霜吹の雪原地帯を北東へ抜けると、一面の荒野がそこに広がっている。
もとは巨大な湖が干上がってできたと言われるこの『北宮城大乾原』は、旅商人達には単に『渇き原』と呼ばれ、忌避されてきた。
産物もなければ文明もない不毛の地、というのも勿論理由の一つだが、通行に比較的便利なこの地形を行商人が通らないのは、ここに日本政府所有の軍事基地が存在するからに他ならない。近寄れば、軍人に暇つぶしに撃ち殺される、というのも、商人達の間では通説であった。
その、軍事基地内部である。
一台のジープが土煙を上げて施設に入り、止まった。
ドアが開くと、そこから小柄な老人が外へ蹴り出されて、顔を強く地面に擦った。
「おーいおいバカバカやめろって。目上に対する敬意がねえんだな、こいつらには……」
遅れて車を降りた黒革が、血の滲む右目の包帯を気にしながら老人へ近寄り、助け起こそうとする。老人はそれを払いのけてくるりと跳ね起き、ぎょろついた眼で一睨みくれてやった。
「触れるない。外法の胞子が咬みよるわ」
「くく」黒革は笑って、ジャビに挑みかかる黒スーツを片手で制した。ビスコに吹っ飛ばされたはずのそれは、もう新しい義手に交換され、ぎらぎらと銀色に光っている。
「元気なじいさんだよ。そうでないとな。冥土の土産の渡し甲斐がない」
歩き出す黒革の前方を仰ぎ見れば、角ばった建物ばかりの軍事施設には異質な巨大なドーム状の建造物が目に入り、どうやらそこへ黒革は向かっているようであった。
(何を考えている……?)
黒スーツに背を突き飛ばされ、ジャビの思考は遮られた。黒スーツ達は、その冬虫夏草みたいな不気味な頭を隠すためか、カエルやらヒツジやら、一様に不気味な、道化じみた覆面で頭を覆っている。ジャビは自分を蹴り飛ばした黒スーツの前につかつか歩くと、その股間を強かに蹴り上げてやって、悶絶するそいつを後にけろりと黒革に従っていった。
「そこまで肝が据わってると、こっちもやりやすいな。人質とはあんたのようにあるべきだ」
黒革はジャビの隣へ並び、機嫌良さそうに話す。暗い施設の中はむわりと立ち上る熱気がすさまじく、ゴウンゴウンとひっきりなしに動く機械の駆動音で、話す声すら聞き取りづらい。
「興味ないのか? 何故あんたを……その、殺さないのか」
「今日が、敬老の日だからじゃ」
「っははは……。大した爺さんだ」
黒革は上機嫌に拍車をかけて、手下が差し出したファンタグレープを引ったくると、四口ほど飲んでそいつを放り捨てる。
「それだとあんたを明日殺さないといけなくなる。まあ、見てもらったほうが早いんだ」
足場だけのエレベーターに乗って、上階へ上がってゆく。やがてエレベーターの眺めが開けると、巨大なドームの中心にある、赤熱化したマグマの海のような一帯が目に飛び込んでくる。
(溶鉱炉……?)ジャビは目を凝らし、その全容を目の当たりにして、驚愕にわなないた。
(これは……!)
