魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ一 十七 ③

 例えば教導騎士団だけでは手に負えない罪人の捕縛、例えば街の外に広がる農村地域に現れる魔獣の駆除。聖門教会や通商連合の大商人、果ては名も無い街の住民から発せられるあらゆる依頼はセントラルに大小合わせて百以上存在するギルドに伝えられ、魔剣使いはギルドを介して仕事を受注する。

 要するに、どこかのギルドに加われば、自分の身を立てる方法が見つかるに違いないということ。

 よし、と気合いを入れ直したリットは主立ったギルドの本部の扉を手当たり次第に叩き、


『通商連合の紹介状はお持ちで? では教会か、四大国の大使館にどなたかお知り合いは。……何も無い。申し訳ございませんが、どうぞお引き取りを』


 確か東方大公国エイシアの言葉に「とりつく島もない」というのがあったと思う。ギルドホールでリットを迎えた受付の女性の対応はまさにそれだった。何を聞いても紹介状を持ってこいの一点張り。とにかく、今のリットではギルドに所属することも仕事を受けることも出来ないらしい。

 魔剣のことはいったん忘れてそこらの店で下働きをするという手も一度は考えてみたが、どうあがいても不可能だった。なにしろ、リットはいわゆる「生活魔術」という物が全く使えない。魔剣使いは魔剣の主となったその日から、剣とのつながりを維持するために生まれ持った魔力の全てを取られて魔術を身につけることが出来なくなる。そこらの子供でも使える簡単な発火や物体浮遊の魔術ですらリットには使えないし、普通の人が親や学校の先生に習う複雑な魔術など問題外。

 火起こしも出来ない、ランプの明かりもけられない、壊れた魔術装置の修理どころか水くみ一つ満足にこなせない。こんな下働きを雇ってくれる店がどこにあるというのか。

 ……母様、リットはどうすれば良いのでしょう……

 行き場がない。おなかも減った。昨日の夜に最後の干し肉を食べてから水の一滴も口にしていない。これなら吹雪の中を彷徨さまよい続けたロクノール山脈のあの険しい山道の方がまだましだった。前に歩けば希望がある、未来がある、きっと良いことがある。そういう元気を与えてくれる物が、今のリットには見つけられない。

 いっそ城門まで引き返してしまおうか。あの衛兵の老人に頼んで、一晩の宿を借りて。そうして朝になったら街道をまっすぐに引き返す。森を抜け、山を越えて、母と二人で過ごした山中のあの小さな家まで──

 慌てて首を左右に振り、頭に浮かんだ考えを追い出す。

 帰ってどうなるというのか。あの家には、もう何もないのに。

 ……ここは……

 何度目かの角を曲がったところで足を止める。頭上には小さな木板の看板。酒場だか宿屋だからしき建物の軒先で揺れる看板には巣の中で眠りこける黒い鳥が描かれ、わいらしい筆致の大陸公用文字で書かれた店の名前が魔力によってぼんやりと光っている。


「『からすの寝床亭』……」


 そういえば門で出会った衛兵の老人がそんな名前を口にしていた。困ったら東通りの宿に行け、お前さんの有り金でもまともな物を食わせてくれるはずだ、と。

 食べ物のことを考えた途端、お腹が情けない音を立てる。

 店の入り口はリットには十分な大きさだが、十七セプテンデキムを通すには少し狭い。真紅の魔剣を斜めに傾け、ごめんください、と扉をくぐり、


「どいてどいて! どいてくださいにゃ──っ!」


 目の前には、白と黒のコントラストも鮮やかなエプロンドレスの少女が一人。

 割れた皿やらグラスやらテーブルの脚やら、とにかくありとあらゆるガラクタを魔術で顔の前に浮かべた少女は、とっさに飛び退くリットの脇を器用にすり抜けて店の外に消え……たかと思ったらすぐさま手ぶらで店にとって返すと背中に背負ったほうきつかみ、ものすごい勢いで床を掃き清め始める。


「あ、あの……!」

「お客様ですにゃんね! 申し訳ありません! しばらくお待ち下さいにゃっ!」


 振り返りもせずに叫ぶ少女の背中をぼうぜんと見送り、店内を見回して思わず、うわ、と声を上げてしまう。本当は上等な酒場だったのだろう。手頃な広さのホールの端には壊れた木のテーブルや椅子や大きなさかだるがうずたかく積み上がり、石造りの床には至るところに割れた皿の破片やら水差しやら食べかけの料理やらが散乱している。店の片付けをしているのは先ほどの少女一人。奥のカウンターの向こうでは店長らしき初老の男が、何かを悟りきったような顔でワイングラスを丁寧に磨いている。

