魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ一 十七 ②

「あまり無茶はせんようにの」老年の衛兵は豊かなあご鬚を撫で「困ったらいつでも戻ってきなされ。力になれるかはわからんが、話くらいは聞いてやれるからの」


 ありがとうございますと深く頭を下げ、顔を上げて歩き出す。ゆっくりと開かれていく門の向こう、石畳の街道の先に連なるようにして、大理石の壮麗な参道が次第にその姿を現す。

 夜明け前の瑠璃色の世界に光が差したような錯覚。

 息をみ、少しだけ歩調を早めて、門を潜る。

 地鳴りのような人々のけんそうが、たちまち周囲のあらゆる場所から押し寄せる。朝を迎えたばかりの参道のにぎやかさに思わず立ち止まる。輝く大理石の参道には巡礼者らしき多くの人々が行き交い、一直線なその道は厳かな空気を漂わせる幾つかのモニュメントの間を抜けて遙か彼方、聖地の中心にそびえる白亜の大聖堂へと通じている。

 緩やかな上り勾配を描く参道の両脇には宿や酒場、仕立屋に魔術道具屋とありとあらゆる種類の店が軒を連ね、呼び込みの子ども達が旅人の気を引こうと声を張り上げている。色鮮やかな屋根のさらに向こうには石造りの建物を敷き詰めた街並みが見渡す限りにどこまでも広がり、小さな点のような無数の人波が慌ただしく動き回っている。


「ほらどいたどいた! お嬢さん、ちょっとどいとくれ!」

「ご、ごめんなさい!」


 慌てて退くリットの脇をすり抜けて、大きな馬型のゴーレムが参道を駆け抜けていく。魔術で組み上げられたらしい金属の馬の両脇には重そうな荷物が幾つもぶら下がり、背に乗ったいかにも商人という出で立ちの女が足だけで器用に馬を操りながら手にした帳簿に忙しく何かを書き付けている。続いて目の前を横切る四角い乗り物はもしかして、旅の途中でうわさに聞いた魔導車という物ではないだろうか。車輪が四つに座席が二つ。いかにも裕福そうな男女を乗せた金属の塊が、白い蒸気を吐き出しながら街路の向こうへと消えていく。

 無数の話し声と、花や果物の香り。酒場から立ち上る焼きたてのパンや肉のい匂い。

 そんなお祭り騒ぎのような街の中にあって、やはりひときわ目を引くのは魔剣使いだ。

 大小様々、色とりどりの魔剣を腰に佩き、あるいはリットと同じように背に浮かべて、幾人もの魔剣使いが街路のそこかしこを当たり前のように通り過ぎていく。誰も彼もがリットよりずっと年上の大人で、誰も彼もが歴戦の勇士というぜいを漂わせている。

 ここが聖門教の聖地、セントラル。今や世界でただ一つ、魔剣使いが自由に生きられる街。

 ……母様、見ていて下さい……

 目を閉じ、胸に手を当てて、一度だけ深く息を吐く。

 背中の十七セプテンデキムにそっと手を触れ、よし、と強くうなずき、

 ……リットは必ず、母様の願いをかなえてみせます……

 行く手には、朝日にきらめく壮麗な白亜の道。

 輝かしい未来に向かって、リット・グラントは記念すべき第一歩を踏み出し──

 そうして、今。

 最初の一歩からわずかはんときで、その未来は早くもついえようとしていた。



「なぜです──!」


 力の限りリットは叫ぶ。往来を行き交う人々が何事かと立ち止まって振り返るが構ってはいられない。酒場の窓の陰で子ども達がひそひそとこっちを指さしている気もするがそれも無視。事はリットの人生その物に関わるのだ。


「なぜも何もあるか!」


 目の前に立つ禿とくとうの男が真っ赤な顔で叫び返す。リットに父親がいればおそらくこのくらいの歳だろうというかつぷくの良い男。青を基調とした見るからに仕立ての良い服は西貴族の伝統的な装束だと母に習ったことがある。腰に佩いた鞘入りの直刀の柄には青く輝く魔力石。そんな魔剣使いの男は自分の娘ほどの女の子を憤然と見下ろし、いらたしげに何度も剣の鞘を叩いて、