「お前達、キノコ守りを迫害して手に入れた、サビツキアンプルのおかげで……サビツキ患者が、減ってるのは事実さ」黒革は、ジャビの後ろから覆いかぶさるようにして、耳元に語りかける。「そうすると……需要と供給のバランスが、崩れちまうよな。薬が余ってるなら……患者の方を、増やさないといけないだろ?」
「ばかな……こ、こんな……!」
「錆を、煮てるのさ」
黒革が口角を吊り上げ、「にやぁ」と笑った。
溶鉱炉に見えたものは、高温に煮立つ、人工の『錆』であった。このドーム全体が、人為的に錆を生産するための、およそ人道の真逆をいく施設だということに、流石のジャビも、嫌悪に総毛立つ身体を抑えきれなかった。
「自然発生する錆び風、なんてものはな。もうしばらく前から、影響が薄いんだ。患者は、減る一方さ。それならどうする? ジャビ。豊臣秀吉なら何て言うだろうな。吹かぬなら……」
「錆を量産して……風を、人為的に、吹かせたというのか! まさか、どうやって!」
「いい声出すじゃないか、爺さん」
くくく、と黒革は心底楽しそうに笑い、ひらりとジャビから離れた。
「昔、日本を錆まみれにした巨大兵器は、その体内に錆の炉を飼っていた。自分の中で、無限に錆を生成することができたのさ……」
「……。」
「そいつだよ。そこで寝てるそいつが、東京に穴を空けて、日本を錆の海に沈めたんだ」
ジャビは溶鉱炉に視線を戻し、赤熱する錆の海の中央に沈む、巨大な人の骸骨のようなものを見て取る。薄く、皮膚のようなものを持つそれは、その胸部にある巨大な心臓を定期的に脈打たせており、どうやらそれが錆の母体になっていることは間違いないようであった。
「テツジン……!」
「日本に現存する五体……だか六体だか諸説あるが、うち一体の生きたテツジンがこいつだ」
絶句し、よろよろと後ずさるジャビを腹に受け止めて、黒革は優しく肩を叩いた。
「老人には刺激が強すぎたな。ほら、ついたぞ。まあ座ってくれ、ほら行こう」
ドームにせり出すように位置した管理室に、ずらりと覆面が並んでいる。ジャビは黒革に引きずられるようにして窓際に座らせられ、目の前にコーヒーカップを叩くように置かれた。
「べつにテツジンを動かそうってんじゃない。ただ、炉は生きてる。そこで煮てる錆の塊を、弾に詰めて。このドームの隣にある、ガネーシャ砲で撃っぱなす。ドカーン。っつーと、もう、そこで錆び風が吹くんだ」
管理室のガラス張りの窓からは、横たわる巨人の骨と、赤く煮える錆の海がよく見えた。
「とりあえず今は、子泣き幽谷? とかいうところに一発必要でな。筒蛇とかいう錆喰いの元を、全滅させにゃならん」
「ばかな……! おぞましいと思わんのか。こんな、人道に悖る……」
「そんな感覚がオレにあれば、そもそも、お前らを裏切ってはいない」黒革はジャビの横へ座り、ずい、と眼前へその顔を寄せた。包帯から染み出す血の香りが、ジャビの鼻を焼く。
「オレと組め、ジャビ」
「……。」
「オレが、大量の錆喰いを抱えてることは、知ってのとおりだ。パンダ医師が言うには……錆喰いの効力を覚醒させるためには、キノコ守りの血が必要らしいんだよ……それこそ、採取した量からすれば、オレが百人いたって足りねえだろう」
黒革は声を低めて、老人をいたぶるように、じっとりと続けた。
「新鮮な、若いキノコ守りを選りすぐって……提供してくれないか。もちろん金は出す。残ったキノコ守り全員に、飯も、住居も。プール付きでな。お前が、長として説得するんだ、キノコ守り達を。簡単だろ? 尊い犠牲で、命が助かるみてえな演説を、一発さ……」
「喋るな、外道の、毒キノコめが。そんな申し出、ワシが受けると思うのかよ」
「違う。受けるしかないんだ、ジャビ。言っただろ、日本のどこでも錆の海にできると。子泣き幽谷の前に、お前らキノコ守りの集落に、撃ってやってもいいんだ」
ぐ、と言葉に詰まり、二の句の継げぬジャビに対して、勝ち誇った黒革の笑みが迫る。
「言えるよな? 爺さん。うんと言ってくれ。オレと……組むか?」
「黒革……」
「ん?」
「もうちょい、近う……」
言われるがままに顔を寄せた、黒革の鼻っ面に、
ごずん! と、ジャビが強かにその額を叩きつけた。
「ひひひひ。バァーカ。撃つんなら、撃ちゃあがれ、ぼけ」
鼻血を吹き散らかして悶絶する黒革を見て、げらげらと笑うジャビ。