異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち
四章 人魚の涙と呼ばないで ⑬
「例のアカウント、削除しろ。ついでに写真のフォルダも全部」
「……データを削除したって、今さらなかったことにはできないよ」
「当たり前だろ。わかってるんなら、もう二度とするな。ほら、消せって」
「……うん」
使い慣れているスマホのはずが、たどたどしい手付き。だけど確かに、何もかもが消去されて空っぽになっていくのを、しっかり見届けさせてもらった。これで終わったわけではないけれど、少なくとも僕にできるのはここまで。
日常感を奪う歓声や絶叫が、今は遠くに聞こえる。親子連れやカップルで賑わうメインのエリアから離れている片隅には、飛び込み台とそれ用の深いプールが設置されているが、監視員が不在の今は「使用禁止」のロープが掛けられ利用はできない。
胡坐をかいた僕と体育座りしている舞浜以外には誰もおらず。娯楽施設とは思えないほど閑散としていたが、尻を落ち着けて話すのには適していた。
「今さらながら一つ、聞きたいんだけど……」
膝に頬を押し付けた舞浜は、横に座る僕をじっとり見つめる。
「古森くん、なんで私のバイト先なんか知ってるの?」
「…………」
「しかも、現れるタイミング絶妙すぎない? まるであとを付けてたみたいに……」
まあ、こうなるよな。恋に落ちたりしなかった少女から真っ当な疑問を呈され、人生には台本もリハーサルもないのを痛感。朔先輩も滝沢も、先に帰ってはいないだろうけど、『ドッキリ大成功!』のフリップを持って登場する気配はないため。
「実は、だな……」
僕は洗いざらいネタバラシ。幸いにも舞浜の理解は早かった。
「要約すれば……ドッキリのつもりが、ドッキリじゃなくなったってこと?」
「そうなる」
「その割には颯爽と助けに来たね。下手したら、殴られてたかもしれないのに」
「包丁で刺されるよりはマシだと思ってた」
「過去に刺されたことあるみたいな言い方」
「あるよ」
「ごめん、そういう冗談は反応に困る」
「冗談じゃないぞ」
「もっと反応に困るけど……」
付き合い切れないって感じに眉を伏せる舞浜は、やがて疲れた微笑みをこぼす。
「なんとなくわかっちゃうな。それ、斎院先輩が絡んでたりするでしょ」
「なんでわかった……って、ああ、僕はいつもそうだからな」
「……ごめんなさい。私……古森くんを傷付けること沢山、言っちゃったね」
自己嫌悪に押しつぶされるように自分の体を抱く舞浜。
「言い訳にはならないけど……私は、斎院先輩が羨ましかったから」
彼女の自由な生き方が、という意味に僕は解釈していたけど。
「あの人には、古森くんっていう理解者がいてくれて」
少し、あるいはかなり違っていたようだ。
「私にはそういう人、一人もいないもん。以心伝心に通じ合っちゃって、困っていたら味方になってくれるなんて。羨ましかったから、私にもわけてほしいなーって、あわよくば奪えないかなーって、一年の頃から狙ってたんだ」
地味に衝撃の事実を打ち明けられたが。
「その言い方だと、まるで僕が『朔先輩専用』の何かみたいだな」
「違うの? コウモリくん、でしょ」
「僕はありふれた、平凡な人間だよ、今も昔もずっと。だから…………ぶっちゃけると、少し嬉しかった。変なあだ名で呼ばれてるって知ったとき。特別になれた気がして。周りから特別扱いされる人の気持ちが、多少はわかったような気がして」
「…………」
「結局、お前の言ったことが正しいんだよ。ミューデントじゃなく生まれた僕には、ミューデントに生まれた奴らの気持ちは理解できない。どれだけ傍にいても結局、あの人の苦しみも何もかも、想像するしかできないんだ」
