第一章 夢結びの御守り ③

「はい、このサイトに書かれているとおりですね。両親からもそう聞いていますよ」

「へー、そんな神社が近くにあったんだ~。……私もちょっと行ってみようかな」

「神頼みはダメなんじゃなかったのか」「だって、あの花咲夫婦のお墨付きだよ! これはもう行くしかないよ!」


 さっきまでの態度とは一転、陽葵は目を輝かせていた。調子のいいことである。


「森の中にあるから一人では行かないようにな。さて、雑談は終わりだ。そろそろ仕事を始めるぞ」

「は~い」


 俺はちょうどいいところで雑談を切り上げた。なんとかごまかせたようでホッとする。

 だがその後、つつがなく作業を進めながらも、俺はさっきのことを忘れられないでいた。

 花咲の両親の話は真実だった。なら、あの夢は……?


「夢結びの御守り、か」


 その日の夜。俺はベッドで、再び御守りを手に取る。

 俺の夢に出てきた情報が正しかったのはなぜか。ずっと頭を離れなかった疑問に対しては、すでに結論を出していた。

 きっとテレビか何かで昔見た情報を脳が覚えていたのだろう。まったく記憶にないが、夢なのだから深層に眠った記憶が掘り起こされたとしても不思議ではない。

 そう。あくまで夢は夢であり、御守りによって夢に花咲が出てきたわけではない。そんなことはわかっている。


「……期待しているわけではない、決して」


 誰に聞かれてもいないのに、俺はそう言い訳しながら眠りについた。

~~~


「……また俺の部屋か」


 次に目を開けた時、俺はやはり薄暗い自室のベッドに寝ていた。そして同時に、ぼーっとしたような感覚から、ここが夢の世界だと直感的に理解する。

 体を起こし、ベッドを整え、そうして待つこと数秒。案の定というか、花咲が現れた。

 昨日は花柄のパジャマだったが、今日はワンピース型の白いパジャマだ。全体的にフワッとしていて体のラインは見えないが、やはり普段のキチッとした制服とはギャップがあってドキリとする……なんて言ってる場合ではないか。


「……センパイ?」


 花咲は戸惑うように俺を見つめる。強烈な既視感があった。

 ――勘違いするな、やはりこれは俺の妄想だ。夢でも花咲に会いたい、もう一度昨日のような夢が見たい、そんな願望が反映された結果なのだ。

 そして、夢だからといって好き勝手に振る舞ってしまえば現実で気まずい思いをする。まさに昨日思い知ったばかりである。

 ならば今日は、昨日と違い自制心をもって接しよう。煩悩を振り払い、身分相応に夢を楽しもう。そう決意する。

 さて、まずはどう声をかけようか。そんなことを考えていた、その時。

 ――突然、花咲が頭を抱えて唸り出した。


「ううううううっ!!」

「なっ……大丈夫か!?」


 そのまま花咲はしゃがみ込んでしまった。予想だにしなかった展開に戸惑う。

 だが、「ストップ」を示すかのように、花咲は右の手のひらを俺に突き出した。


「待ってください! センパイはステイでお願いします!」

「あ、ああ」


 明らかに苦しそうだが、そう言われてしまえば見守ることしかできない。

 花咲はその姿勢のままひとしきり唸り続ける。しかし、少しずつ声が小さくなっていく。

 やがて落ち着き、しばらく時間が経った頃――花咲は顔だけを上げ、恐る恐る俺を見た。


「もしかしてセンパイは……本物のセンパイですか?」

「……そうだ」


 消え入りそうな小さい声だ。変な質問だが、その意味するところはすぐに理解できた。


「……昨日の夢でもお会いしましたよね?」

「ああ、したな」

「夢の中で、私の両親が夢見神社で結ばれたことを話しましたよね?」

「ああ、聞いた」

「生徒会の時に言ってたのはそのことですよね?」

「その通りだ」

「――っ!!」


 すべてを理解したのだろうか。花咲は息をのみ、目を見開く。その目からは光が消えていた。

 それからおぼつかない足取りで立ち上がると――体を投げ捨てるようにして、俺のベッドにダイブした。


「うわあああああああああああああああああああああ!!!!」

「お、おい」


 花咲は叫びながら、ベッドの上でぐるんぐるんとのたうち回っている。それはもう、ものすごい勢いで。


「止めないでください!! 止めたら舌を噛み切って死にます!!」

「落ち着け、その状態でしゃべったら本当に舌を噛むぞ」

「確かにそうですね。ああああああああああああああああ!!!!」


 律儀に従って意味を持たない絶叫に切り替える花咲。頭の中では理性と感情が闘っているのかもしれない。

 果たしてこれは夢なのか、それとも現実なのか。

 俺はただ、転げ回る花咲を見つめることしかできなかった。


「落ち着いたか?」

「……はい。取り乱してすみません」


 花咲は散々暴れ回った後、ガソリンが切れたかのようにおとなしくなった。

