第一章 夢結びの御守り ②

「これは夢……夢だから何をやってもセーフ……」

「うん?」


 花咲は俺の呼びかけに答えずに立ち上がった。

 何やらブツブツとつぶやいているがよく聞こえない。足取りはふらふらしており、どこか目は虚ろなように感じる。


「花咲?」


 そんな調子のまま俺のすぐ前まで来た花咲は、ぼんやりとした目で俺を見上げる。

 すると次の瞬間。

 ――目に生気を取り戻し、その細い腕で力強く俺の体を抱きしめた。


「センパイは全然わかってません! 私だってセンパイのことが大好きですから!!」


「んなっ……」


 突然の事態に体が硬直する。言葉の意味もすぐにはのみ込めなかった。

 花咲は俺の首元に顔をうずめており、その表情は見えない。


「センパイこそ何なんですか! こんなに可愛い後輩がアプローチしてるのに、もっと照れたりしてもいいじゃないですか! 表情筋死んでるんですか!」

「いや……」

「小悪魔キャラだってそうです! 狙ってギャップを作ってるのも、センパイに振り向いてもらうためなんですからね! なのにセンパイには全っ然効かないし!」

「それは……」

「今日行った神社、私の両親が結ばれた神社なんですよ! ちょっと強引に御守りを買わせたのだって、センパイと結ばれるためですから!」

「…………」

「だから――ちゃんと私のことを好きになってください、センパイ!!」


 そこまで一気にまくしたて、花咲が俺の体を離した。

 さすがに俺がへたり込むことはなく、俺と花咲の視線がぶつかり合う。花咲の目は潤んでいるようにも見えた。

 ――わかっている。これは花咲の本心ではない。すべて俺の妄想だ。

 それでも、今だけは夢心地でいたい。その思いを誰が止められようか。

 俺たちは再び無言でにじり寄り――全身でお互いを強く抱きしめ合った。


「ならば何度でも言うぞ! 俺は君が好きだ!」

「何言ってるんですか! 私の方がセンパイのこと大好きですよ!」

「そんなわけあるか! 最近なんて授業中もずっと君のことを考えているぞ!」

「まだまだですよ! 私はいつだってセンパイとのイチャイチャを妄想してます!」

「それなら俺は――」


 ありったけの力を込め、その存在を確かめるように花咲を抱きしめる。バクバクと脈打つ鼓動は俺のものか、それとも花咲から伝わってくるものか。

 お互いとんでもないことを言い合っている気もするが、ここは夢の中。恥も外聞も関係ない。


「「これが夢じゃなければいいのに……」」


 最後に同じ言葉が重なったのはきっと気のせいだろう。

 大声で叫び合ううちに、俺の意識は遠のいていった。

~~~


「……合わせる顔がないな」


 翌日の放課後、HRを終えた俺は生徒会室に向かっていた。しかしその足取りは重い。

 ――朝起きてからも、夢での記憶ははっきりと残っていた。花咲のパジャマ姿も、抱きしめた感触も、お互いの小っ恥ずかしいセリフも、すべて。

 朝起きてから調べてみたが、夢の中だと自覚しながら見る夢を明晰夢と呼ぶらしい。

 その夢には直近の記憶だけではなく、夢の中にいる自分の意思や願望が反映され、夢を思い通りに動かせることもあるのだとか。

 だとしたら、夢に花咲が出てきたのは神社での記憶の影響であり、それ以降の展開は……俺の願望と言えるだろう。

 俺と花咲が釣り合わないことくらい、誰に言われずともわかっている。

 それなのに、俺のことを大好きだと叫ばせ、あげくには抱きしめ合った。夢の中とはいえ花咲にあんなことをさせてしまった。そんな罪悪感が頭にこびりついている。

 ……夢は夢であり、現実と混同してはならない。今日もこれまで通り、そんな思いなど微塵も表に出さないで過ごそう。

 そう自分に言い聞かせ、俺は生徒会室の扉を開いた。


「あ、お兄ちゃん! やっと来た!」


 すると、パイプ椅子に座っていた女子生徒が俺の方を向き、元気な声を上げた。その生徒とは日下部まり、一つ年下の妹だ。

 陽葵は立ち上がると、同学年の中でも小さめな体を揺らし、とてとてと俺の元にやってくる。

 そして、俺に向けて掲げるように手を差し出した。手には何かが載っている。


「見てこれ! すっごく丸くて綺麗な石! いいでしょ~」

「……まあ、綺麗だな」

「むー。今日もリアクションが薄~い」


 陽葵は拗ねるように俺を睨むが、文句を言われても困る。