理解しようとはしているけど、たぶんどんなに頑張っても百パーセントにはならない。
「……それだけでも嬉しいよ、私なら」
僕を肯定してくれた舞浜は、何か思い出したように寂しく微笑む。
「初めてミューデントだってわかったときさ……まあ、私や家族を、安心させようとしたんだろうね。病院の先生、『娘さん、人魚です。良かったですねー、当たりを引きましたよ!』……って、悪気もなさそうに言ってきて」
「ひどい医者だな」
「そしたらお母さん、『うちの子は普通です、人魚だなんて呼ばないでください!』だってさ」
「…………」
「ひどい親だとは、思わないよ。ただ、だからこそ私はそれからずっと、普通になりたくて生きていたんだなーって……今になって、なんとなくわかっちゃった」
ないものねだりはみんな一緒。普通に生まれたかったと願う人がいるように、普通じゃなく生まれたかったと願う人も当たり前にいて、何も特別なんかじゃない。
「僕もお前も、普通の人間だよ」
「そうかな……そうだね…………ん~~っ!」
吹っ切れたように立ち上がった舞浜は、大きく万歳して体をほぐしてから、外していた従業員用のインカムを耳にセットする。
「良かったー、こうやって話ができて」
「ああ……つーか、バイトは堂々とサボって怒られないのか?」
「結構前から休憩時間です! ご飯食べる暇なくなっちゃったけど…………ん?」
そこで舞浜の視線が上に向けられる。五メートル、七メートル、十メートル。三段階に設定された飛び込み台の頂上に、人影が見えるのを僕も遅れて気が付き。
「げっ……」
顔をしかめた理由は、そいつの背格好に見覚えがあったから。茶髪に大柄の体。遠目にはサッカー部のエースと似通っているが、実態はいい年のおっさん。一瞬、意趣返しを目的に追いかけてきたのかと身構えたが、向こうはこちらの存在に気付いておらず。
「うへへぇーい! てっぺんから飛び込んじゃいまーす!」
拡声器でも使ったような声が轟く。舞浜を部屋に連れ込もうとした滝沢もどきだ。下のプールサイドには取り巻きもおり、「さっさと飛べー!」「びびってんじゃねえぞぉー!」と野次を飛ばす。全体的に呂律が怪しい。さっきよりも酔いが回っているのは想像に易い。
「今、使用禁止のロープかかってるのに……何やってるんだろ……まったく」
舞浜は呆れ気味。アルバイターとしてはあの馬鹿を止める義務があるのだろうが。
「ほっとけ、行くぞ」
「えぇ、でも、酩酊状態の飛び込みは危険だって、バイトのマニュアルにも書いて……」
「真面目だな、お前」
そもそも注意喚起の暇なんてなく、「ふぅーう!」と奇天烈な雄叫びでダイブ。男の体は重力に従い加速してプールへ吸い込まれた。激しい音と共に大量の飛沫が舞う。下手な飛び込みほど派手に見えるとはよく言ったもの。しばらくして男が水面に浮き上がってくると、プールサイドの取り巻きたちは野卑な笑い声で囃し立てた。
「何が楽しいんだか……」
あんな大人にはなりたくない。僕が心底、反面教師にしていたら。
「……なんか様子、おかしくない?」
と、目を細めているのは舞浜。その視線の先――水面に顔だけ出している男の周りでは奇妙に泡が立ち、水の中に沈んだ両手で、激しくもがいているのが伝わってくる。必死の形相にも見える彼は何事かを叫ぼうとしていた。その口が、「足つった!」「助けて!」と言っているのを辛うじて僕が理解するより先に、舞浜は動いており。
「浮いてー! 落ち着いてー! 暴れないでー!」
溺れている男に大声で呼びかける。マニュアルとやらを読み込んだ賜物だろう、冷静な彼女はそのままプールの隅に走っていき、紐で括りつけてあった救助用の浮き輪――リングブイを手に取ると迷いなく投擲。狙いは正確で、標的に向かい山なりに飛んでいくのだが。