「こんな街中で決闘などと正気か貴様は! 教導騎士団に見つかればろうに放り込まれる程度では済まん! 街より永久に追放されるぞ!」

「なにも命のやり取りをと言っているのではありません! 同じ魔剣使い同士、剣を戦わせ、互いの技を競い合おうと……!」

「どこの田舎貴族だ貴様は!」男はリットが羽織った家紋入りの外套を心底うんざりした顔で見下ろし「まだ貴様のような手合いが残っていようとはな。大方、廃嫡が決まった家の跡取りがこのセントラルの噂を聞きつけ一旗揚げんと上ってきたのだろうが……」


 深いため息。

 禿頭の男は大理石の参道の真ん中にどっかりと腰を下ろし、リットを見上げる格好で、


いか? 娘。魔剣使いが互いに腕を競い、戦場に覇を唱える──そのような時代はもはや過去の物だ。戦争は終わり、我らの役目も終わった。確かにこの街では我らに市中で帯剣する自由が与えられているが、それは争わず、罪を犯さず、みだりに血を流さぬという誓約あってのこと。……この街にいる限りは四大国の廃剣令も届かず、皇帝陛下に我が剣を召し上げられることもない。それだけでも我らはがたいと思わねばならんのだ」


 見ろ、という男の言葉にリットは周囲に視線を向ける。参道にはいつの間にか自分達を取り囲むように形作られた何重もの人垣。誰も彼もがこっちに奇異の目を向け、幾人かが教導騎士団に通報すべきかどうかを真剣な顔で話し合っている。

 人垣の中には魔剣使いの姿も幾つか見られるが、彼らはリットと目が合うと苦笑混じりに肩をすくめて立ち去ってしまう。


「そ……それでは、どうあっても立ち合ってはいただけないと?」

「先ほどからそう言っておる」

「ではせめて三太刀、いえ一太刀! それもダメなら軽くつばいするだけでも構いませんから!」

「見世物小屋の押し売りか!」


 またしても深いため息。

 禿頭の男はリットの肩に手を置き、どこか哀れむような顔で、


「娘、貴様の気持ちは分からなくもないが、世界は変わったのだ。もはや魔剣一本で功成り名を遂げ、家を再興するような時代ではない。それがわかったなら、大人しく故郷に帰れ」


 いな、と軽く肩を叩き、男が立ち上がる。我に返った時にはくたびれた背中はすでに参道の遠く。周囲を取り囲んでいた人垣も自然と消え、街は今の騒ぎを忘れたように喧噪を取り戻す。

 後に残るのは魔剣使いの小娘が一人だけ。


「……そ……」


 リットは参道の真ん中にぺたんと座り込み。

 冷たい大理石に両手をついて、うめいた。


「……そんなぁ……」



 空を巡る太陽が雲に隠れ、石畳の路地に影が落ちた。

 参道の喧噪から離れた裏通り、民家に交ざって小さな宿が点々と並ぶ寂れた道を、リットは一人とぼとぼと歩いた。


『決闘? よせよせ、今時らんぞ? それより貴公、酒は飲めるか。良ければ出会いのあかしに俺の定宿で一献』

なつかしいですね。私も夫と結ばれる前はよく互いに技を競ったものですが、残念ながらもうそのような時代ではありません。では失礼』


 あれから何人の魔剣使いに声を掛けたか分からない。反応はそれぞれ違っても、彼らの答はみな同じだった。決闘などもっての外。往来でみだりに魔剣を抜けばたちまち教導騎士団が飛んでくる。もはや腕比べなどという時代ではない。魔剣戦争は終わったのだ、と……

 もちろん、そんなことで諦めるリットではない。魔剣使いとの決闘が望めないとしても、名を上げる手段は他にもある。母も「人の役に立て」と言っていた。つまりは仕事だ。

 幸い、というのもおかしな話だが、セントラルの街の治安はそれほど良くないと聞いている。多くの人が集まる街には多くの揉め事が起こる。そういった問題の対応を請け負うための窓口としてこの街には「」と呼ばれる聖門教会公認の組織が幾つも存在していて、多くの魔剣使いがそこに所属しているのだという。

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