異能アピールしないほうがカワイイ彼女たち

四章 人魚の涙と呼ばないで ⑫

「すいません!」


 僕が息を切らせて向かったのは受付カウンター。

 三十過ぎくらいの男性コンシェルジュは、裸足でいきなり現れた高校生に一瞬、驚いた様子だったけど、「いかがなさいました?」すぐに営業スマイルを浮かべる。


「今、海パンの男三人と、スタッフの制服着た女の子が入ってきたでしょ」

「はい?」

「男の方、何号室に泊まってる奴らですか?」

「申し訳ありません。おっしゃる意味がよく…………」


 冷静に事情を説明していたら、すんなり教えてくれたかも――なんて、さすがにあり得ないだろうけど。少なくとも詰問するように声を荒らげる僕を要注意人物だと認定したのか、コンシェルジュの微笑みには警戒色がにじむのだが。


「ごめんなさい。友人の身に、危険が迫っているんです」


 物腰柔らかな声が横からする。同じ距離を走ってきたはずなのに、呼吸には乱れの一つも感じられず。朔先輩と目が合った瞬間、「……え?」と、僕への態度とは明らかに違う、彼自身も戸惑っている感情が、呆けたコンシェルジュには見て取れた。

 その瞳は掛け値なしに、『魅了』されていると表現するのが相応しい。


「何階かだけでも、教えていただけませんか?」

「え、えーっと……確か、二○三号室のお客様だったかと」

「ありがとう」


 お礼を言うとすぐに階段へ向かう朔先輩。僕はあとに続きながら、


「あ、あの、今のって、もしや……」

「聞かないで、私も余裕ないんだから…………あっ!」


 二階にたどり着いた僕たちが目撃したもの。長い通路の奥で、屈強な男が三人――その中の一人に腕をつかまれた舞浜は「やめてください!」と叫んでいた。

 瞬間、僕の頭の中で何かが切れる音がした。どうかしている。マジでいかれている。


「……朔先輩は、ここで待っていてください」


 無茶しないでとか言われた気もするが、僕は構わずに大股で歩いていく。なるべく平和的にとは思っていたから、いきなり手が出るようなことはなかったけど。


「何やってるんですか、あんたたち」


 嫌悪感を抑えきれない僕に、「え…………こ、古森くん!?」純粋な驚きで目を丸くするのが舞浜。彼女の手首をつかんでいる茶髪の男は、


「ハァ? 誰だよ、てめえ?」


 血走った目で高い位置から僕を睨みつける。吐き捨てた言葉と共に鼻を衝いてきたのはむせ返りそうなアルコール臭。背格好こそ滝沢に似ているが人相は一回り老けている。


「その子の知り合いですよ」


 僕が言った瞬間に取り巻きの二人はゲラゲラ笑い声を上げて、


「見つかっちゃったよ。知らねえからな」「だからやめとけって言ったんだ、バーカ」


 物見遊山めいた台詞を発して壁にもたれている。同罪の自覚はなさそうだけど、幸いにも三人がかりで袋叩きにされる危険性は低そうなので、僕は舞浜の空いている手を取るのだが、「おいおい、どこ行くんだ?」つかまれたもう片方は解放されず。


「離してください。でなきゃフロントに行って警備を呼んでもらいます」

「そんなんでビビると思ってんの?」

「警察って言った方が良かったですか?」

「クソガキがほざいてんじゃねえぞ!」

「そうだよ、ガキなんです。この子、高校生……大事になって困るのはそっちでしょ?」


 この時点でまだ僕は、これはただの低俗なナンパの一種で、たまたま舞浜が標的になっただけなのだと想像していたのだが。


「知ってるぜ。武蔵台学院ってとこだろ?」


 にやついた男がその名前を口にした瞬間、舞浜の小さな肩が震える。


人魚姫マーメイドの舞浜碧依ちゃん、っしょ。いやーびっくり、ホントにミューだったんだ。どーりでいいカラダしてるわけだ。ミューってエロい子ばっかだから大好物なんだよねぇ、俺」


