魔剣少女の星探し2 魔剣名鑑

序ノ一 豊穣の大賢人 ⑨

 と思ったら急にきびすかえし、路地の陰に逃げ込んでしまう。どうやら手伝ってくれるつもりは無いらしいし、そもそも自分の身を自分で守れるかさえも怪しい。すごく困る。今さらながら、こんな面倒な子を押しつけてくれたクララのことが恨めしい。

 と。


潜む蜘蛛ラテイア・アラネア団長ギルドマスター、ラスティ」


 正面、薄闇の向こうから青年の声。

 どうやらラスティという名前らしい青年は魔剣を顔の前で斜めに構え、


「並びに、魔剣『苦蓬アブシンデイウム』」


 いきなり何を言っているんだろうと少し考え、ああそうかと納得する。確かに三度、互いの剣を触れ合わせた。魔剣使い同士の決闘の作法。これもそういうことになるの? となんだか釈然としない気持ちで両手を腰に当て、


「ソフィア。魔剣『全知オムニシア』」一応の礼儀として名乗りを返し「あのさ。なんか色々勘違いしてる気がするんだけど、別にその子達をどうこうしようって言うんじゃ……」


 高く鋭い踏み込みの音。問答無用とばかりに青年、ラスティが両手に構えた剣を水平に走らせる。こっちの喉元目がけて放たれた突きは剣の長さを生かして間合いの外から致命の一撃を狙うもの。とっさに全知オムニシアを跳ね上げ、深緑色の剣先を絡め取って横に逸らす。

 瞬間、またしても足音。

 その流れに乗じる形で身を翻したラスティが、背中から半回転、踊るようにステップを刻んでソフィアの側面に回り込む。

 ……間合いが……!

 返す刀で突き込んだ漆黒のナイフを深緑色の刀身が受け止め、上へと払う。剣を持つ青年の手の位置がいつの間にか変わっているのにソフィアは気付く。右手を長い柄に置いたまま、左手は刀身の中ほど、波打つ形状の刃を直接握る形。細い路地での戦いには不向きな長剣を棒か何かのように操り、青年は次々に左右の素早い連撃を繰り出してくる。

 ……へえ……

 少し感心。長い剣を短く使うための技法。もっと大型の両手剣の中にはこの持ち方をするために刀身の根元側には刃を付けずに皮の握りを巻いたりしている物もあるが、この青年は斬るも斬らないも主の意のままという魔剣に共通の特性を生かして、刃を直接握ることで同じ技を実現している。

 とはいえ、やはりその太刀筋は少し鈍い。

 構えや足運びから考えればもっと速くても良さそうなものだが、例えばリットやクララなんかとは比べるべくもない。


「ねえ、ちょっと、話、聞いてよ」次々に襲い来る斬撃を弾く都度に言葉を挟み「だから、そっちの子が、大事な物を、ってあーもうっ!」


 胸元寸前まで迫った深緑色の切っ先を全知オムニシアで絡め取り、下に叩き落とすと同時に青年の懐に潜り込む。狙いは無防備な手首。流れるように繰り出したナイフの切っ先が完全に致命の角度で薄闇を裂き──

 踏み込んだ右足に違和感。

 見下ろす視界の端、ブーツの爪先の辺りで、毒々しい緑色の霧が地面に薄く広がる。


「吞み込め、苦蓬アブシンデイウム


 囁くような青年の声。霧に触れた石畳が同じく毒々しい緑色に泡立つ。泡はすぐさま両手のひらほどの円形に広がり、石畳が溶けて崩れる。とっさに後ろの左足で地を蹴り、大きく後方に跳躍する。一瞬遅れて砂を流すような軽い音。直前まで右足があった一帯が、いびつな半球型の穴を残して黒いちりへと飛散する。

 息を吐く間もなく跳ね上がる深緑色の切っ先。跳躍した姿勢のまま空中にあるソフィア目がけて魔剣「苦蓬アブシンデイウム」がすくい上げる形で弧を描く。刀身を覆うように広がる毒々しい緑色の霧をソフィアは見る。刃が走り抜けた場所を起点に、放射状に。漂う霧に触れた左右の石壁の表面が緑色に泡立ち、溶けて崩れて黒い塵へと飛散する。

 ……魔剣の権能……!