 確かにその石は美しい楕円形をしていた。しかしそれ以上どうコメントすればいいのか。


「あー……これはどこで拾ってきたんだ?」

「休み時間に中庭でご飯食べてた時に見つけたんだ~。最後はみんなでもっと綺麗な石を探したんだけど、全然なかったよ。だからこれがナンバーワンの石なんだよ!」

「そうか。平和で何よりだ」

「あ、今私のことバカにしたでしょ!」

「いや、まったく」


 高校生になっても言動が少し子供っぽいのは気になるが、このままでいてほしいと思うのもまた事実だった。これも陽葵の魅力だろうから。

 陽葵は性格が明るく、いつも友達に囲まれている。校庭で一緒に綺麗な石を探してくれる友達なんて、なかなか得がたいものだと思う。妹ながら俺に似なくて本当に良かった。

 すると陽葵は、その石を俺の右手に押しつけた。


「おめでとうございます! なんとこの綺麗な石を、お兄ちゃんにプレゼントします!」

「俺に?」

「だってお兄ちゃん、朝から元気ないからさ。これで元気出してね!」

「……そうか。ありがたく受け取っておく」


 よく見れば、その石はちゃんと水で洗われていた。石をもらっても困るのだが、なんだか元気が出てくるのだから不思議だ。陽葵と話していると心が洗われるような気さえしてくる。

 しかし昨日のことといい、俺に何かを押しつけるのが流行っているのだろうか。

 そんなことを考えながら石をポケットにしまうと、部屋の奥にある資料室から人影が現れた。


「先輩、こんにちは。先ほど聞こえてきたのですが、今日は体調が優れないのですか?」

「うーん、体調不良とはちょっと違うんだよね~。顔に生気がないというか、目が死んでるというか。あ、それはいつも通りか」

「余計なお世話だ」

「ふふ、ご無理はなさらないでくださいね」


 現れた花咲は、口元に手を当てて上品に笑みを浮かべた。

 陽葵と花咲は同じクラスで、一緒に来て生徒会の鍵を開けることが多い。タイプは違うように思えるが、こうして仲良くやっているようである。

 そして花咲は、資料がぎっしり詰まっていそうなファイルを手に持っていた。


「そのファイルは?」

「過去五年間の定例会議資料を持ってきました。資料作成に役立つかと思いまして」

「なるほど、それはありがたい」

「今日は久しぶりに三人揃っていますし、一気に作業を進めてしまいましょう」


 花咲の言うとおり、この三人が主要メンバーだ。会長の俺、会計の花咲、そして庶務の陽葵。

 ちなみに俺と同学年に副会長と書記もいる。滅多なことがない限り活動には来ないが、その分は俺が働いているので特に問題はない。


「ですが、その前に」


 花咲はファイルを机に置くと、陽葵の方を見た。陽葵はきょとんと首を傾げる。


「そこに積まれているプリントは、陽葵さんが片付ける予定でしたよね。いつかやる、と言って随分前から後回しにしていましたが」

「あ! ……えへへ、忘れてた」

「今日の活動を始める前に片付けてしまいましょう。手伝いませんからね」

「はーい。千春ちゃんは厳しいな~、お母さんみたい」

「ふふ、次からは言われる前にやってくださいね」


 陽葵が軽口を叩き、花咲は上品さを保ちながらも冗談交じりに返す。そうして陽葵はプリントを手に取り、資料室へと入っていった。

 ――必然、俺と花咲の二人きりになる。

 この隙を花咲が見逃すはずもない。花咲は俺の前まで来て、ニヤニヤと上目遣いに俺を見た。


「陽葵ちゃんは元気がないって言ってますけど……もしかしてセンパイ、昨日のことを意識しちゃってるんじゃないですか?」


 陽葵に聞こえないよう、花咲はささやくように言う。

 そしてそう言いながら、ポケットから赤い御守りを取り出した。


「持ってきたのか」

「はい。誰にも見せてないですけどね~。面倒なことになりそうですし」

「なら最初から買わなければいいだろうに」

「それとこれとは違うんです! でも残念ながら、昨日は夢を見ませんでしたね~。センパイはどうでしたか? 夢で私に会いたかったですよね? 会えましたか??」

「……それは」


 その素朴な問いに、俺は言い淀んでしまった。のみならず、思わず目をそらしてしまう。

 ――花咲はいつも通りだ。どこか挑発的な笑みも、馴れ馴れしく踏み込んでくる態度も、昨日の延長線上にあるもの。

 なのにその姿を直視できない。別物だとわかっていても、夢で見た姿を重ねてしまうのだ。

