主人公の幼馴染が、脇役の俺にグイグイくる 1
第四章 不幸を呪うくらいなら、怒りに灯をともしましょう ①
天田と月山が俺のバイト先にやってきた月曜日から、一〇日後の木曜日。
それまでの間、俺は入学当初とは比べ物にならない程に平穏な日々を過ごせていた。
なんと、天田が俺に絡む頻度が急激に落ちたのだ。時折、絡んでくる時もあるのだが、俺が嫌悪感を示すと大人しく引き下がる。
おや? 序盤がハードモードだっただけで、ここからはイージーモードに突入か?
来週の月曜日には席替えが行われて席も離れられるし、かなり良い調子なんじゃないか──なんて希望を抱いていた矢先……俺にとって、最悪の事態が発生した。
「おはようございます、テルさん」
「おっす、テル!」
「テル君、おはよ……」
「おはよう。ヒメ、モーカ、コロ」
「…………なんですと?」
朝、俺が普段よりも五分程早く登校した一年C組の教室で、天田の席に集う三人の美少女。
常に丁寧な物言いのB組の射場光姫、A組の男勝りな牛巻風花、俺達のクラスの引っ込み思案な蟹江心。三人ともどこか浮ついた様子で、天田に対して特別な感情を抱いていることは、誰が見ても明らかだった。
待ってくれ。いや、ちょっと待ってくれ。
通称『スリースターズ』。苗字に星座の漢字を含むこいつらは、一度目の人生でも早々に天田ハーレムへ参入したヒロインだった。
しかしだ、それは決して入学式から二週間で全員がハーレムに加入するという意味ではない。
最初に恋をする女ですら、一学期の中間テスト明け。まだ中間テストはひと月も先なのに三人そろって天田へ恋に落ちるなんてことは、まかり間違ってもならなかったはずだ。
「テルさん。あと一ヶ月程で中間テストですが、勉強のほうは大丈夫ですか?」
「あ〜。結構やばいかも。でも、モーカよりはましかなぁ?」
「なんで、あたしが勉強できない前提なんだよ! コロに教わるから、問題なし!」
「それ、私に問題がある……」
その姿を俺に見せるな。その声を俺に聞かせるな。
天田の真後ろが俺の席である以上、叶わない願いであることは分かっている。
それでも、願わずにはいられない。
落ち着け……。一度目の人生で、スリースターズも、他のヒロイン達も天田を訪ねてきた際に俺に話しかけてきたことなんて一度もなかったじゃないか。
だから、大丈夫だ。何も心配なんて──
「貴方が、石井和希さんですね」
全身の血液が、沸騰して全て蒸発したかと思った。
本当に、この世界は俺にとって不都合にできてやがる。
「射場光姫と申します。以後、お見知りおきを」
「ああ。よく知っているよ」
「……? そうですか」
一瞬だけ怪訝な表情を浮かべるも、すぐに冷静な表情へと切り替える射場光姫。
俺は自分の右手首を左手で押さえて、懸命に怒りと恐怖を抑えつける。
こいつだ。射場光姫こそが、一度目の人生で俺を破滅へと陥れた悪魔だ。
自分を悲劇のヒロインとして演出して天田の気を引くためだけに俺の……父さんや母さん、そしてユズの人生をぶち壊した最低最悪のクズ女だ。
「少々お伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
上品な笑みを浮かべているが、俺は決して騙されない、決して忘れない。
あの時、俺を陥れた時に浮かべていた歪で気味の悪い笑みを。
「なん、でしょうか?」
「テルさんのことです」
「天田?」
「貴方は、テルさんのことを避けていらっしゃるのですよね?」
その言葉で、一度目の人生で天田がいる前では決して話しかけてこなかった射場が、わざわざこうして声をかけてきた理由を瞬時に理解した。
これは、一度目の人生でも頻繁に起きていた『天田の弱音にヒロインが力を貸す』だ。
天田は、いざという時はかっこいいのだが、それ以外の時は比較的情けない奴だ。
だから、自分が解決したくてもできない事柄に関して、よく弱音を漏らす。
そして、その弱音を聞いたヒロインが、天田のために行動を起こすんだ。
今回の場合は、「俺と仲良くしたいのに、仲良くできない」と弱音を吐いたのだろう。
「それで、テルさんがどれだけ傷ついているか、ご理解いただけているのでしょうか?」
「傷つけ、るつもりは、ない。ただ、俺は一人でいる、のが、好き、なんだよ……」
緊張で上手く喋れない。しかし、そんな俺の事情など射場はお構いなしだ。
「そのような貴方の下らない我儘で、テルさんが傷ついているのです」
なんだよ、それ。俺が一人でいたいと思うのは、俺の自由だろ。
なんで、天田の都合を優先しないといけないんだ。
そう言ってやりたいが、恐怖で何も言えなくなる。
マジで情けねぇな。俺……。
「ねぇ、うるさいんだけど?」
「え?」
その時、俺と射場の会話に割り込んできた奴がいた。氷の女帝、氷高命だ。
「あっ! 命!」
氷高が近づいてきたことで、天田が明るい笑みを浮かべる。だが、氷高の表情は正反対。
さながら、凍てつく吹雪のような冷たい眼差しで射場を睨みつけている。
「……貴女には関係ないと思うのですが」
言葉は強気ながらも、態度は弱気。
射場はよく知っているからだ。天田が、氷高に対して恋心を抱いていることを。
想い人の想い人に対して悪態をつくのは、自分の立場を悪くする。
だから、射場は氷高に対して強く言い返すことができない。これも一度目の人生と同じだ。
「だったら、私に聞こえないところでやって。うるさくて、迷惑」
「ごめんなさい……」
ふと、思い出したのは、一度目の人生で俺が他のヒロインから責められていた時のことだ。
いつだって、こうして氷高が必ず駆けつけてくれていた。
あの時は、本当にうるさいのが煩わしくて文句を言いに来ていると思っていたが……
「そろそろ、HRの時間。他のクラスの人は帰って」
ハッキリと告げられた氷高の言葉に、射場が苦い表情を浮かべる。
「石井さん、できればテルさんと仲良くして下さいね」
最後にそれだけ言うと、射場は淡々とした表情へと切り替えて教室から去っていった。
それに、同じく別クラスの牛巻も続いていく。
「ごめんな、命。ヒメが迷惑をかけちゃって。でも、ヒメはすげぇいい奴だから……」
「興味ない」
「……ごめん……」
端的にそれだけ言うと、氷高は自分の席へとツカツカと向かっていった。
二度目の人生になって、初めて気がつくことができた。
氷高は、ずっと俺を守ってくれていたんだ。天田に言い寄られて、周囲のヒロインからは自分自身も色々と口さがなく言われていたにもかかわらず、俺を守ってくれていたんだ。
だけど、自暴自棄になっていた俺はそんな氷高の優しさに気づかなくて……。
スマートフォンを取り出し、メッセージを送る。送り先はもちろん、氷高命だ。
『ありがとう』
『どういたしまして』
氷高からのメッセージを確認した直後、担任がやってきてHRが始まった。
◇ ◇ ◇
「ごめん、石井! いきなり、あんなこと言われて困ったよな!」
HRが終わると同時に、天田は振り返って両手をパンと合わせた。
今さら謝るんかい。そう思ってるなら最初から止めろよ。すぐそばにいただろうが。
そんな情けないクレームを心の中だけで入れておく。
「ヒメも悪気はなかったんだ! ただ、俺を心配してくれてるだけで……」
「いや、別にいいんだけど……ちょっと、聞いてもいいか?」
「どうしたんだ?」
ハッキリ言って、俺の状況は非常によろしくない。