 物質を腐らせ崩壊させる毒の霧。動きから察するに、霧その物を生み出すのではなく斬った空気を霧に置き換える類いの権能らしい。不安定な姿勢のまま全知オムニシアを掲げ、苦蓬アブシンデイウムの波打つ刃を寸前で逸らす。

 漆黒と深緑色、触れ合う二つの刀身を伝って緑色の霧が腕に絡みつく。とっさに振り払おうとした瞬間、体の表面を覆う対魔術の皮膜が霧をあっけなく弾く。少し拍子抜けした気分。ただの魔術と同じで、この霧には魔剣使いの体を直接害するほどの力は無いらしい。

 翻って横薙ぎに襲い来る刃を再び弾き、半呼吸遅れて左足に着地の衝撃。ソフィアは手の中の全知オムニシアをくるりと回し、反撃に転じようと足に力を込め──

 ぐらりと、体が左に傾く感覚。

 踏みしめた石畳が緑色に泡立ち、黒い塵に姿を変えてすり鉢状に陥没する。

 肌を覆う対魔術の皮膜を伝い落ちた霧が足下の地面に薄く広がっていく。同時に正面から強い踏み込みの音。腐食した石畳を巧みに避けたラスティが両手に構えた苦蓬アブシンデイウムを振り下ろす。こうなることが最初から分かっていた動き。なるほどと感心。これは、直接の攻撃には使えない腐食の霧の能力を最初から計算に入れた戦術だ。


「けど、甘いっ!」


 叫びと共に体を大きく捻り、倒れ込む体の動きにあらがうのではなく逆に加速する。完全に横倒しになった姿勢のまま左手を石畳の腐食していない部分に叩きつけ、反動で跳ね上げた右足の裏で正面、苦蓬アブシンデイウムを振り下ろすラスティの腕を押しとどめ──

 何の前触れも無く背後から響く風鳴りの音。

 石畳を転がるように一転、振り返りざま掲げたナイフの刀身が、鼻先すれすれまで迫った切っ先をかろうじて弾く。

 翻った銀色の切っ先が放たれた矢のように再度の突きを繰り出し、全知オムニシアに激突して路地の薄闇に火花を散らす。刃渡りおよそほどの細身の魔剣。指ほどの太さしかない刀身には刃と呼べる物が一切無くて、先端が針のように鋭くとがっている。

 刺突に特化された剣なんて見るのは久しぶり。続けざまに襲い来る三度の突きをことごとく受け止め、最後の一撃をかいくぐると同時に地表すれすれに回し蹴りを繰り出す。


「っとぉ──!」


 蹴り足を寸前でかわした新たな敵手が、悲鳴混じりに大きく後方に飛び退く。ラスティより少し年上くらいの金髪の男。黒尽くめの青年と違ってこっちは幾らか飾りのある格好で、丸っこい顔にもどことなくあいきようがある。


「ボーマン! 魔剣使い同士の立ち合いだぞ!」

「んなこと言ってる場合か大将! こいつに仲間がいたらどうする!」


 ラスティの非難に怒声を返し、ボーマンという名前らしい男が刺突剣を掲げる。右足は大きく前、左足は後ろ。剣を持つ右腕を肩の高さで真っ直ぐ水平にのばす、突き主体の剣技に独特の構え。くそっ、と小声で毒づいたラスティが深緑色の魔剣「苦蓬アブシンデイウム」を体の前で斜めに構え直す。細い路地の前と後ろ。二人の魔剣使いと二振りの魔剣がそれぞれ五歩ずつの間合いを隔てこっちを挟み撃ちする格好になる。

 遠くの角で、エカテリーナが息を吞む気配。


「……あー、そういう感じね」


 思わずため息。絶対にクララをとっちめてやろうと心に誓う。

 手の中の全知オムニシアをくるりと回して逆手に構え、


「ならこっちも本気で行くけど」駆け出す寸前の姿勢で身をかがめ、ぺろり、と舌先で唇を一め「ボク、けっこう強いよ?」


 言葉の代わりに返るのは、重なり合う二つの風切り音。

 刺突剣の銀色と長剣の深緑色。路地の薄闇を貫いた二筋の光が、一呼吸の内に前後からソフィアの間合いを踏み越える。

 前方、ボーマンが繰り出すのは斜め上から胸の辺りまでを貫く高速の突き。対して後方、ラスティが繰り出すのは下からすくい上げるような斬撃。身構えようとした瞬間、足が滑ってよろめく。魔剣「苦蓬アブシンデイウム」の切っ先から流れた緑色の腐食の霧が石畳をぬかるんだ泥のように腐らせる。良い攻撃の組み立て。それぞれの剣筋にも迷いが無い。一流とまでは言えなくても、正しく修練を積んだ使い手なのは確かだ。

 要するに、八つ当たりの相手にはちょうど良い。


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