魔剣少女の星探し2 魔剣名鑑

序ノ一 豊穣の大賢人 ⑧

 そもそも、大陸中央に位置するセントラルは東西南北の四つの大国全てと接する街道の結節点に当たる。特に、東方大公国エイシア西北方連邦国ルチアにとっては互いの国を行き来する唯一のルートなのだから価値が高い。魔剣戦争の最中に多くの兵士の血を吞み込んだ石畳の道は戦後には世界で最も重要な交易路となり、新たな商機を求めた人々はこぞってロクノール環状山脈を越え、聖地の門を叩いた。

 かつては聖門教の信徒が壁に守られて細々と暮らすだけだった街の人口は、わずか一年で百倍以上に膨れあがった。街の治安をつかさどる教導騎士団は表通りの参道だけで手一杯。裏通りの捕り物は主にの役目で、それだって十分とは言えない──それが、セントラルの現状だ。

 昼でも薄暗い路地は罪人が身を潜めるのにうってつけ。複雑に枝分かれしながら崩れかかった階段で上り下りを繰り返す道には幾つもの扉が隠れていて、その先は何千年も前の遺構につながっていると言われている。例えばロクノール山脈から街に流れ込む膨大な雪解け水を地中に流すための地下水路なんかがそうだ。この街の下には地上の運河よりもさらに複雑な水路が張り巡らされていて、その一部はセントラルが今の形になる以前の太古の街に繫がっていて迷い込んだら二度と出られないなんて噂もある。

 大使には出来るだけ機嫌を損ねないようにと頼まれているが、もう知ったことではない。

 こうなったら実力行使。とにかく無理やりにでも捕まえて、安全な道に出なければ──


「うわっ……!」


 急に、先を行くエカテリーナの悲鳴。小さな体が勢いよく尻餅をつく。向かいには同じく尻餅をついている男の子。薄汚れた身なりの男の子は立ち上がるなり女の子を睨み付け、


いつてぇな! 前見ろばーか!」

「な……なんじゃと貴様! 妾を誰と!」


 慌てて駆け寄り、助け起こしてローブのつちぼこりを払う。男の子はソフィアに気付くと、まずい、とでもいうように顔を引きつらせて路地を奥へと走り出す。

 その手に揺れる、小さな巾着袋。

 あ、と声を上げたエカテリーナがすぐに目を見開き、


「ソフィア! 妾はよい! それよりあやつを、妾のまけ──!」


 慌てた様子で自分の口を両手で塞ぐ女の子。何だか知らないが大切な物らしい。なんてことを考えている間にの男の子は路地の一区画先。人とわざとぶつかってふところの物を盗むなんてありふれた手口だが、あのくらいの年の子にしては手慣れている。

 とはいえ、相手が悪い。全知オムニシアは特に機動力に優れた魔剣というわけではないが、それでも子供一人に追いつくなんて簡単なこと。

 一息に呼吸を整え、一手で本気の跳躍。石畳の地面を蹴った爪先が瞬きのうちに男の子の真後ろ、手をのばせば届く場所に追いつき、


「ほら、鬼ごっこは終わ──」


 終わり、と言うより早く、何故か男の子の悲鳴。

 巾着袋を取り落とした男の子が、手を押さえてその場にうずくまる。


「こ、この愚か者め!」後ろの遠くでエカテリーナの慌てた声。「ぬすつとけの魔術紋様じゃ! 早う手当をせんと!」


 あーもう、と思わずため息。男の子の傍に片膝をつき、腕を摑んでの具合を確かめる。手のひらに数本の浅い切り傷。ポケットからハンカチを取り出して血がにじんだ手にぐるぐると巻き付け、


「君! ダメだよ。盗む時は危なくない相手か、捕まったらどうするか最初に考えないと!」


 男の子の目を真っ直ぐ見てひとしきり言い終え、今のお説教はちょっとおかしいかもとふと考える。男の子はこっちの顔と胸の辺りを順番に見詰めてなぜか耳たぶまで真っ赤になり、すぐに我に返った様子で何とか手から逃れようと暴れ始める。


