異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

一章 猫だって波瀾万丈 ①

 今からおよそ半世紀前、一部の若者の間で確認されるようになった特殊な事例。

 ある者は日光を嫌って血液に焦がれ、ある者は満月の夜にだけ人格が変性し、ある者は透き通った肌に尖った耳を有する――バラバラの症例に思える一方、伝承や叙事詩で語られる空想上の存在と類似。いずれも第二次性徴期に発症して、三十歳を超える頃には自然消失するという奇妙な共通項があった。

 現在でも原因は解明されていない一方、彼らを総称して『ミューデント』なんて呼ぶようになった背景には、○○疾病とか○○症候群だなんてネガティブな名称を付けようものなら、健全な青少年の育成に弊害が生じるという配慮があったのだろう。

 実際、僕の周りでもこの現象を病気だと認識している人間は稀。いわゆるパーソナリティの一環として扱われているのだが、個人的には少し大げさすぎる節が否めない。

 だって、『神話ミュトス』+『生徒スチューデント』を掛け合わせて、『神話の生徒ミューデント』だぞ?

 別段、瞬間移動や空中浮遊できるわけでもなく、炎や電撃を駆使して異能力バトルを繰り広げるわけでもない。僕たちと変わらないホモサピエンス。世界を揺るがす力を秘めているはずもなく、精々、学校という小さな社会の中でもてはやされる程度――


「古森、こーもりっ!」


 にわかに肩を叩かれ、僕の思案は途切れる。

 時刻は間もなく午後四時を回る頃合い、すでに放課後に突入している教室内。

 帰宅するか部活動に向かうか、あるいは仲の良いグループで非生産的な雑談に花を咲かせる以外は選択肢がない中、窓際後方に位置する自分の席にかじりついて動かずにいる僕は、もしかすれば相当アウトローなのかもしれないが。

 そんな人間にわざわざ声をかけてくる男も、十分常識から外れている。


「オッスオッス」

「滝沢……なんだよ?」


 同級生の滝沢たきざわ奏多かなたは、煙たがる僕の視線なんて意に介さず快活な笑み。高めの上背にほどほどの筋肉、量産型ホストみたいにセットされた茶色の髪。解放感に溢れたシャツの胸元からはジャラジャラチェーンを覗かせている。

 軽薄な印象は始業式の日に聞いた自己紹介から、一切変わらず。


「いやいや、なーに近寄りがたいオーラ出して物思いにふけってんのかなーって」

「だったら素直に近寄らないでくれ」

「辛気くせえ顔だなー。放課後だぞ、今。部活動こそ俺らの本分だろ?」


 なるほど、サッカー部(ポジション左ウイング)で今年からレギュラーを張っている、加えて学業は優秀そうに思えない滝沢からすれば、部活動=学生の本分に違いないが。


「かれこれ一年近く、僕は入る部活を間違えたと後悔し続けている」

「またまた。あの『サキュバス先輩』と一緒なんだから、毎日が薔薇色だろ?」

「……」


 むしろ草木も生えない土気色。僕の心の声に耳を傾けるつもりはないのだろう、


「いいよなぁ~、斎院先輩」


 滝沢は甘い羨望を乗せて彼女の名を呼ぶ。あたかも才色兼備のご令嬢でも脳内に呼び出しているかのような――厄介なことに、世上ではその虚像が真実味を帯びており。


「昼休みはよく中庭の木陰で一人、レザーのカバーを付けた文庫本をめくっていてさ。儚げっていうか、神秘的っていうか、か弱いっていうか……孤高な感じが超そそる」


 それは全部『ぼっち』に京都人のフィルターを通しただけ。


「漱石とか、太宰とか、カミーユ? きっと純文学しかお読みにならないんだぜ」


 読みはするが専門はもっぱらラノベだ。あと最後のはたぶんカミュ。


「華族の流れをくむ上流階級で、祖父母は生まれも育ちもフランスなんだろ」


 四十字にも満たない一文の中で矛盾を孕むな。


「でもさぁ、なんつってもすげえのはあの容姿! 最初見たときぶっ飛んだもん!」


 それは、わからなくもない。


「文学少女よろしく肌の露出は少ないのに、どうしてああも色っぽいんだろ……あ、胸がどうこう言うやつ多いけどさ、俺はダンゼン脚を推すね。タイツ越しのむっちり感がなんとも」


