異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

一章 猫だって波瀾万丈 ②

「ヴァンパイアなら、血を飲むだけで眷属を増やせない。人狼なら、満月の夜に気分がハイになるだけで毛むくじゃらにはならない。エルフなら、耳が長いだけでゾルトラーク的な魔法は使えない。不老不死なんてもちろん存在しないぞ」

「夢がないんだな、案外」

「現実だからな。似非ヴァンパイアとか、なんちゃって人狼とか、コメディタッチにした方が正しいかな。サキュバスっていうのも便宜上使っている通称に過ぎないし」

「そうなん?」


 正式名称は、『接触者の性的興奮及びレム睡眠下の幻覚症状に影響を与える神経性なんたら(英語の直訳)』なのだが、大学の研究所でも常用はされていない。長ったらしい学名より『サキュバス』の方が簡潔明瞭だから。僕にとっては『残念な』が頭に付くけど。


「……中学の保健体育でも簡単には説明、されてるはずだぞ」

「あー、全部寝てたかも」


 呑気に頭をかく男。頼むから冗談であってくれ。


「……サキュバスに話を戻せば、体表面の接触や視線を合わせることで性的興奮を誘発するのは事実なんだけど、効果はかなり限定的だ。ここら辺はお前に限らず、勘違いしている奴が多いみたいだな」

「いやいや、勘違いも何も! 俺は先輩の後ろ姿を見ただけでもイケない気分になるし、なんだったら今、頭の中に思い浮かべただけでもムラムラ……」

「それが勘違いを助長している理由か」

「はぁん?」

「今説明した通りサキュバスの魅了チャームには制約があるから、どこにいるかもわからない朔先輩がこの瞬間、お前をどうこうするなんて物理的に不可能――この意味、わかるか?」


 案の定「わからん」と返してくる男に対して、


「つまり、滝沢が感じているそのムラムラは、サキュバスの能力とは無関係の……単純にして健全な、男の生理現象にすぎないんだぞって話」


 結論を述べたつもりだったが、なおも「?」の目をされてしまったため。


「エッチな年上の女性を思い浮かべて興奮するのは、青少年にとって普通だってこと!」


 仕方なく下世話な単語に置き換えると、「ああ、なるほど」滝沢も手を叩く。


「じゃあ、古森だって先輩に欲情する可能性は十分あるわけだ」

「なんでそうなるっ!」

「いや~、あんなあだ名で呼ばれてるもんだから、俺はてっきり……」


 心なしか、ではない。まだ名前も覚えきれていないクラスの女子たちが、今度は明確に顰蹙の視線を向けてきている。心外だ。非常にアカデミックな話をしているのに。


「……ま、特に難解な分野なんだよ。サキュバスは総じて魅力的な容姿をしているから、単純にその視覚情報から生じる性的興奮と、サキュバスの魅了チャームによって引き起こされる性的興奮、さらにはこれら二つの相関性を検証したアメリカの論文はあるけど。薬効薬理試験で問題になるプラセボ効果に通じる難しさがあって未だに確たる結論は――あっ」

「詳しいのな」


 聞かれてもいないことをベラベラ喋ってしまったが、滝沢は感心するように鼻を鳴らす。


「さっすが幼なじみ」

「これくらい一般常識……」

「アメリカの論文を持ち出すのが?」


 妙な部分に鋭い。あるいは僕が墓穴を掘っただけか。


「と、に、か、く、僕が言いたいのは!」


 脳裏に呼び起こすのは怠惰な朔先輩の姿。


「あの人の魅了チャームなんて所詮は吊り橋効果以下……なりふり構わない性欲モンスターならいざ知らず、僕みたいな『絶対に何があっても朔先輩を好きにならない、好きになってやるものか!』と決意している人間には、屁の突っ張りにもならないんだよ!」


