魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ一 十七 ④

「そ……そうですか。仕方ない。それでは」


 落ち込んでいても始まらないと我に返る。手持ちの路銀は銀貨三枚。とにかくこれで出来ることをしなければならない。部屋を借りることは諦めた。ならば。


「それでは、し」


 食事、と喉まで出かかった言葉を寸前で吞み込む。

 五日前に街道から外れた森の奥の湖で水浴びしたのを最後に、ろくに身支度らしい身支度をしていないことを思い出す。

 いついかなる時でも品性を忘れてはいけないと母は言っていた。きっと今がその時だ。体にまりに溜まった埃を洗い落とし、ついでに服も洗濯してもらう。髪もせつけんと香油で洗って、今日こそはきちんと結い直す。是が非でもそうしなければならない。空腹を満たすのも体を休めるのも全てその後だ。


「いえ、やはり湯……」


 湯浴み、と言いかけた瞬間にお腹が盛大な音を立てた。

 思わず天井を仰ぐリットに、ミオンは元気よくうなずいた。


「お食事ですにゃんね? しばらくお待ち下さいにゃん!」


 結論から言うと、出てきた料理はどれもこれも驚くほどおいしかった。

 何の誇張も無しに、リットはこんなにおいしい物を生まれて初めて食べた。

 オースト麦を丁寧にいて焼いた白いパンに、っぱい果汁で香りが付けられた冷たい水。野菜と一緒につぼの中で湯気を立てる甘辛い鳥肉に、香草を詰めて皮がぱりぱりになるまで何度も油をかけた川魚。特に魚が絶品で驚いた。ミオンが街のすぐ外の川で今朝ってきたばかりだという魚は生でも食べられるほど新鮮で、それを店長のたくみの技で丁寧に下ごしらえしたのだという。

 リットは食べた。夢中になって、皿まで頰張りそうな勢いで食べた。

 このメニューをパンと水だけにして代わりに湯浴みを頼めないかと気付いたのは料理をあらかた食べ尽くしてしまった後で、その頃にはリットも「もうどうでもいいかな」という気持ちになっていた。


「……なるほどー、それは大変でしたにゃんねー」テーブルの向かいにもう一つ椅子を運んでちょこんと飛び乗ったミオンが何度もうなずき「拙がお手伝いできれば良いですにゃんけど、リット様をどこかのにご紹介するとなると」

「いえ、そこまでしてもらうわけには……」リットは最後に残ったパンの欠片をゆっくりと味わって飲み込み「だけど、どうして紹介状が要るのですか? 街の揉め事を解決するにしても魔獣を退治するにしても、腕さえ立てばそれで良いのでは」

「戦争が終わったばっかりの頃にいろいろあったせいですにゃん」ミオンは困ったように顔をしかめ「廃剣令に反対して国を捨てた魔剣使いの皆さまがたくさんこのセントラルに来られて。ギルドも最初は今みたいに聖門教会お墨付きの組織じゃなくて魔剣使いが何人か集まって勝手に作ったグループみたいな物だったですにゃんけど、中には依頼のついでに家とか道とかまで斬っちゃう人がいて、その修理のお金を誰が出すのかで大問題になりまして」


 そういった支出のためにギルドは聖門教会に供託金を預ける決まりになっていて、多額の借金を抱えているギルドも多くある──というミオンの説明になるほどと心の中で唇をむ。道理で通商連合の紹介だの大使館の知り合いだの、「経済力のある誰か」の後ろ盾が必要なわけだ。

 魔剣は、剣の形はしていても通常の剣とは全く異なる超常の兵器だ。触れれば鉄でも石でも紙のように斬り裂く上に、別な魔剣による攻撃でなければ傷一つ付けることが出来ない。さらに、多くの魔剣は一振りに一つずつ「人知を超越した特殊な力」を備えている。