 無防備で、素直で、俺のことを大好きだと言ってくれた花咲の姿を。


「……え、どういう反応ですかそれ?」


 そんな俺を見て、花咲は怪訝そうに眉をひそめる。

 だがそこで、陽葵の「終わったよ~」という声が聞こえてきて、花咲はしぶしぶといった様子で俺から距離を取った。正直助かった。


「こういう片付けってやり始めたら案外すぐだよね~。で、今日は何をするの?」

「ああ、先生から頼まれている緊急の仕事などはない。そこで今は、生徒会が毎年作成する資料をテンプレート化している」


 片付けを終えてこちらに戻ってきた陽葵に、これまで俺と花咲の二人で進めていた仕事について説明する。


「今この作業をやっておけば、俺たちだけでなく今後代々の生徒会役員の手間が減る。大変意義深い仕事だ」

「うわー、めんどくさ……いかにもお兄ちゃんが好きそう。頑張ってね!」

「もちろん君もやるんだぞ」

「は~い。で、昨日はどこまで進んだの?」

「いや、昨日は何も手をつけていないな。見回りに行っていた」

「そうなの!? 私も行きたかった~」


 陽葵は唇を尖らせて抗議の声を上げた。陽葵は見回りを何か勘違いしているらしい。


「先月、見回り中に買い食いして見回り同行を禁止されたのは誰だったかな」

「……やっぱりバスケの方が楽しいし、行かなくてよかったかも~」


 陽葵は目をそらしながらうそぶいた。調子のいいことだ。

 ちなみに陽葵は女子バスケ部に入っている。陽葵は背を伸ばしたいと言ってバスケを始めたのだが、肝心の身長は一向に伸びず、しかしその小さな体を活かして俊敏なドリブラーになっているらしい。

 個性を活かせていて良いと思う。そう言うと陽葵には「背の高いお兄ちゃんにはこの気持ちがわからないんだよ」と言われるのだが。


「それで、昨日はどこ行ってたの? 駅? ショッピングモール?」

「夢見神社だ」

「え? 神社?」


 陽葵は合点のいっていない様子で聞き返す。


「ああ。恋愛成就の神社で、うちの生徒がたむろしているという噂を聞いてな。知らないか?」

「へー、全然聞いたことないや」


 陽葵はあっけらかんと答える。

 花咲と陽葵は同じクラスで、こういう噂話は陽葵の方が好きなはず。とっくに知っているものだと思っていたが、少し意外だ。

 すると陽葵は腕を組み、ジトッとした目で俺を見てきた。


「お兄ちゃん、恋愛で神頼みなんてしちゃダメだよ。その前に頑張れるところがいっぱいあるよ。外見とか内面とか」

「……いや、俺自身の恋愛祈願に行ったわけではない。うちの生徒がたむろしていると聞いただけだ」

「わかってないな~。恋愛っていうのはね、自分の力で成し遂げなきゃ意味がないんだよ。うちの高校も地に落ちたもんだね」


 やれやれ、とわざとらしいポーズで偉そうに言い捨てる陽葵。

 果たしてどの立場で言っているのだろう。陽葵も彼氏がいたことはないはずなのだが。


「神社に何の恨みがあるかは知らないが、そう悪いことでもないだろう。例えば花咲のご両親は、この神社を訪れたことをきっかけに結ばれたそうだ」

「えー! かすみんと大ちゃんが!?」

「ああ、そうだよな?」


 ちょうど昨日聞いたばかりの話だ。俺は確かめるように花咲を見た。

 しかし、花咲は怪訝な様子で首を傾げる。


「私、そんなことお話ししましたっけ?」

「ああ、きの、う……」


 そう言いかけて、俺は自分の失態に気づいた。

 ――しまった、その話を聞いたのは夢の中だ。

 花咲が俺に告白したときに口走っていたものであり、つまりは俺の妄想。真実ではない。

 背中に嫌な汗が流れてくる。花咲から見れば俺は、何の脈絡もなく見当違いなことを言っているだろう。まさか「夢で花咲が言っていた」とは言えない。

 どうすればごまかせるだろうか。焦りながらそう頭をフル回転させたところで……。


「あ、ホントだ!」


 俺が何か言うより前に、陽葵が声を上げた。

 それから俺たちにスマホの画面を見せた。開かれていたのは、テレビ番組を文字に起こしたサイト。俺は急いで内容を把握する。


「十年前の旅ロケで大ちゃんが言ってる!『僕たちの縁を繋げてくれた神社です』だって!」

「ああ、これだ。昨日調べてみたらこの記事が出てきて、花咲に聞こうと思っていた。これは本当なのか?」


 思わぬ助け船だ。まったくの嘘だが、俺は咄嗟にそうごまかした。

 それを聞いた花咲は納得した様子で答える。