第一章 夢結びの御守り ④
ベッドでのたうち回っていた花咲は、目の前の花咲と似ても似つかない。どちらが本物の花咲なのか、とさえ思ってしまう。
それでも一つだけわかるのは――最後の言葉だけは紛れもなく本物だった。
「その質問に答える前に、大事な話をさせてほしい」
「話、ですか?」
話題の変え方が強引だったからだろう。俺がキッパリそう言うと、花咲は眉をひそめた。
だがここで引いてはダメだ。俺は自分を奮い立たせ、まっすぐに見つめ返した。
「これ以上話がこじれる前に……俺が君をどう思っているかを、今ここで伝えておきたい」
「……え?」
花咲の表情が揺らいだように見えた。これほど戸惑いを表に出すのは珍しい。
――朝起きてから今に至るまで、ずっと迷っていた。だが、本当はわかっていたのだ。ここで逃げてはならないと。
もしあの夢が本物だとしたら、今ここで告白しなければ花咲に示しがつかない。これはわかりきったことだ。
そして、仮にあの夢が偽物であり、花咲の好意なんてものが幻だったとしても……それはそれで受け入れるしかない。
この関係を保っていたいなんて、俺の勝手な都合でしかないのだから。
――もし失敗したら。告白なんて、花咲に迷惑じゃないのか。
いや、考えるな。
「君の存在は本当にありがたいと思っている。レッスンの合間を縫って活動に来てくれることも、俺を邪険にせず接してくれることもそうだ。君のおかげで生徒会が回っていると言っても過言ではない」
思考を回すと決意が揺らいでしまいそうで、俺は話し始めた。喉がカラカラに渇いていくのを実感する。
俺の言葉を聞きながら、花咲は神妙な顔で俺を見つめていた。
「だからこそ、ここははっきりさせておくべきだとも思う」
鼓動が速くなるのがわかる。それでもグッと握りこぶしを作り、自分を奮い立たせた。
しかし気のせいだろうか。花咲もまた、ごくりと唾をのみ込んだように見えたのは。
決して目をそらさないよう、花咲をまっすぐに見つめながら、俺は言葉を紡ぐ。
「俺は、君のことが――」
「な~に真面目な顔してるんですか、センパイ」
「……?」
今にも核心に迫ろうとしていた俺の言葉は、おちょくるような口調で花咲に遮られた。途端に気勢が削がれる。
我ながら普段より一段と真剣に話していたつもりだし、ついさっきまでは花咲もそんな雰囲気だったと思う。
だが花咲はいつの間にか、いつも通りのニヤニヤとした表情を浮かべていた。
「確かに御守りは買いましたけど、そんな深い意味なんてないですよ~。言ってみればあれは、モテないセンパイに対するお情けです。あ、もしかして本気にしちゃいました? ワンチャンあると思っちゃいました??」
「…………」
「そうそう、今日は鍵を開けに来ただけで、この後レッスンがあるんです。ということで失礼しますね~」
花咲は早口にそう言い切ると、俺の言葉を待つこともなく、そそくさと部屋を出て行った。
取り残された俺は、呆然とそれを見送ることしかできなかった。
*
「……振られた、か」
その夜。ベッドに横たわった俺は、やはり御守りを手に取っていた。生徒会室での出来事が何度も脳裏にフラッシュバックする。
告白だとか、そういう段階の前に振られてしまった。脈がないことは俺にでもわかる。そして、やはり夢が本物ではなかったことも。
何より驚いたのは、自分が思った以上にショックを受けていたことだ。この結末は覚悟していたはずなのに、その後の生徒会の仕事はまったく身が入らなかった。一緒に帰った陽葵には「なんで昨日より元気なくなってるの!」と怒られ、帰り道で綺麗な石を探す羽目になった。
ただ、告白の前に花咲が話を遮ってくれたのは幸いだった。
ああして冗談として流してしまえば、今後もそれほど気まずくならないだろうし、生徒会の活動も続けられるはずだ。花咲なりに手慣れた告白の断り方なのかもしれない。
ふう。一つ大きく息を吐き、俺は御守りを机に置いた。
きっともう、あの夢を見ることはない。見る必要もないのだから。
そう自分に言い聞かせ、俺はまどろみに身を委ねた。
~~~
「……またこの夢か」
目を開けて広がったのは、三日連続の光景だった。御守りの効果は嘘だったはずなのに。
困惑しながらも立ち上がり、ベッドを整える。そうして待つことしばらく――思った通り、花咲も現れた。きょとんとした表情で俺を見つめる。
二日に一回のサイクルなのか、初日に着ていた可愛らしい花柄パジャマだ。いやそんなことはどうでもいい。
「……うううううう!!」
やはり昨日と同じだ。花咲はしゃがみこみ、頭を抱えてうめき始めた。しかし慣れというのは怖いもので、俺はそれをじっと見守る。
そして、そのうなり声が小さくなってきた頃。
花咲は顔を上げると――目に大粒の涙を浮かべ、俺の足下にすがりついた。
「ごめんなさい違うんです本当にセンパイが好きなんです見捨てないでください!!」
「いや、その――」
「うわあああああああああああああん」
俺の太ももあたりに顔を押し当て、子供のように泣きじゃくる花咲。
その姿を、俺はただ見つめることしかできなかった。
「落ち着いたか?」
「……はい。お恥ずかしい限りです」
消え入るような声が部屋の空気に溶けていく。
花咲は昨日と同じ体勢だ。体育座りで顔を伏せたまま、ベッドの上にちょこんと座っている。
「気にするな。俺もこの夢の中では、普段より理性が働かないという実感がある」
「そう言っていただけると助かります」
そして俺は並ぶようにして、花咲の右隣に腰掛けていた。
これなら花咲の顔を真正面から見ることはないし、花咲も顔を上げやすくなるだろう。
時間も限られている。俺はさっそく本題に切り込んだ。
「昨日の夢で言われたとおり、俺は今日、君に告白しようとした。だがその直前、君は俺の言葉を遮り、俺を振るような形で部屋を出て行った。そう記憶している」
「……そんなつもりじゃなかったんです。ひどいことを言っちゃってごめんなさい」
「気にしなくていい。なら、責めたいわけではないのだが……なぜ俺を振ったんだ?」
「それは……」
俺からすれば当然の疑問だし、花咲もそうわかっていただろう。花咲は相変わらずうつむきながら答える。
「――振られると思ったんです、センパイに」
「え?」
思いもよらない答えだった。思わず聞き返してしまう。
俺が花咲を振る? いったいなぜ?