 興味・関心・追及――しがらみになり得る全てを振り払うための宣言だったが、ひゅぅ~~~~と口笛を吹かした滝沢はにんまり顔。


「さっすが、【コウモリ】……使い魔のプライド半端ねえのな」

「馬鹿にしてる?」

「まさか。で、どうしてそんな決意してんの?」

「過去の僕に聞いてくれ」

「今の古森に聞きてえんだよー。あ、ラーメンでも食い行く?」

「肩を組むな。距離の詰め方がおかしい!」


 追い払うどころか火に油。男同士のむさくるしいせめぎ合いに発展した結果、


「滝沢と古森、うるさーい!」


 気の強そうな女子から注意されてしまい、へらへら笑っているもう一人に代わり僕が謝罪する羽目になった。

 高校生の貴重な二年目は幸先の悪いスタート。どこで間違えたのかは明白に思える。


 


 先に言っておくが、僕の名前は『古森こもりつばさ』であり、断じてコウモリではない。

 後者は俗に言うニックネームだ。小学校であだ名禁止令が発布される昨今、検討の余地なく蔑称に該当するのだろう。

 これもひとえに有名税の余波。去年、入学して早々。


『新入生の古森翼なる男が、超絶美人の斎院朔夜と懇意にしている』


 そんな噂が校内を跋扈、僕は軽い衆人環視に晒された。小人閑居して不善をなす。退屈した彼らがインモラルなスキャンダルを欲しているのは理解できたが、清廉潔白に足が生えた人間の僕は、スクープはおろか恋愛フラグの片鱗すら垣間見せず。

 それがかえって野次馬根性に火を付けてしまったのだろう。ミューデントでもイケメンでもなければ、ましてや名家の御曹司でもない、見るからに凡庸そうな男のどこに、妖艶な美女を惹きつける魅力があるのか――と。妄執に憑かれた彼らは最終的に、


『そうか、斎院朔夜にとってあいつは幼なじみというより、ペットに近い存在なんだ!』


 コタツ記事を凌駕する想像力を発揮して、僕を朔先輩の下僕に認定。某格ゲーに登場するサキュバスが使役することにちなみ、【コウモリ】なんてあだ名まで創作して号外の記事をバラまいた結果、生徒の間にすっかり定着してしまった。

 バラまいたのはさすがに嘘だけど。

 かくしてサキュバスの使い魔という不名誉な扱いを受ける僕だったが、


「それはそれで羨ましがる奴がいる辺り、この国は怖い……」


 独り言が冷え切った廊下を伝わる。

 教室棟から渡り廊下と階段を経由してやってきたのは、特別棟の三階。

 窓の外を見下ろせば、桜の絨毯が敷かれた並木道でビラを配ったり旗を振ったり、新入生の勧誘をしている運動部の姿が見えた。勧誘する方もされる方もキラキラ輝いている。まさしく薔薇色の青春。そこに加わる権利のない自分を悔やむのはお門違い。


「元々、輝くための努力なんてしてないもんな…………ん?」


 ぶつぶつ言っている間に、この建物の最上階&最西端に位置する(=最もアクセスが悪い)文芸部の部室に到着したのだが。


「朔先輩、何してるんですかー?」

「……あら、翼くん」


 もはや見慣れた黒髪ロング――その部屋の主(早い話が部長)であるはずの朔先輩は、なぜか中に入らず扉の前で仁王立ち。訝りながら声をかけた僕に「随分遅かったじゃないの」と流し目を寄越してくる。ともすれば官能的にも思える所作だけど。


「待ちくたびれて足が棒高跳びの棒みたいになっちゃったわ」

「ただの棒で十分ですし、百パーそんなに待ってないでしょ」

「バレた? 私も今来たところ。あ、なんかデートの待ち合わせみたいね」


 人を食った感じの笑い方は、良く言えば親しみやすいものの気品を損なう。

 相変わらず胸元が窮屈そうなブレザーに、腰の細さを強調する短いスカート、黒いストッキングに包まれた脚線美。他の生徒と大差ない服装なのに、モデルのような八頭身にすらりと長い手足が、彼女を平凡のカテゴリに留まることを許さない。

 本当に見た目だけなら完璧なのに、改めて悔やまれる。


「……剥製にすれば、あるいは?」

「サイコな心の声が漏れているわよ」

「聞かなかったことにしてください……って、なんだこれ?」

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