魔剣少女の星探し 十七【セプテンデキム】 1

序ノ一 十七 ⑤


 考えるより早く、体が動いた。

 気が付いた時には椅子を蹴ったリットの体は食堂を駆け抜けてすでに出口の前にあり、両開きの木の扉に体当たりするようにして通りに躍り出ようとしていた。

 わずかに遅れて扉をくぐった十七セプテンデキムの刀身が吸い付くように背中で静止する。石畳の通りを脇目も振らず左へ。正面の四つ角の先、一際大きな大通り。青ざめた顔で立ち尽くす何百人もの人垣のその向こうに、車輪を壊されて動けなくなった馬車と、魔術式の銃を構えて必死の形相で隊列を組む何十人かの兵士の一団と──


 ぞろりとした黒い装束にフードで顔を隠した人影が一つ。

 手にした黒いナイフの柄に、同じく漆黒の魔力石が煌めく。

 ……魔剣使い……!

 緊張よりも先に高揚感が心を満たす。街中で仕事を請け負うにはギルドの仲介が必要とは言っても、たまたま出くわした事件を成り行きで解決するのに許しを得る必要などあるはずがない。

 貴人の物らしき馬車と護衛の兵士に、見るからに怪しい魔剣使いの賊が一人。

 名を上げる好機が、こんな近くに自分から飛び込んできた。

 魔術銃の発砲音が重なり合って四つ響き、弾を叩き落とす甲高い音がほとんど同時にやはり四つ続く。黒い刃が陽光に鈍くひらめいたかと見えた次の瞬間、ナイフの柄で首筋を打たれた二人の兵士が地面に倒れ伏す。黒装束の人影はすでに続く三人目の兵士の懐。目を見開いた兵士が腰の鞘に収まった護身用の剣を引き抜き、それより早く走った黒い刃が鉄の剣を真っ二つに断ち切る。

 魔剣を相手に、魔力を持たないただの剣など木ぎれも同然。

 柄だけになった剣を握りしめた兵士が石畳の街路に倒れ伏し、その体を飛び越えた黒装束の人影は流れるように四人目の兵士に躍り掛かり、

 ──高く、澄んだ金属音。


 人影が兵士の首にナイフの柄を叩き込む寸前、行く手に滑り込んだ十七セプテンデキムの長大な真紅の刀身がそのナイフをはじかえす。

 大質量が生み出す衝撃に抗しきれず、人影が大きく後方に吹き飛ぶ。風圧にはためくフードの隙間に、不思議な光沢の銀色の髪と透き通るような白い頰がのぞく。女、それも自分と同い年くらいの少女。そう確信するリットの視線に気付いたのか、人影が罵倒の言葉と共に懐から小さな装置を取り出して自分の足下に叩きつける。


「ま、待って!」


 せんこうと共に立ちこめる白煙。とっさに腕で顔をかばうリットの前で、人影が馬車に背を向けて駆け出す。後を追おうとした時にはすでに人垣を飛び越えた背中は細い路地の奥。薄暗がりに紛れた姿が視界の彼方に消えるのを待っていたかのように、白い煙がゆっくりと晴れていく。

 ……いったい、何が……

 大きく一つ息を吐き、ようやく落ち着いて状況を確認する。馬車が賊に襲われ、その賊は逃げ去った。車輪を失って斜めに傾いだままの馬車はきらびやかな装飾や防御の魔術紋様が施された見るからに上等な物で、東方大公国エイシアの龍の紋章が大きく彫り込まれている。

 周囲を固める何十人かの兵士もエイシア風の緑の軍服をまとっていて、おそらく大使館の関係者か、あるいは本国からの使節なのだろうということがわかる。

 半壊した扉の中で、文官らしき男が険しい顔で外の様子をうかがっている。


「大丈夫ですか? をされた方はすぐに手当を……」


 声を掛け、歩み寄ろうとした瞬間、背後で弓鳴りのような甲高い風切り音。

 振り返りざま掲げた十七セプテンデキムの真紅の刀身が、喉元寸前、小指の先ほどの距離まで迫った刃の切っ先をかろうじて受け止める。


「防ぐか。見事なり──!」


 雷鳴のような声が石畳の通りに響き渡る。緩やかに湾曲した蒼銀の大太刀を一直線に突き込んだ姿勢のまま、男が喝采の声を上げる。長い黒髪を頭の上辺りで一本にまとめた、涼やかな見目の、おそらくリットより十歳ほど年上の男。エイシア風の緑の軍服の胸には幾つもの勲章が輝き、男が周囲の兵士達より遙かに高い地位にあることを示している。