「あ、こら! 危ない! 危ないから大人しく──」


 言いかけた声を寸前で飲み込み、全知オムニシアを振り上げる。

 目の前には、拳ほどの大きさの石。

 男の子の頭越しに飛来するいしつぶてを、漆黒の刃で払いのける。

 路地の先、分かれ道の陰からわーわーとなんだかよく分からないときこえ。男の子と同じく薄汚れた身なりの子ども達が薄闇の向こうに次々に飛び出す。何十人もの子ども達が両腕に抱えた石をこれでもかと投げつけてくる。次はこういうパターンか、とうんざりした気持ち。男の子を危なくないように路地の脇に押しやり、立ち上がりざま全知オムニシアを縦横に払って何十個かの石をまとめて斬り飛ばす。

 石は次から次へと際限なく飛んでくる。難しくないし当たってもどうということは無いがとにかく面倒くさい。と、後ろから何とも情けない悲鳴。振り返った路地の少し離れた場所、エカテリーナは曲がり角の陰に身を潜め、半分だけ突き出した頭をぶるぶると震わせている。


「ちょっと君! なにやってるのさ!」大きな石を後ろ手にはじばし「すごい魔術師なんだろ? サボってないで、ちゃんと手伝って!」

「出来ぬ!」


 返るのは切羽詰まった声。

 は? と目を丸くするソフィアの見詰める先でエカテリーナは視線を右往左往させ、


「じゃから! 妾は軍事魔術はさっぱりなのじゃ!」


 泣きそうな顔で叫んだ女の子が、流れ弾のように飛んできた石をいかにも頼りない小さな魔力結界の盾でかろうじて弾く。これ以上ため息を吐くと幸せが逃げそう。掏摸の男の子の襟首を問答無用で摑み、左右の壁を無造作に蹴って二階くらいの高さに飛び上がる。

 正面から投げつけられる石の上を飛び渡り、降り立った先は子ども達の目の前。


「もー、あったま来た!」ぽかんと口を開ける何十人かの子供達の前に男の子を落とし、両手を腰に当て「こんな狭いところで石なんか投げたら危ないだろ! 君達いい加減に──」


 一息。振り返りざま全知オムニシアを跳ね上げる。

 甲高い金属音。

 跳ね返った深緑色の刀身が、薄闇に鈍い弧を描いた。


 考えるより早く、体が動いた。

 ソフィアは子ども達をまとめて遠くに押しやりつつ爪先を軸に一転。続けて飛来する突きの一撃を指三つ分の隙間でかいくぐり、右の蹴り足で滑るように地をいだ。

 なに、と驚きを含んだ声。正確に足首を狙った一撃を寸前で跳躍してかわし、正体不明の何者かがソフィアの頭上を飛び越える。空中で大きく一回転しつつ、上下逆さまの姿勢で振り抜かれる深緑色の刃。刃渡り四フィルト一二〇センチほどの両刃の魔剣は片手剣と両手剣のちょうど中間くらいの長さで、緩やかに波打つ特殊な形状の刃には随所に小さな魔力石が象眼されている。

 とっさに全知オムニシアを頭の後ろに掲げ、弧を描いて飛来する刃を弾く。迷いの無い一撃。だが少し鈍い。勢いに任せて反転するソフィアの目の前、ちょうど子供をかばう位置に降り立った影のような何者かが、深緑色の魔剣をゆっくりと眼前に掲げる。

 石壁に切り取られた細い空から陽光が差し込み、敵の姿をあらわにする。

 そうしんちように褐色の肌。飾り気の無い黒い服に身を包んだ、陰鬱な表情にしようひげの青年。

 胸の辺りに金糸で刺繡された貴族の物らしき家紋が、十字に斬り裂かれて粗末な糸で乱雑に縫い直されている。


「ラスティ! 早くやっつけて!」

「ラスティ助けて! 殺される──!」


 青年の背後、路地の奥の角まで逃れた子ども達が口々に叫ぶ。とっさに何か言い返してやろうとした瞬間にひらめく深緑色の光。喉元目がけて迫る突きの一撃を漆黒のナイフで受け流し、軽いステップで三歩退いて、ふと足下に転がる巾着袋のことを思い出す。

 ブーツの爪先で拾い上げた小さな袋の中には魔力電池とほとんど同じ大きさの、細かな金細工が施された黒い石。

 何だこれ、と首を傾げ、後ろ手にぽいっと放り投げる。


「ば、馬鹿者! 何という扱いを……!」


 悲鳴を上げたエカテリーナがどうにか巾着袋を受け止める気配。肩越しに振り返って様子をうかがうと、女の子は袋を片手に握ったまま路地の反対側、魔剣使いの青年を呆然と見上げている。


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