 あれはデニール数的にストッキング。


「あんな美女と十年来の幼なじみってだけで人生勝ち組……ん、何か言いたげだな?」

「なんでも。とにかく複雑な事情があるのは察してほしい」

「だーかーらー、その複雑な事情を良き友の俺に打ち明けてみようぜー。ほら、相手の心を開かせるにはまず自分からって言うし」

「お前は常にフルオープンだろ。これ以上何が開く?」


 もっともな指摘に「それもそうだ」と滝沢は微笑んで、本人不在となっている僕の前の席に勝手に腰を下ろした。うんざりした僕は窓の外の桜を眺めながら一息。

 驚くべきは今日がまだ、その花びらも散り切らない四月の一週目だという点。

 高校二年に進級して三日足らず――出身の中学が違う、一年時のクラスや委員会さえ異なっていた滝沢との付き合いも、必然的に三日足らず。級友というスパイスを一振りしただけの他人にほかならないが、向こうはそう思っていないようだ。


「俺、こう見えて顔は広い方でさ」

「イメージ通りだから謙遜するな」

「そう? まあ、『ミュー』の友達もいるけど、それでもサキュバスは一人も知らん」

「ミュー?」

「ミューデントのこったね。最近は略すのがトレンドなんだぜ」


 略すほど長いだろうか。現代人の傲慢さは異常だ。


「個人的に興味湧いちゃうよな~! 誘惑されちゃいたいよな~!」

「……声のボリューム抑えろ」


 女子が遠巻きから顰蹙の視線を(心なしか、僕にも)送ってきている。

 しかし、だ。下心のあるなしは別にして、サキュバスという非常にセンセーショナルな異名から、朔先輩について知りたがる人間は多い。外面だけはいい彼女が世間じゃ「ミステリアスな才媛」で通っていることも僕は理解していたから。

 朔先輩について聞かれるたび「綺麗な人だよね」とか「付き合ってないよ」とか、当たり障りのない回答に終始。それが功を奏したのか、あるいは僕を知る誰かが「古森にいくらタカってもコネは作れない」と流布してくれたのか、新しいクラスメイトたちの好奇心はあっさり消失。彼らの夢を壊さないで済んだと喜んでいたのに、


「やっぱ、あれなのか、魅了チャームとかで男を骨抜きにできたり。古森も実はすでに虜?」

「誰が虜だ、誰が。とっととサッカー部に行けよ、お前」

「おう、行きたいからとっとと教えてくれ」


 未だに熱が冷めやらぬ馬鹿一人。いっそのこと朔先輩のぐうたらぶりを暴露するのも手だったが、虚言癖を疑われるのが関の山に思えた。第一、個人攻撃は良くない。だらしなさも図々しさも突き詰めれば愛すべき個性――というのは過言だろうが。

 ここは論点を少し、ずらすことにした。


「一つ、訂正するなら」

「おっ?」

「あの人に、魅了した相手を廃人や奴隷にするまでの能力はない」


 そう、朔先輩という一個人についてとやかく言うのではなく、あくまで僕はミューデントの症例の一つを説明しているだけ。これなら良心も痛まないし、女子から顰蹙の視線を向けられる謂れもない。


「えー、でもさぁ、アニメとか漫画だと、淫魔って男の精気吸い取って干からびさせたり、魔眼で意のままに操ったり、なーんかやりたい放題じゃん?」

「同じことできたら世界のバランス崩壊するっての。ファンタジーからファンタジー要素を抜いたのがミューデントっていうか、メリットもデメリットも控えめなんだ」

「たとえば?」

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