……そうだ。潜水艦で一緒に食べて以来だ。


「はは」

「何で笑ってるんですか?」

「昔のこと思い出してさ。覚えてる? 潜水艦で一緒にメシ食っただろ」

「……ふふ。ありましたね」

「あの時は……こんなに仲良くなれると思わなかったなあ……って」


 あの頃のメフはもっと刺々しかったし、俺のことを警戒していた。けれど仕方がない事だったのだ。俺は人型終末で未知数過ぎたし。


「俺が恋兎寮に来た夜にさ、メフにマッサージしてもらったの、覚えてる?」

「ああ……そういえば……」

「あの時は……ちゃんとお礼、言えなかったんだよな。……ありがと」

「それは、何のお礼なんです?」


 メフがこくんと首を傾げる。それが可愛くて、俺はまた笑ってしまう。


「あの時俺、本当は、泣きそうなぐらい、嬉しかったんだ」

「……」

「あんなに優しく他人に触れられたの、久しぶりすぎて。でもマッサージされながら泣くやつ、怖すぎるだろ。だから我慢してたんだけど。あの時、俺……本当に、救われた」


 俺の骨は節々が奇妙に曲がっているし、体だって傷だらけだ。その姿を初めてまともに見たのが、メフだった。俺はあの時、怖くて仕方がなかったんだ。気持ち悪いって言われたらどうしようって。なのに彼女は、ただ優しく、触れてくれた。


「あの時優しくされた事、俺たぶん、ずっと忘れないよ」


 きっとこの優しい少女にとっては、当たり前の事だったんだろう。ボロボロの動物を拾ったので包帯を巻くような、日常の行為だったはずだ。けれど俺にとってそれは、生涯忘れることの出来ない思い出になっていた。


「……なんだ……じゃあ……私達……おんなじ……」

「ん?」


 メフが言葉を呟きかけて、けれど空に溶かす事無く、飲み込んだ。


「ふふ」


 その代わりに――笑った。まるで小さな子供がやるような、全く邪気を含まない笑みだった。大人っぽい服装の背の高い彼女がそれをやると、ギャップで、頭がクラクラしてしまう。


「何で笑ってるんだよぅ」

「秘密です」

「なんで?」

「だって、秘密にしたいから」


 笑って、彼女は俺の手を取った。まるで映画スターのカップルがやるみたいに、俺の腕に、腕を絡める。冗談っぽく。けれど確かな意思を持って。


「なっ……なっ……」

「ほら、それよりエスコートして下さい。美味しいレストランに連れてってくれないと、いやですからね。そうだ。ロブスターでも食べたい気分」

「…………」

「どうかしましたか? 言万くん。早く行こ」


 彼女は平然としようとしていたが、顔は真っ赤で、全然隠せていなかった。でもきっと、この今を、彼女も目一杯楽しむことにしたのだろう。だとしたら俺も、ずっと日和っているわけにはいかない。


「よし、任せろメフ。Lunaさんに教えてもらったとっておきの店が近くに……」

「あ。それは禁止です。ちゃんとあなたが選んで」

「なあ!? 何でだよ!」


 草原で生まれた彼女と、小さな港町で生まれた俺。

 地球の反対側で育った俺達が、こうして、空に浮かぶ都市で友達になる。

 なんだかそれって奇跡だな。きっとそんな奇跡が、ゴロゴロ転がっているんだろう。


「今夜の月が沈むまでは、格好良いままで居て下さいね」


 俺達は歩幅を合わせながら、夜の街を歩き始める。


刊行シリーズ

こちら、終末停滞委員会。5の書影
こちら、終末停滞委員会。4の書影
こちら、終末停滞委員会。3の書影
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