 今は俺のベッドの上で体育座りをしている。下を向いて額が膝に当たるほど小さく縮こまっており、顔は見えない。


「さっきのことはもう気にしてないから、顔を上げてくれると――」

「無理です。よく考えたら今すっぴんなんです」

「……すまん。ひとまず状況を整理しよう」


 昨日もそうだったが、現実での花咲と違いすぎて調子が狂う。

 いや。そんなことより、真っ先に確かめなければならないことがあった。


「俺が本物であるのと同様に、君も本物の花咲である。間違いないな?」

「……はい」


 消え入るような声で、しかしはっきりと答える花咲。

 信じがたいことだが、やはりそうらしい。俺は考えを話していく。


「ここは夢の中であるはずだが、俺は俺としての人格や記憶が明瞭にあり、君も同じ。言ってみれば、俺たちは夢の中で会っていることになる。これが御守りの効果……なのか?」

「そうとしか考えられません」


 神社の看板に書かれていた伝説を思い出す。美しい姫君と庶民の男が恋をし、離ればなれになるも、夢見神社で永遠の愛を誓ったことにより、それから毎日夢で会えるようになった。

 そんな伝説から派生して、「運命で結ばれた二人がペアの御守りを買えば、毎日夢で会えるようになる」という御利益が説かれているのだったか。

 細かいところは置いといて、まさしく俺たちの身に起こっていることだ。

 だが、不可解なことが一つある。


「そして俺は、昨日の夢を現実でも覚えていたが――」

「私は全っ然覚えてなかったですよ! なんでセンパイだけ覚えてるんですか! こんなの不公平です!」


 花咲は顔を上げないまま、手でバンバンとベッドを叩いて抗議する。

 そう、こんな話は伝説になかった。俺だけが夢の記憶を現実でも保持しており、花咲は保持していない。不公平、というか非対称に感じる。

 とはいえ、原因を考えることに意味はないだろう。こうして夢の中で会っていること自体不可解なのだから。


「俺がどうこうしているわけでもない。そういう仕組みだと納得するしかないだろう」

「……うぅ」

「それより、今のうちに確かめたいことがある」


 この夢が昨日と同じならば、しばらくすれば俺の意思とは関係なく意識が薄れ、夢から覚めてしまうだろう。体感で言えば、夢の時間は五分ほどだろうか。

 だとしたら、それまでに決着をつけなければならない。俺は勇気を出して尋ねた。


「昨日の君が本物なら、言っていたことはすべて本心なのか?」

「――っ!」


 花咲の両肩がピクリと跳ねた。黙り込む花咲に対し、俺は固唾を吞んで言葉を待つ。

 ……そして、俺の問いかけからたっぷり十秒は遅れ、花咲がついに顔を上げた。涙目だった。


「何ですか! 私がセンパイのことを好きで悪いですか!」

「いや、そうは言ってないが――」

「そうですよ! ずっと隠してたんですよ! どうせ私は告白もできない意気地なしですよ!」


 花咲の中で何かが吹っ切れたようだ。興奮に任せてまくしたて、顔が赤くなっていく。


「落ち着け、それを言うなら俺だって――」

「全っ然違います! 私はずっと小悪魔ムーブかましてたんですよ! あんなに余裕そうにしてたのに、本当は好きって! 大好きって!!」

「いや、その――」

「なのになんで好きだってバレちゃうんですか! 聞いてないですよ! しかも現実の私なんて、何も知らないまま小悪魔ムーブ続けてるし……うわああああああああああああ!!」

「転がるな転がるな」

「……失礼、取り乱しました」


 また暴れ始めたかと思えば再び静止し、小さく丸まって座る花咲。

 プシューッと顔から蒸気を出し、耳の先まで真っ赤になっていた。こういう他人の姿を見ると逆に冷静でいられるから不思議である。

 ……それにしてもこれが花咲とは。人前でのお淑やかな態度とはもちろん、俺と二人のときの態度ともまったく違っている。やはり容易には信じがたい。

 すると花咲が目だけを上げてチラッと俺を見た。


「両想い、なんですよね?」

「…………」


 その目には強く訴えるものがあった。

 正直今でも信じられないが、目の前の花咲を見れば信じるしかない。花咲は俺のことが好き、しかもこれだけ取り乱すほどに。

 花咲が本心を伝えてくれた以上、嘘はつけない。


「ああ。俺の言葉も本心だ」


 昨日の言葉が本物なのは俺も同じ、そう伝える。花咲は変わらず力強い目で俺を見据えた。


「それならやることは決まってるじゃないですか」


 花咲がそう言うと同時、意識が遠のくような感覚が襲ってきた。

 それは花咲も同じなのだろう。俺をじっと見つめ、最後の気力を振り絞るように叫ぶ。


「センパイは二十四時間両想いなのに、私は夢の中だけなんてズルいです!! ちゃんと現実でも告白してください、センパイ!!」


 冷静さを失った花咲の叫び声を聞き届け、俺の意識は薄れていった。

