異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち
四章 人魚の涙と呼ばないで ⑭
そのブイが水面に打ち付けられるのと、男の体が見えなくなるのはほぼ同時。下に、沈んでしまったのだ。そこからは水音も助けを求める声もせず、波紋一つすら立たず、静寂に包まれたプールだけが目の前に広がる。僕が愕然としている中、それまで「ギャハハ!」「だっせー」とか言って腹を抱えていた取り巻きも、一気に青ざめた顔になって。
「お、おれ、知らねーぞ」「あ、おい、待てって」
片方が逃げるように駆け出すと、もう一人も慌てて追いかけていった。
「はい、男性一名です! 飛び込み用のプール! すぐに救助、お願いします!」
舞浜が緊迫した声でインカムに叫んでいる。けれど、その救助とやらを待っていたら手遅れになりかねないのは、素人の僕にもわかってしまい。
「どうしてこうなるかな……」
『プールに入る際は、水着以外のお召し物はご遠慮ください』
近くの看板にも表記されているルールを律儀に守り、Tシャツを脱ぎ捨てた僕に、
「ちょっと、何する気、古森くん!?」
信じられない、という表情で迫ってきたのが舞浜。
「潜って引き上げる。できるかわからないけど……」
「危ないって。君まで溺れたらどうするの?」
「放っておいたら死ぬかもしれないんだぞ」
「それでもだよ!」
あんなクズ放っておけばいいんだよ――とは言わず。
「自分で言ったんでしょ。私も君も、ただの普通の人間なんだよ!?」
その瞳はただ真っ直ぐに、僕の身を案じていた。
「超能力も使えないし、奇跡も起こせない。死ぬときはすぐ死ぬの。だから……」
「だからこそ、だろ」
思いとどまらせるつもりで放った台詞が、逆に僕を焚きつける。彼女が正しいのはわかっていたが、それを否定したい自分も存在していたから。僕は確かに普通の人間で、何もできなくって、いつも無力を嘆いているのかもしれないけど。
今この瞬間は関係ない。天使だって、悪魔だって、神様だって、普通の人間だって――
「誰かを助けたいって気持ちは、変わらないんだよ!」
駆け出した勢いのままプールに飛び込んだ僕は、もはや水の冷たさを正確に感じられなくなるほどに、頭がのぼせ上がっていた。燃えるように赤面していたに違いない。
――こんなかっこつけた台詞を最後に死ぬなんて、死んでも御免だ。
羞恥に抗う本能に後押しされ、水をかく手足には力がこもる。五メートルの深さを潜っていくのは、文化部にとっては骨の折れる作業。「沈む方が難しいだろこれ」とか思っているうちに水底にたどり着く。滝沢もどきは意識がないのか微動だにしていない。
彼の手首をつかみ、あとは浮上するだけ――と思ったのだが、いやはや驚かされた。
(おっも……全然、上がらない!?)
滝沢もどきが筋肉達磨なせいなのか、僕一人では到底引き上げられる気がしなかった。
どうする、どうする、どうする、どうする。不毛な思考に酸素を奪われていたとき、
(…………えっ?)
巨大な影が、頭上に揺らめいた。見上げれば、差し込む光の向こうからこちらに近付いてくるものがある。しなやかな体をドルフィンキックでうねらせる姿は、シルエットだけなら本物のイルカのようにも思えたけど。二本の腕でしっかり水をかいている。
(ま、舞浜……!?)
制服の下に着込んでいたのだろう、ぴっちりした競泳水着に身を包んでいる。
僕の驚愕をよそに、舞浜は滝沢もどきの手をつかみ、親指を上に向けるハンドサイン。「いいね!」ではなく、浮上するぞという意味だろう。僕は頷きを返す。そこからは二人で息を合わせて――というのには語弊があり、ほとんど舞浜だけで引き上げたに等しい。
彼女の理想的な蹴り足が強大な推進力を発揮して、あっという間に水面までたどりついた。
「大丈夫かー!」「そのままこっちへ!」と、水上に出たら複数の声が聞こえる。
ライフセーバー? レスキュー? とにかくプロだろう、いつの間にかプールサイドにはそれらしき人たちが集まっていた。ついでに野次馬と思われる客の姿も見受けられる。
プールから上がった僕たちは、あとのことを彼らに任せた。
心臓マッサージと人工呼吸が適切に施された結果、滝沢もどきは意識を取り戻して、固唾を呑んで見守っていた野次馬からは「おおーっ!」という安堵の声が上がる。
少し離れた位置で一部始終を見守っていた僕も胸を撫でおろす。
遅れて倦怠感が襲ってきた。大して働いたわけじゃないのに、右肩の辺りが特に痛かった。明日は筋肉痛かなと思いつつ、同時に一つの疑問が生じてしまい。
「なあ、舞浜。お前、カナヅチだったんじゃ……」
その瞬間、パァン、と空気を含んだ音がして、僕の左頬に痛みが走る。熱いといっても過言ではない。手加減なしの平手打ちを見舞った舞浜は、だけど、叩かれたのは彼女の方じゃないかと思うくらい、涙をいっぱいに溜めた瞳で僕を睨み。
「無茶するんじゃない!」
罵声と共にその雫は弾けた。本気で怒っているのが伝わってきたので、「すまん」、謝るしかできない。水なのか涙なのか、濡れた頬を拭うこともせず、僕の両肩に手を置いた舞浜。
「私も、だけど……私だけじゃ、なくって……私なんかじゃなくって……もっと他に……」
何かを振り払うように大きく首を振った彼女は、言い聞かせるように僕の目を見る。
「君がいなくなったら、悲しむ人がいるでしょ?」
誰を指しているのかは言われなくてもわかった。
ああ、そうか。きっと僕に庇われた朔先輩も同じように怒っていて、本当は僕を引っ叩きたくて仕方なかったんだ。だけどやっぱりあの人は、本当に言いたいことを胸の奥に隠してしまえる人だから、僕の前からひっそりいなくなる道を選んだのだろう。
そんな単純なことに今さら気付いた僕は、救いようのない大馬鹿野郎で。
「ごめん」
最後まで謝るしかできなかった。