「今日あの話を切り出された時、私の好意が伝わったんだと思いました。よく考えれば、縁結びの神社に連れて行ってペアの御守りを買うなんて、もはや告白そのものじゃないですか」
「まあ、確かに」
「だから、その返事が来るのかなって」
俺はこの夢を見るまで、花咲が俺を好きだなんて思いもしなかった。だが、普通なら御守りをもらった時点で思い至るのだろう。花咲の判断は俺にも理解できた。
「でもあの時のセンパイ、すごく怖い顔をしてました。それに、神社でも『恋愛に興味はない』って言ってましたよね。だからこう言われると思ったんです。――あくまで俺たちは生徒会役員というだけの関係だ、恋愛感情を持たれるのは迷惑だからやめろ、って」
花咲の声がどんどん弱々しくなっていく。まるで何かに怯えるように。
しかし驚いた。花咲はあの時、そんな風に思っていたのか。
「なら、俺が君に告白する可能性は考えなかったというわけか」
「……まったく考えませんでした。そんな雰囲気全然なかったですし……それまでだって、私がどんなにグイグイ行っても反応が薄くて、手応えもなくて」
「手応え、か」
「恋愛なんて興味ないって雰囲気はずっと変わらなくて。だから、私の好意を悟らせないまま好きになってもらおうとしてたんですけど……今回は、急ぎすぎた、やりすぎたのかなって。だから振られる前にキャンセルして、もう一度やり直したかったんです」
なるほど。そう言われてみれば花咲の話も理解できた。
確かに俺は花咲に、そういう態度を表明し続けてきた。初日の夢で花咲が言ったところによれば、そんな態度を崩すために小悪魔なアプローチをしていたのだったか。
花咲から見れば、そんなアプローチの効果が見えないうちに告白まがいのことをしてしまい、振られると思ったのだ。だから慌ててなかったことにした、と。
だが、言うなれば、俺はとっくに落ちていた。それでも頑として恋愛に興味がないふりをしていたのは――。
そこまで考えて、ふと腑に落ちるものがあった。
「君も俺と同じだったんだな」
「え?」
花咲が少し顔を上げて俺を見る。
「俺はずっと、君に好かれるなんてありえないと思っていた。だから、君に好意を悟られないように振る舞っていた。こんな気持ちが伝わっても迷惑だろうと」
「そんなこと……」
「しかし話を聞く限り、君もそうなのだろう。俺に好かれていると思っておらず、だから好意を隠しながら、小悪魔キャラという形でアプローチしていた。今の関係が壊れるのを恐れていたのは俺も同じだ」
「……そう言われてみると似てるかもですね」
「その結果、お互いに好意がまったく伝わっていなかった」
どちらが先というわけでも、どちらが悪いというわけでもないだろう。俺たちはただ同じことをしていた。
だからこそ、お互いのことを何も理解できていなかったのだ。
「俺たちはまだ、恋人になるべきじゃない」
そんな言葉がふと口からこぼれた。花咲も否定しなかった。
「御守りによって生まれた奇妙な状況で、俺たちは本音をぶつけ合い、両想いだとわかった。だが現実ではそうもいかないから、お互いの本心を測り違え、今日のような結果になってしまった。俺たちは交際へ至る前に、しかるべき順序を踏むべきなのだと思う」
「順序……お互いのことを理解していくってことですか?」
「ああ。現状では、現実の君に俺の気持ちは伝わっていないし、きっと俺は君を理解できていない。このままではまた俺は間違い続け、今日のように君を悲しませてしまうだろう」
だから、と俺は提案した。
「俺は現実で、俺の気持ちを少しずつ伝えていく。君は夢の中で、今日のように、君が現実でどんなことを考えていたのかを教えてくれ。そうして少しずつ、君のことを理解していきたい」
花咲は顔を上げ、俺の言葉を真剣に聞いていた。すべてを聞き届けると、表情を崩す。
「なんというか、センパイらしいですね」
「どういう意味だ?」
「もちろん良い意味です」
花咲はクスリと微笑む。さっきまでの泣き腫らしていた姿はもうない。
いつもの花咲に戻ってくれた、そんな気がした。
「現実でお互いにお互いを理解できたとき、私たちは晴れて結ばれる。そういうことですね?」
「ああ、その通りだ」
「ふふ、なんだかワクワクしてきました。最後には絶対結ばれるんですからね、約束ですよ!」
花咲はそう言いながら、小指を立てた右手を俺に差し出した。
可愛らしい、細くて小さな指。それをじっと見つめる俺を、花咲はニヤニヤとした目で急かしてくる。
躊躇いながらも俺は左手の小指をあてがい、お互いに絡めた。
「もちろんだ」
俺たちは顔を見合わせ、うなずき合った。
花咲の顔には前向きな希望が見て取れる。そしてそれは俺も同じだった。
この試練を乗り越えれば、俺たちは幸せなカップルになれる、そう確信できたのだ。
――こうして、俺たちの奇妙な関係が始まった。