第一章 夢結びの御守り ①
放課後、俺と花咲の二人で見回りをすることになった。
生徒会活動は基本的に生徒会室で行われるが、顧問の外村先生に許可を取ればこういった活動も珍しくない。近所のショッピングモールやゲームセンターを巡回し、羽目を外して迷惑をかけている生徒を注意するのだ。
そして今回もその類いだと思っていた……のだが。
「目的地はここでいいのか?」
「はい、ここです」
花咲に案内されてやってきたのは――小さな神社だった。
学校を出て、都会の喧噪から離れ、普段はまず立ち入ることのない山へと入っていった。山道を進み、「夢見神社」と書かれた鳥居をくぐり、たどり着いたのがここである。
境内はしんと静まりかえり、木造の社が自然の中に調和している。雰囲気はあるが……。
「本当にうちの生徒がたむろしているのか? あまりイメージがつかないのだが」
「実はこの夢見神社、女の子たちの間で縁結び神社として密かな人気なんですよ。その看板を読んでみてください」
花咲は、これまた雰囲気のある木の看板を指さす。
書かれていたのは神社にちなんだ伝説。要約するとこうだ。
――平安時代、美しい姫君が庶民の男と恋に落ちた。だが二人の恋が発覚したとき、身分の違いからその恋は許されず、離ればなれにさせられてしまう。別れの日、二人はこの神社で永遠の愛を誓った。
その日から二人は会えなくなったが、しかし夢の中で毎日会うことができた。二人は毎日愛を語り合い、運命の糸で強く結ばれたまま生涯を共にしたのだった――。
「この伝説から派生して、『お参りすれば片想いの相手と毎日夢で会うことができる』『運命で結ばれたカップルでお参りすれば、その二人の愛は永遠のものとなる』といった御利益があるとされています。一年生の間でもちょっとしたブームになっていましたよ」
「……なるほどな」
多感な思春期、恋に悩む生徒は多いだろう。学校からそれほど遠くもないし、噂を聞いて集団で訪れた生徒がいたのかもしれない。
しかしその話を聞いて、一つ気になることがあった。
「それなら花咲は……その……」
「なんですか?」
言いよどむ俺に花咲は首をかしげる。少し聞きにくいが、これも花咲のためだ。
「俺と一緒に来てよかったのか?」
「と、いうのは?」
「だから、ここに二人で来るということは……そう勘違いされかねないだろう」
言っているうちに自意識過剰な気がしてきて語尾が弱まる。
いくら同じ生徒会役員とはいえ、本来は恋人同士で来るところだ。もし誰かに見られてそう勘違いされては、花咲にとって不名誉だろう。そう思ったのだが……。
「あれ~? もしかしてセンパイ、私のこと意識しちゃってます~?」
「……っ」
花咲は待ち構えていたかのように俺の顔を覗き込んだ。その顔に浮かぶのは、あのニヤニヤとした笑みだ。
まずい、と脳が警告を発した時にはもう遅かった。
「まあ仕方ないですよね~。可愛い後輩と二人きり、しかも誰もいない山奥! 何かされたら助けも呼べませんし、やりたい放題です。ってセンパイ、こんな所に連れてきて何するつもりですか!? 職権乱用ですか!?」
「……そもそもここに俺を連れてきたのは君だろう」
「あ、そうでした。まあつまり、勘違いしなでくださいね? 今回はただの見回りですから」
表情をコロコロ変えながら、矢継ぎ早に言葉を浴びせてくる花咲。つまるところ花咲は、こうして俺をからかうために見回り先を選んだのだろう。
職権を乱用しているのはどちらなのか。俺はため息をついた。
「君が周りにどう見られるかを心配しただけだ。俺自身は何も気にしていない」
「え~ホントですかね~。じゃあ試してみます?」
花咲は挑発的にそう言うと、俺を手招いた。向かった先にあったのは御守り売り場だ。
机に御守りが並べられており、値札が置かれている料金は賽銭箱に入れるシステムのようだ。
「ほう、こんな無人神社でも売られているんだな。盗まれないか心配になるが」
「安心してください。ちゃんとあそこに防犯カメラがついてますから」
そう言われて見上げると、木の上にカメラが取り付けられていた。ちょっと雰囲気が壊れた。
「運命で結ばれたカップルがこの御守りを買えば、その運命は永遠になるそうです。さっき話したとおりですね」
「ふむ」