 十七セプテンデキムを操ってどうにか刃を弾き返し、一歩退いて気付く。

 馬車を襲った賊はすでに逃げ去った。

 負傷した兵士達の傍には、薄汚れた身なりの魔剣使いの少女が、つまり自分が一人。

 駆けつけたばかりの男は、いったいこの状況をどう理解するのか。


「待ってくださ……!」


 言い終わるより早く十七セプテンデキムを眼前に斜めに斬り上げ、頭上から振り下ろされる蒼銀の大太刀を弾く。弧を描いてひるがえった蒼い刃がすぐさま宙に反転、十七セプテンデキムの刀身の表面をすり抜け、リットの胸元目がけて一直線に突き込まれる。迷いの無い、致命の一撃。とっさに身をひねって刃の軌道から逃れつつ、蒼銀の刃の側面に真紅の刀身を叩きつけるようにして剣先をわずかにらす。


「これも防ぐか! ならば良し!」


 返す刀で水平に振り抜いた十七セプテンデキムを大きく後方に飛び退いてかわし、男が刃をくるりと翻して左腰の鞘に収める。

 柄に輝くのは大きな蒼い魔力石。

 右手を魔剣の柄、左手を鞘に添え、男は滑らかな所作で一礼し、


「エイシア大公国セントラル駐在筆頭武官グラノス・ザンゲツ、並びに魔剣『不動残月ネオメニア』」


 厳かにそう宣言し、魔剣の柄元に光る煌びやかなつばを親指で押し上げ、


「さあ! 賊であろうと幼い身であろうと、ひとかどの魔剣使いであるなら名乗られよ!」


 男の言わんとするところを、リットはすぐさま理解する。

 出会い頭に三合。互いに剣を打ち合わせ双方共に生き残った後に、初めて相手を名乗るに値する敵手と認めて礼を交わす──幼い頃から母に何度も聞かされた、魔剣使い同士の決闘の作法。


「り……リット・グラント! 魔剣『十七セプテンデキム』!」

「承知!」


 男──グラノスが魔剣『不動残月ネオメニア』をすらりと鞘から引き抜く。その呼吸に合わせるように、リットも十七セプテンデキムを体の右側に水平に構える。

 ともかくこの場から逃れようなどという考えが頭の中から消し飛ぶ。

 一年前、山中の小さな家を旅立った日のことを思い出す。

 天下一の魔剣使いとなり、あまねく世界にその名を轟かせる。母との約束を果たすためはるばる山を越えてこの街までやって来た。

 成り行きであろうと誤解であろうと関係ない。

 身の潔白を示すのは勝利した後で十分だ。

 ……参ります……!

 思考の中に、十七セプテンデキムの長大な真紅の刀身を摑む。

 うなりを上げて旋回する刃を、グラノスの側面に全力で叩きつける。

 瞬間、視界の先でグラノスの長身が揺らいだような錯覚。地を蹴った男の体が滑るように十七セプテンデキムの下に潜り込む。巨大な刀身を不動残月ネオメニアの蒼銀の刃で押し上げるようにしてわずかに軌道を逸らし、必殺の斬撃をかいくぐった男の体が無防備なリットの一足一刀の間合いに瞬時に踏み込む。

 来た、という刹那の思考。

 空中で旋回を続ける十七セプテンデキムを男の後方に置いたまま、全力で石畳の地面を蹴りつけて男の正面、神速で振り下ろされる蒼銀の刃の真下へと飛び込む。


 ……良いですか? リット……

 長い修行の間に母に幾度も聞かされた言葉を思い出す。数多ある魔剣の中でも、力場を操る真紅の魔剣の扱いは一際難しい。手を触れずとも自在に動く魔剣を手にすることは逆に魔剣使いに「自分の体」の存在を忘れさせ、致命的な隙を生む要因となる。


「体」の存在を意識すれば魔剣の制御が崩れ、魔剣に意識を奪われれば「体」の反応はおろそかになる。多くの魔剣使いがその領域を越えることが出来ないのだと母は言っていた。その者たちは魔剣を使うのでは無く、魔剣に使われ、その力に振り回されるだけで生涯を終えるのだと。

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