 未熟な者がそんな武器を使って戦えば余波で周りに被害が出る。

 戦場での一騎打ちならある程度はやむを得ないだろうが、街中での捕り物となればついでで壊れた建物を誰かが弁償しなければならない。


「母が聞いたら呆れます。私など、修行の最中に誤って庭の木の花びらを一枚切っただけで夕食抜きになったのに」


 もっとも、その時は母も付き合って一緒に夕食抜きにして、後で夜中に二人でおやつを食べたのだけど。


「リット様のお母様は厳しい方なんですにゃんね」ミオンは苦笑しつつ、サービスですにゃ、と空のグラスに水を注ぎ「そういえば、リット様はどうしてセントラルに? どなたかお知り合いでも?」


 う、と言葉に詰まる。

 今朝、衛兵の老人にも同じ事を聞かれた。あの時は胸を張って答えたが、街の状況や自分の立場を理解してしまった今となっては何とも口に出しづらい。


「それは……その、天下一の魔剣使いとなり、世界に名を轟かせよと……」


 うにゃん? と何とも不思議そうな声。

 ミオンはテーブルに両手でほおづえをつき、なんだか申し訳なさそうに首を傾げた。


「リット様……魔剣戦争が終わったのはもう一年以上も前ですにゃんよ?」



 長い、とてつもなく長い戦争があった。

 二千年以上続いたその戦争は「魔剣戦争」と呼ばれた。

 どうやって始まったのか、何が最初のきっかけだったのか、もう誰も覚えていない。とにかく、世界に一つだけ存在する大陸を四等分する四つの大国──北方連邦国ルチア東方大公国エイシア西は記録に残る限りの歴史のほとんどをその戦争に費やした。

 名前の由来はもちろん戦場の主役であった魔剣だ。遙かな昔に「彼方の神」によってもたらされた超常の兵器。魔剣に選ばれその柄を握る資格を得た魔剣使いは王と国の名を背負い、魔剣使いの数とその研ぎ澄まされた技のえが戦いのすうせいを定めた。

 四つの国が大陸の覇権を賭けて争った、というわけではないのがこの戦争の不思議な所なのだと母はよくリットに語って聞かせてくれた。ある時は国の威信を賭けて、またある時は国境付近で見つかった小さな鉱山の採掘権を巡って。それぞれの時代でそれぞれに何かしらの理由を見つけて、東西南北四つの大国は争い続けた。

 二つの国が同盟を結べば、別な二つの国も同様に手を組んで大陸を二つに分かつ大戦争を始めた。四つの国で話し合って和睦すべきだと主張する王族が現れれば、その者は必ずきようじんに倒れてより大きな戦乱の嵐が吹き荒れた。

 どの一つの国も勝利せず、どの一つの国も敗北しない。いつ終わるのか、どうやれば終わるのか誰にも分からない。そんな途方もなく長い戦争。

 それが、ある日突然、何の前触れも無く終わった。

 今から一年以上も前のことだ。


「この街も戦争が終わってすぐの頃はあっちを見てもこっちを見ても魔剣使いばっかりでしたにゃんけど、最近はちょっとずつ少なくなってきましたにゃん。皆さま、諦めて故郷に帰って王様に魔剣を返してるみたいで」


 四つの国の王は終戦に際し、互いに敵意が無いことを示すためにある条約を結んだ。すなわち、それぞれの国が保有する魔剣使いの数と質に制限を設け、それを越える魔剣は所有者から召し上げて他国の目の届く場所で管理すると。相互監視のための複雑な魔術装置を組み込んだ管理庫が各国の王宮に建造され、王の側近や将軍などわずかな者を残して多くの魔剣使いが魔剣を奪われ、家名を絶たれた。

 大半の者は報償と引き替えに剣を手放す道を選んだが、どうしても剣を捨てられない者や罪を犯した者は王の手の及ばぬ大陸中央の緩衝地帯、ロクノール環状山脈に取り囲まれたこの聖地セントラルを目指した。


「リット様ものお貴族様なんですにゃんよね?」ミオンはリットの外套を鮮やかにいろどるグラント家の家紋を横目に「失礼かもしれないですにゃんけど、お国に帰られてはどうですかにゃん。今日のことをお話しすれば、リット様のお母様もきっと許して下さるんではないですかにゃん?」


 それは、と小さな呟き。

 リットは何度もよどみ、自分の両手を見つめ、とうとう意を決して口を開きかけ、

 扉の外、通りの方で、悲鳴が上がった。

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