並んでいる御守りはどれも、ペアでデザインが一対になっている。カップルで買うことを前提に作られているのだろう。
すると花咲は机から、セットになっている赤と青の御守りを手に取った。
「というわけで、買いましょう!」
「なっ……」
「私のことを意識してないなら問題ないですよね~?」
二つの御守りを掲げ、その間からニヤニヤとした視線を向けてくる花咲。
お揃いのものを買おうということだろうが……さすがに一線を越えているように思えた。
花咲が俺をからかってくるのは珍しくない。だがいつもなら、さっきのやりとりまでで終わるところだったと思う。
今回はいつにも増して押しが強い。そう感じるのは気のせいだろうか。
「いや、わざわざ疑われる原因を増やす必要はないだろう」
「学校に持ってこなければバレませんって。そんなことより、伝説通りなら毎晩夢で私に会えるかもしれませんよ! これはもう買うしかないですよね!」
「なぜ夢でまで君と会わなければならないんだ」
「え~、私じゃ不満なんですか? こんなに可愛い後輩なのに?」
わざとらしくぷくっと膨れる花咲。その自信はどこから来るのだろう。
「あ、私わかりましたよ! センパイは年上好きなんですね? じゃないとおかしいですもん」
「……この話はもう終わりでいいか?」
「ふふ、センパイは恥ずかしがり屋ですね。タイプは聞かないことにしてあげます。が、何にしてもです」
そう言いながら花咲は青色の御守りを押しつけてきた。俺は仕方なく受け取る。
「センパイは女っ気がなさすぎて、私から見ても不安になるんですよ。後輩を心配させるなんて生徒会長失格だと思いませんか?」
「それは君の余計なお世話だ」
「でももう大丈夫です。これを買えばきっと、センパイの恋愛運もアップしますよ!」
「ならやはり必要ないな。俺には縁のないことだ」
「……どういう意味ですか?」
俺は深く考えずに答えたが、そう返す花咲の声はそれまでの軽い調子と違っていた。
まるで心まで見透かそうとするように、真剣な様子で俺の目を覗き込んでくる。
「それは……」
――恋愛運も何も、俺を好きになる人間など誰もいないだろう。君のような人気者にはわからないかもしれないが、住んでいる世界が違うのだから。
さすがにそう口には出せなかった。かといって取り繕う言葉もすぐには見つからず、視線がぶつかること数秒。
俺はため息をついた。
「……わかった。そこまで言うなら買おう」
「おおー! ついにセンパイにも春が訪れますよ! 感慨深いですねぇ」
「誰目線なんだ君は」
さっきまでの真剣な様子が嘘のように、花咲ははやし立てる。相変わらず何を考えているのか掴めない。
まあ、こんな態度ではあるが、花咲だって俺のことを思って言ってくれている……のかもしれない。
いや、単に面白がっているだけな気もするが、わずかに存在するであろう厚意を無下にするのもためらわれた。
俺は財布を取り出し、千円札を賽銭箱に入れる。花咲は満足そうな笑みを浮かべた。
「ふっふっふ。私もセンパイを応援しておきますね」
花咲は当然のように、同じデザインの赤い御守りを買っていた。花咲はニヤニヤと窺うように俺を見るが、反応しては負けだと思い、黙って御守りをポケットにしまう。
……結局その日、うちの生徒どころか一般客が来ることもないまま、見回りは終わった。
*
その日の夜。いつも通りの時刻に就寝の準備が終わり、俺はベッドに横たわっていた。
神社で買った御守りを右手で掲げてみる。ただの青い袋、それ以上のものではない。今更ながら千円を使うにはもったいなかった気もしてくる。
「……夢の中で相手と会える、か」
神社の伝説を口に出してみるが、信じる方がどうかしている。花咲の口車に乗って買ってしまった、それだけだ。
「馬鹿馬鹿しい」
俺はそう小さくつぶやくと、御守りを枕元に置いて電気を消し、眠りについた。
~~~
「……何だ?」
目を覚まし、ベッドの上で体を起こした俺は、思わずそうつぶやいていた。
目に映るのは就寝時と同じパジャマ、同じ布団。顔を上げれば、カーテン越しの街灯が部屋をほんのりと照らしている。
夜中に起きてしまったと考えれば何もおかしくはない。だが、何か違和感があった。
頭がぼーっとするというか、体が熱っぽいというか、そんな感覚。かといって体調が悪いのかというとそれも違う気がした。