~~~

 その日。生徒会室に向かう足取りは、昨日と同じくらい重かった。もちろんその理由は、「告白してください、センパイ!!」という花咲の言葉が耳に残っていたからだ。

 ――生まれてこの方、恋愛というものには縁がなかった。彼女などいたことがないのはもちろん、女子に告白したこともない。その行為には心理的な抵抗があるし、怖い。

 とはいえ夢での花咲を見れば、告白の成功は約束されている。気楽にいけばいい、と考えるべきかもしれない。

 だが――まだ疑いはある。

 夢の中では、あれが本物の花咲だという前提で話を進めていた。確かに伝説通りのことが起こってはいる。二日連続で同じような夢を見るなんて初めてだし、偶然とは思いがたい。

 しかし今でも、そんなことあるわけがない、という気持ちは消えない。

 まるで本物のように振る舞う昨日の花咲まで含め、俺が作り出した都合の良い妄想なのではないか。そう考えた方がはるかに自然だろう。

 もしそうだとしたら……今日ここで告白なんてしてしまったら、今後の生徒会活動はずっと気まずくなってしまうだろう。俺が傷つくだけならともかく、花咲や陽葵に嫌な思いをさせるのは避けたい。

 いやどうだろう。告白されるくらい、花咲にとっては慣れたことなのだろうか。俺には住む世界が違いすぎて何もわからない。


「さて……」


 朝起きてからずっと考えているのに、答えが出せないうちに生徒会室の前まで来てしまった。扉に手をかけてもなお、その迷いは消えない。

 そうだ、夢での花咲の言葉は聞こえなかったことにすればいい。もしまた同じ夢を見たら、もう一度花咲が本物かどうかを確かめて――。


「先輩?」

「――っ!」


 突然後ろから声をかけられ、背筋が伸びた。

 振り返ってみれば、声の主は言うまでもなく花咲だ。陽葵は部活なので今日は一緒にいない。

 そして花咲は、扉の前に突っ立っていた俺に怪訝な目を向ける。


「ああ、俺が先だったか。今日は遅かったな」

「ちょっとHRが長引きまして。っていうか何ぼーっとしてるんですか。鍵なら取ってきましたよ」


 そう言いながら花咲は生徒会室の鍵を開けた。花咲のクラスの方が早く終わることが多いので、基本的には花咲が鍵を取りに行くことになっているのだ。

 そうして花咲が部屋に入り、俺も続く。そして俺が扉を閉めると――花咲が振り返った。

 やはり二人きりになるとこうだ。口角を上げ、ニヤリと目を細める。


「私見ちゃったんですよ。センパイってば、ドアに手をかけたままフリーズしてましたよね? いったい何を考えてたんですか?」


 ……バレていた。花咲のことを考えていただけで後ろめたい気がしてくるから不思議だ。


「別に、大したことじゃない」

「いやいや~、自分を奮い立たせてる感じでしたよ。やっぱり、今日は私と二人きりだからですからね?」

「……最近は君との接し方がわからなくてな」

「え~、ひどいです。でも本当は、やっぱり意識しちゃってるんじゃないですか?」


 花咲はそう言いながら、昨日と同じように御守りをポケットから取り出した。

 おもむろに目の位置まで掲げ、ゆらゆらと揺らす。


「昨日はいいところで中断されちゃって、ずっと気になってたんですよ。だからもう一度聞きます。もしかして夢に私が出てきたんですか? 昨日言い淀んでたのは……はっ! まさか夢の中で私に言えないようなことを??」


 昨日より踏み込んだ質問を、花咲は興味津々という様子で俺に尋ねる。からかいを含んではいるが、まるで占いの結果を待つような、純粋な好奇心が強いようにも見えた。

 夢で聞いた話によれば、目の前の花咲は夢のことを覚えていない。だからここで「そんな夢は見ていない」などとごまかすのは簡単だ。だが。

 改めて、夢での出来事を思い出す。