魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ一 十七 ①

 刃渡り六フィルト一八〇センチの真紅の魔剣が一振り、銘を「十七セプテンデキム」という。

 あとは家紋入りのがいとうが一着に、銀貨が三枚と小指の先ほどの岩塩が一欠片かけら。それがリット・グラントの財産の全てだった。


「これで全部かの?」


 豊かなあごひげを蓄えた衛兵の老人がいぶかしげに眉をひそめる。大陸中央平原をまっすぐ南北に走る石畳の街道のかたわら、木製の検分台に横たわる魔剣を前に老人は、ふぅむ、と何度も首をかしげる。

 自分の胸ほどの背丈しかない、しかも魔剣使いの女の子がこんな軽装でロクノール環状山脈の雪深い高峰を越えてきたことが信じられないのだろう。

 黒尽くめの軍服に魔術式の長銃というちの老人はリットの背後、夜明け前のあさもやに煙る街道をぐるりと見回して眉間にしわを寄せ、


「お嬢さん。お前さんの言葉を疑うわけじゃあないが、本当に一人で?」

「はい。それに、山を越えるまではもっとちゃんとした装備があったんです」


 リットは外套を肩から外して腕にかけ、何度もたたいてほこりを落とす。

 長い旅の間にごわごわになってしまった三つ編みの長い赤毛をどうにかでつけ、


「けど、麓まで下りたところで野盗に出くわしてしまって」

「そいつらに身ぐるみ剝がされた、と?」

「いえ、百人ほど叩き伏せたのですが、大きな音を立てすぎたみたいで雪崩が……」


 なんだかまずいことを言ったような気がして、口の中で小さく、ごめんなさい、とつぶやく。

 衛兵の老人は、ありゃあお前さんの仕業か、と首を左右に振り、


「お手柄、と言いたいところなんじゃが、そいつは黙っておいた方が身のためだの。との交易ルートが塞がって途方も無い損害が出たとかで、通商連合のお偉方がお冠じゃ」


 そう言って、老人はふところから何やら立派な細工が施された木板と羽根ペンを取り出す。

 たぶん簡単な魔術が施されているのだろう。老人は宙に浮かぶ板とペンを手も触れずに操って何かを書き付け、


「もうすぐ開門の時間じゃ。街に入ったら右手に審査所があるから、係の文官にこの許可証を渡しなされ。それから……」


 教会がどうの東通りの宿がどうのと説明する老人の言葉を上の空で聞き流し、なんとなしに振り返る。後ろには今日まで一年以上かけて歩いてきた長い旅路。生い茂る森をかき分けるようにして一直線にのびる石畳の街道の彼方かなたで、雪と氷に閉ざされたロクノール山脈の険しい頂を渡り竜の群れが点々と連なって飛んでいく。

 深呼吸を一つ。まっすぐ前に向き直る。

 正面、街道の突き当たりにある広場の向こうでは、純白の壁がここまでたどり着いた旅人の行く手を遮るように天高くそびえている。

 左右どちらを見渡しても果てしなく続くその壁は実際は人間の手ではどうやっても作れないほど完全な真円形で、聖門教の聖地とその周辺の街を丸ごと取り囲んでいるのだと母に教わったことがある。二千年以上続いた魔剣戦争の間、時代時代の教皇が四大国の王のために門を開くことはあっても、壁は一度も壊されることなく聖地を守り続けた。はるかな昔に天より降り立った「彼方の神」が残した奇跡の一つ。どうやって作られたのか、そもそもそれが石なのか土なのか金属なのかさえも分からない神の御手なる創造物。

 魔剣と同じだ、とふと思う。

 細かな魔術紋様が彫り込まれた木製の検分台の上、何重もの魔力結界に包まれた長大な真紅の刀身に視線を落とす。


「おお、そうじゃな。お前さんはこいつが無きゃ始まらん」衛兵は懐から魔術装置らしき小さなメダルを取り出して検分台の隅に押し当て「とにかく街の中ではごとは起こさんようにな。教導騎士団に目を付けられると、後が面倒なことになる」