ベッドから出て立ち上がり、軽く体を動かしてみる。この違和感の正体を突き止めよう、そう頭を働かせようとしたとき――突然、聞き慣れた声が部屋に響いた。
「……センパイ?」
声がした方を見て、俺は目を見開いた。
そこには花咲が立っていた。戸惑うように、不安げな目で俺を見つめている。
しかしいつもと大きく違うのは、制服ではなくパジャマを着ているところだ。
花の模様が敷き詰められたデザインは花咲のイメージ以上に可愛らしい。その姿は無防備で、見てはいけないものを見ているような気がしてくる。
そうして事態がのみ込めてきたところで、俺は自嘲気味につぶやいた。
「……伝説なんかに影響されたのか、俺は」
そう、これは夢だ。
夢は現実の記憶を脳が整理する中で見るものだ、と聞いたことがある。つまり俺は、昼間の神社での出来事に強く影響され、奇しくも伝説通りの夢を見てしまったわけだ。
我ながら自分の単純さに呆れてしまう。
「……センパイ?」
もう一度声をかけられ、ハッとする。気づけば俺は花咲の顔をじっと見つめていた。
つややかな髪、パッチリと大きな目、少し赤くなった頬、潤いを持った小さな唇。当然ながら、現実でこうもまじまじと顔を見つめることはない。
なおも不安げに俺を見る花咲を見ながら、俺は素直に謝った。
「すまない。君に見惚れていた」
「みとっ……!?」
花咲は動揺するが気にならない。この瞬間、俺は不思議な精神状態にあった。
――そう、ここは夢の中。
まるで本物にしか見えない花咲も、その可愛らしい寝間着も、すべては俺の脳が作り出した幻だ。ここで何をやっても現実に影響することはない。
だとしたら――普段抑え込んでいる感情を発露させたとして、一体誰に責められようか。
「センパイ……?」
上目遣いの花咲をまっすぐに見つめながら、俺は花咲の目の前にまで歩み寄る。
そして、俺と比べれば小さなその体を――思い切り抱きしめた。
「一体なんなんだ君は! 可愛すぎるだろうが!!」
「ふぇっ!?」
力が入りすぎただろうか。声にならない声とともに花咲の体がビクリと跳ねる。
それでも俺は止まれなかった。
「ひと目見たときから可愛いとは思っていたが、会うたびにその愛しさが増していく! 美人は三日で飽きるなんて大嘘じゃないか!」
「ほわっ……」
「容姿だけじゃないぞ! 品のある振る舞い、分け隔てない優しさ、こまやかな心配り! そりゃあ人望が厚いのもうなずける! 俺なんかにも優しく接してくれる人間なんて君だけだ!」
「ひぇっ……」
「なのに! 俺だけに見せるあの態度は何だ! 普段とのギャップが可愛すぎるだろう! 君は軽い気持ちでからかっているんだろうが、それがどれだけ俺の心を揺さぶるかわかっているのか!? もっと自分の可愛さを自覚しろ!!」
「ひゃいっ……」
抱きしめる腕に力が入る。俺は最後に大きく息を吸い込み、一番の大声で叫んだ。
「俺みたいな鼻つまみ者に馴れ馴れしくするんじゃない!! 好きになってしまうだろうが!!」
そこまでまくしたてると同時。
全身の力が抜け、俺は花咲の体を離した。すぐそこに感じていた温もりが消える。
布切れ二枚だけを隔てた感触は、同じ生き物とは思えないほど柔らかかった。
いや、それも脳が作り出した幻でしかないのか。妄想もここまで鮮明になれば見事なものだ。
考えを巡らせるうちに冷静さを取り戻し、俺はつぶやく。
「……何をやっているんだ、俺は」
後になってから襲ってきたのは、これ以上ないほどの自己嫌悪だった。
――いつも無表情で厳しい堅物生徒会長。そう称される俺とて人並みに感情はある。
夢の中でくらいそれを発露しても構わないだろうと思ったが、いざ終わってみればまったくもって馬鹿馬鹿しい。夢の中とはいえ、自制できなかった自分に不甲斐なさを感じた。
後悔の念に駆られながら花咲を見る。
俺の手から離れた花咲は、足に力が入らないといった様子でへたり込み、口をパクパクさせていた。俺をじっと見つめているが、その表情が何を意味しているかは読み取れない。
もし現実で同じことをしたら……なんて考えるだけ無駄か。花咲には軽蔑され、学校での俺の評判も地の底まで落ちる。わかりきったことだった。
「……すまない」
夢の中だとわかっていても謝らずにはいられなかった。何をしているのだろう、という自嘲の思いがなおさら強くなる。
だが、その時。