 人を人として見ない。獣欲に塗れた視線で舐め回された彼女は、


「いっぱい写真アップしてて……お兄さん、いつも楽しませてもらってるけど。こんなこと学校にバレたらまずいんじゃない?」

「……っ」


 何も言い返せずにただ顔を伏せる。泣いているのかもしれない。

 単純な話だった。朔先輩に一日でバイト先を特定できるのなら、他の人間にも同じことができないはずがないし、元から例のアカウントは高校まで割れていて。

 全て起こるべくして起こったのだから、予定調和にほかならず。


「どうぞ、お好きに」

「は?」

「バラしたければバラせばいい」


 それで退学になったとしても、個人情報を晒されたとしても、一生残るかもしれない傷を抱えたとしても、向き合わないといけない、舞浜は自分のやったことに。

 そう、なぜなら――


「痛い思いしないと学習しないんだよ! こういう馬鹿な女は特に!!」

 両目を見開いての叫びは我ながら鬼気迫るものがあった。差し詰め、僕の口から理知的な説諭でも飛び出すと思っていたのだろう。「えぇ……?」と、茶髪の男は肩透かしを食らった顔のまま固まる。『馬鹿な女』と一刀両断された舞浜も呆気に取られていた。

 僕が何に対して憤っているかなんて、誰も理解しちゃくれない。当たり前だ。僕は何もしてこなかったから。理解されるのを放棄してきた。大人ぶって達観したふりをして、かっこつけて世間を斜めから見るふりをして――だけど本当は諦めきれなくって。

 もう我慢も限界。今だけ独りよがりになるのを許してほしい。


「ミューデントだとかミューデントじゃないとか、そんなのちっとも関係ないんだ! 一丁前に言い訳に使うな! 人魚だろうとなかろうと、承認欲求拗らせて裏垢で脱ぐ女は山ほどいるし、それに群がってくるクズも山ほどいる……お互いに陳腐なことやってるの、いい加減に学習しろよ! そんな大層なもんじゃないだろ、ミューデントなんて!」


 ――ああ、僕は今かっこ悪いことをしている。

 こんな風に喚いたところで誰も耳を貸してはくれない、何も変わりはしない。

 それでも言わずにはいられない。理性だけでは生きられないのが人間。


「何が『神話の生徒』だ。呼ぶ方も呼ばれる方も認めろよ、大したことないんだって、わかれよ……」


 本当に大したことあるなら、こんな風になるはずない。悩んで思いつめて、自暴自棄になったりしない。神様が作ったわけでも、ましてや伝承の中に生きるわけでもなく。

 不完全で、危なっかしくて、かっこ悪い、ただのちっぽけな人間。だから――


「僕らは何も変わらないんだって、みんなが気付かなきゃ駄目なんだ!」


 世界に喧嘩を売るつもりで放った咆哮は、別の意味で耳目を集めてしまったらしい。いつからそうしていたのだろう、他の部屋に泊まっている客たちが「何事だ?」という顔で、薄く開けた扉越しにこちらの様子を窺っており。


「あの……お客様、いかがなさいました?」


 遠慮がちに話しかけてきたのは、先ほど受付にいたコンシェルジュの男性。僕の叫びが一階にまで木霊したのか、はたまた朔先輩が危険を感じて呼び寄せたのか。タイミング的には後者の可能性が大きい。


「なんでもねえよ……くそっ!」


 尊大な舌打ちと共にようやく舞浜の腕を放した男。そのままコンシェルジュを押し退けて、取り巻き共々に肩を怒らせる。去り際に一度だけ振り返って、


「どうなっても知らねえからな!」


 捨て台詞は舞浜に向かってのものだろうけど、


「だから、好きにしろっての……」


 僕はため息混じりに答える。ごめん、とか細い声を落とした少女の腕をつかんだまま。


 

「あいつ、裏アカのことバラされたくなかったら大人しく従えって。私、怖かった……」

「バラされるのが? 乱暴されるのが?」

「両方」

「ざまあないな……スマホ。今、持ってるか?」

「え? 持ってるけど」


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