 魔力結界が細い光の糸にほどけ、大陸公用文字で「登録完了」という言葉を形作る。

 ありがとうございますとしやくするリットの傍らで、長大な抜き身の魔剣はひとりでに宙に浮き上がり、緩やかに一回転して石畳の上に垂直に静止する。

 刃の先端は足下の地面から指一つ分上の位置。対して、真紅の魔力石が象眼された黒い柄はリットが精一杯背伸びして手をのばしても届かないほど高い。リット自身はもちろん大人の身長よりも遙かに大きなこの魔剣は普通の剣と同じようにさやに収めたり腰にいたり出来るはずも無く、こうやってそばに浮かべて抜き身のまま持ち歩くのだと母に教わった。

 数多あまたある魔剣の中でも、手を触れずとも動くのは力場を操る真紅の魔剣に共通の特徴。

 旅の途中で立ち寄った小さな村ではずいぶん驚かれたものだが、衛兵の老人には見慣れた光景なのか顔色一つ変えない。

 ゆっくりと一歩後ろに下がり、自分の身長より遙かに大きな魔剣を改めて見上げる。夜明け前の淡い陽光に輝く十七セプテンデキムは今日も変わらずれるほど美しい。幅広の両刃の刀身を構成する神代の紅銀には曇り一つ無く、中央に刻まれた魔術紋様の見事さは名工の手なる芸術品とまがうほど。刀身全体を幾つかに分割する形で走る金細工の魔力路は幾何学図形のような精密さと生物的な優美さを併せ持ち、内部を循環する魔力によってほのかな虹色に脈打っている。

 何より素晴らしいのはその刃。鞘代わりの薄い魔力結界に覆われた刃にはもちろんほんのわずかなゆがみも傷もなく、揺らめく水面のような刃紋を見つめていると自分が剣の中に吸い込まれていくような錯覚を覚える。

 これほど美しい魔剣はこの世に二つと無いに違いないと、リットは勝手に信じている。

 思わず、ほう、とため息。

 と、衛兵も感心したように、ふぅむ、と小さく息を吐き、


「見事なもんじゃな」

「はい。母にもらった物ですから」

「お前さんの腕が、じゃ」


 私? と顔を向ける。

 老年の衛兵はいつの間にかリットの隣に並んで立ち、十七セプテンデキムの真紅の刀身を見上げて目を細め、


「普通は持ち主が体を動かせば魔剣もほんの少しは動いちまうもんなんじゃがな。こいつはさっきからお前さんが何をしようが微動だにせん。魔剣を完全に自分の一部にしとる証拠じゃ」

「生まれた時から、毎日こればかりやっていましたから」

「お前さん、としは幾つになる?」

「先月、十五に」


 その若さでよくもまあ、と衛兵は感心半分、あきれ半分という顔で呟き、


「もったいない話じゃな。お前さんもあと十年早く生まれておれば、さぞかし名のある英雄になったじゃろうに」魔剣の柄のさらにずっと上、夜明け前の瑠璃色の空に目を凝らし「わしも若い時分は『炎帝クリフ』だの『百手のアルルメイヤ』だのの英雄たんに胸を躍らせたもんじゃがの。……そいつは全部、過去の話じゃ。魔剣戦争は終わって天下は太平。どんなに優れた魔剣使いじゃろうと、これからの世に居場所なんぞ残っておりゃせん」


 検分台に残ったままの銀貨と岩塩を元通りの革袋に収めてリットに手渡し、


「こんな所まで何をしに来たのかは知らんが、用が済んだら早く国に帰りなされ。その魔剣をの王家に献上すれば、孫の代までは遊んで暮らせるはずじゃからの」

「そうは参りません。母との約束ですから」


 約束? と衛兵の声。

 リットは目を閉じ、十七セプテンデキムの刀身に右手のひらをかざして、


「天下一の魔剣使いとなり、あまねく世界にその名をとどろかせよ、と」


 頭上高く、そびえる壁の向こうから鳴り響く鐘の音。目を開けて見上げるリットの前で、純白の壁がその姿を変えていく。継ぎ目のない一枚板の壁が砂のように崩れて組み代わり、街道の突き当たり、石畳の広場の向こうに両開きの巨大な門が出現する。

 真紅の魔剣がするりと宙を渡り、リットの背中から少し離れた位置に斜めに収まる。

 うなずくリットの前で、天をくような巨大な門がごうおんと共に左右に開いていく。

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