エルフの渡辺3
終章 渡辺風花には、笑顔が似合う ②
「泉美ちゃんが悪女みたいなこと言ってる。小宮山君を手玉に取ろうとしてる」
「困難な目標に向かって努力して達成できる男なら悪い物件じゃないでしょ。それに私にも彼氏が出来た方が、そっちも色々邪魔が入らなくていいんじゃない?」
「泉美ちゃんは彼氏ができようが結婚しようが、ずっと私と一緒にいてくれるでしょ」
「それはそう。分かってんじゃん風花ちゃん! あー、でもそれで言ったら小宮山先輩はまだエルフのこと何にも知らないから、やっぱナシかも」
「泉美ちゃんのことを大事にしてくれる男の人になら、全然話しても大丈夫だよ?」
「小宮山先輩がそうかどうかはまだ分からないからね。一旦この話はナシ。ちょっと今のうちに小宮山先輩フッてくるわ」
そう言うと、泉美は意味もなく腕まくりをして部室を出て、またすぐに戻ってきた。
「そーだセンパイ。もしかしたらだけどこの後、私のクラスの子が、部室来るかもしれないんだ。なんか私の優秀賞見てカメラに興味持ったみたいでさ。それまでには戻って来るつもりだけど、もし私が間に合わなかったらうまいこと対応しといて」
優秀賞を殊更に強調する文脈を、行人は笑顔で流した。
「つまり新入部員候補が来るかもってこと?」
「そ。まだ入るかどうかは分かんないし、残念ながら私の友達だから女子だけどね」
「何で女子だと残念なんだよ」
「風花ちゃんにとって、ってこと」
「泉美ちゃん」
「何? 怒った?」
「私は行人くんのことを信じてますから、もし今年と来年、入って来る部員が全員女子でも、私は怒ったりしませんし、行人くんの愛を疑ったりしません」
「ちぇ、つまんないの」
「でも、それはそれとしてあんまりしつこくからかわれると、怒ります。なので泉美ちゃん。明日園芸部で肥料の十キロ袋、一緒に運んでもらうのでそのつもりでいなさい」
「ちっ、余計なこと言わなきゃよかった。じゃあ風花ちゃん、センパイ、また後でね」
調子よいことを言いながら、いつも通りの泉美は手を振って廊下を走っていった。
「でも、女子とか男子とか関わらず、確かに困ることはあるかも」
「何が?」
「行人くんが園芸部に来る日が減っちゃう。流石に泉美ちゃん以外の部員が入ったら、部長の都合で彼女のいる部活に入り浸るのはよくないでしょ?」
「そういう言い方をすればそうだけど、小滝さんの友達っていうなら、大丈夫じゃないかな。入部してくれるなら、いずれ人物写真は撮らなきゃいけないんだから、そんなとき慣れてるモデルや同級生がいる環境は、写真の練習をするのに悪くないと思うし」
「そういうもの?」
「ってことにしておこう。まだ実際に入ってくれるか分からないし、入ってくれたらくれたで、そのとき考えればいいよ。さっきの小滝さんと哲也じゃないけど、ナチェ・リヴィラのことを話して良い人かってのも、俺達にとっては重要な問題だ」
結衣と璃緒の判断でナチェ・リヴィラのことを明かした五島教諭は、その後も行人や風花に対する態度を全く変えなかった。
何なら本当は何も知らないのではと思うこともあるほど、五島は風花達のありようを尊重してくれている。
一方で湊川夕夏のように、行人達には想像もできないようなナチェ・リヴィラとの関わり方をしてしまう人物がいることも知った。
夕夏はあれ以降一度も行人達の前には姿を現さず、結衣に何があったのかを聞いても、
「適正に処理した」
という反応しか返ってこなかった。
処理した、という響きが恐ろしかったので一度だけ夕夏の勤め先のフォトスタジオの前に偵察に行ったところ、夕夏がウエディングフォトらしき撮影に勤しむ姿を見ることができたので、ほっと胸をなでおろしたのももう随分前のことだ。
「まあでも、どんなことがあるにしても、好きになって告白した相手が実はエルフだった、以上のことは起きないよ」
「それもそうだね」
行人と風花は顔を見合わせて笑うと、風花は部室の机に置いてあったスクールバッグを手に取る。
「それじゃあ私も部活に行かないと。新入部員の人が来るならお邪魔できないしね」
「本当に来るのかなあ。小滝さんの言うことだから、話半分だと思ってるけど」
「来るよ。行人くんの写真はちゃんと、人を惹き付ける魅力があるもの。むしろ来るのが遅いくらい」
「今のところの俺の受賞歴はみんなモデルの良さに助けられてるから、そこ実はあんまり自信なくてさ」
「どういたしましてって言ったらいいのかな? それじゃ」
風花が部室を出ようとすると、
「風花さん」
行人が、風花を呼び止めた。
「部活上がり、何時になる? 一緒に帰ろう」
「うん! 作業の進捗次第だけど、今日はそんなに色々やる予定ないから後で連絡するね!」
風花はそう言うと、一度部室から出かけて、すぐに踵を返して行人のそばに戻ってきた。
「ねえ行人くん」
そして風花は行人の手を取ると、笑顔で顔を見上げる。
「どうしたの?」
行人も笑顔で風花の笑顔を見返した。
「嚙みしめてます」
「うん」
「帰りも、嚙みしめさせてください」
「こちらこそお願いします」
「うん。それじゃ、また後で」
風花は未練たっぷりに行人の手を放すと、今度こそ部室のドアを抜けて園芸部へと向かった。
急に静かになった部室の中で、行人は来るのかどうか分からない泉美の友達とやらを歓迎するための準備として、椅子を整え、部屋の空気を入れ替えるために窓を開け外の風を入れる。
するとポケットの中でスマホが震えた。
出て行って何分も経っていないのに、風花からのLINEが入ったことを表示されていた。
行人が通知をタップすると、部活終わりが五時半頃になりそうだという連絡だった。
もし新入部員が入るとしたら、初日の体験入部はそれまでに終わらせなければならない。
行人はそう決心すると、時間を了解した旨返信し、スマホをポケットにしまった。
待ち受け画面を、東武練馬のゲームセンターで撮った、日本人渡辺風花の笑顔が写ったプリントシールのデジタル画像に。ロック画面を、エルフの渡辺風花と二人で撮った笑顔の写真に設定したスマホをポケットの上から何となく優しく叩く。
そして行人は五時半という愛しい未来に向かって、今から始まる一秒先の未来を真剣に生きるべく、机の上のカメラを手に取り、背面カバーを開き、新しいフィルムを入れた。
─ 終 ─