 注意深く目を凝らせば、テーブルや椅子は全て刃物で切断されたらしいことがわかる。同様の傷は壁や床や天井の至る所にも見られる。間違いなく魔剣によって付けられた物。傷跡は二種類。ほとんどは力に任せた荒い太刀筋だが、床にたった一つだけ、たぶん細身の剣で付けられた恐ろしく鋭利な刺突痕が見て取れる。


「お待たせしましたにゃん!」


 少女の声に我に返る。床はいつの間にかれいに片付き、ホールの真ん中にはかろうじて使えそうなテーブル一つと椅子一脚だけが置かれている。促されるままテーブルに歩み寄り、背中から外した十七セプテンデキムを傍に垂直に浮かべてようやく椅子に腰を落ち着ける。


「改めまして、鴉の寝床亭にようこそですにゃん!」


 ぺこりと元気よくお辞儀する、白黒のエプロンドレスの少女。

 頭を飾るレースのカチューシャの上で、もふもふと毛が生えた猫みたいな黒い三角耳がこちらもぺたんとお辞儀する。

 よく見れば少女のスカートの後ろにはわざわざ小さな丸い穴が開けてあって、こちらもふさふさの毛に覆われた猫みたいな黒い尻尾がくるりと突き出している。確か亜人とか獣人とか言ったか。西のエウロパ皇国の山奥にこういう人種がいると母が教えてくれたことがあるが、実物を見るのは初めてだ。


「えっと、あの」

「拙ですか? 拙はミオンと申しますにゃん」


 そういえばしゃべり方まで聞き慣れない。種族に特有の方言みたいなものだろうか。


「いえ、そうじゃなくて……」


 一度せきばらいして深呼吸する。たぶんこの子は母が持っていた本の中でしか見たことがない「メイド」というやつだ。そんな人と話をすることはおろか実物を見るのさえ初めてだから、少し緊張してしまう。


「や、宿をお願いします。食事と、それから湯浴みも」

「かしこまりました!」ミオンという名の猫耳少女は両耳と尻尾をぴんと立て「お泊まりは銀貨五枚。お食事は追加で銀貨三枚、明日の朝食はさらに一枚、湯浴みは銀貨二枚ですにゃん!」

「え」


 気が遠くなる。

 高い。いや、参道沿いで見かけた高級宿に比べれば驚くほど良心的な値段なのだが、それでも旅の道中で立ち寄った山村の十倍か二十倍。リットの有り金を残らずはたいても部屋を一晩借りることさえ出来ない。


「どうかされましたかにゃん?」

「い、いえ。申し訳ないのですが、持ち合わせに乏しくて……」


 しどろもどろに答えながら必死に懐をあさる。革袋の中には最後の銀貨が三枚。まさか魔剣を質に入れるわけにはいかないし、この家紋入りの外套を売るなどもってのほか。他に金に換えられそうな物と言えば……


「この岩塩を幾らかで買い取っていただくことは出来ないでしょうか」小指の先ほどの白い欠片をおそるおそるテーブルに置き「元はオースト王家の刻印が入っていた高級品です。とはいえこの大きさですから、銀貨十枚、いえ五枚でも」

「その大きさじゃ、せいぜい銅貨一枚ですにゃん」


 思わずぽかんと口を開ける。

 ミオンは何とも申し訳なさそうな顔で耳をぱたぱたさせ、


「そりゃ一年前までは塩でも砂糖でも同じ重さの金貨と交換出来るくらい貴重でしたにゃんけど、魔剣戦争が終わってからは何でもどんどん値崩れして。特に塩は通商連合の皆さまがロクノール山脈の岩塩鉱山から幾らでも掘り出してくるもんですから、近頃じゃ子供がおやつの揚げ芋にまで気軽に振りかけるありさまですにゃん」

「子供のおやつに……塩……」


 今度こそ言葉を失う。リットが旅の間に見てきた村とは常識が違いすぎる。セントラルは豊かな街だと噂に聞いてはいたが、まさかこれほどとは。


「ええっと、お客様、それでどうなさいますかにゃん?」

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