錆喰いビスコ

17 ②

「てめえはてねえ。そのまめつぶみてえな度胸じゃ、じじい一人にたんきるのがせいいつぱいよ」

「老いぼれェ───ッ!!」


 鼻血をいていかくるくろかわの前に、一人の黒スーツが進み出て、ジャビを思い切りなぐりつけた。二度、三度、なぐりつけるたび血が飛んで、そのウサギのふくめんにべったりと張り付く。


「おい、おいおい、バカ。もういいよやめろ、死んだら困る。……そうだ」くろかわは、そのウサギふくめんのあまりのぼういかりをがれて、半ばあきれたように言うと、ふところから短刀をいてそれをゆかへ放った。「弓を引けねえようにしてやれ。くんしようがひとつ減りゃ、多少はこたえるだろ」


 ウサギふくめんは、ゆかに転がされた短刀をかんまんな動作で拾い上げると、ジャビの手をゆかたたきつけ、そこへてがった。


「ジャビ。キノコ守りにその人ありと言われた、きゆうせいの指だ。落とすにゃしいだろ。うんと言えば指は無事だぞ。十数えてやる……十、九」

「やれや、くろかわ。老いぼれ一人の指切って、今日だけでも、ぐっすりねむりゃいい」

「ゼロだ」


 くろかわの声で、ウサギふくめんは短刀をりかぶり、思い切りろす。

 ばづん!

 短刀が一息にったのは、ジャビの両手をつないだ、じようそのものであった。しゆんかんふくめんとジャビはそれぞれ逆の方向へ飛び、かべぎわに並んだ黒スーツ達へかった。

 くろかわひるんだ数秒のすきに、ウサギはその身体と短刀をひらめかせてまたたに五人、六人と黒スーツののどもとき、一方のジャビは老人と思えぬきやくりよくすでに三人のあごくだいている。

 ようやく体勢を整えたスーツ達の、つかみかかるそのうでをすりけてウサギ面の短刀がひらめくたび、血がむちとなってゆかを、かべたたき、前衛芸術のように部屋をいろどった。くろかわを守るように飛び出した一人をまわりではじばし、ウサギ面はそのまま短刀をくろかわろした。

 がぎん! と、けんじゆうの背で短刀を受けるくろかわほうとはいえくろかわも熟練のキノコ守り、とつりでウサギ面の身体をねのけ、退すさるそれへ向けて、がん、がん、とっぱなす。

 ウサギ面はわらわらと群がるスーツ達を足場代わりにんでたまのことごとくをかわし、ものへびのように身体をしならせて、くろかわつまさきへ思い切り短刀を突き立てた。


「がああッ」


 くろかわががむしゃらにはらったみぎうでが、ウサギ面の耳をひっつかみ、ふくめんを引っぺがした。

 ふくめんの中から、ざあ、と真っ赤なかみが燃える。

 不敵な笑みに光る犬歯、一度見たら目に焼きつく両目の眼光が、くろかわの心臓をわしづかみにした。


「ばあ」

あかぼしぃぃッ」


 けんじゆうがビスコの脳天をとらえ、引き金を引く前に、ビスコのそくとうが一直線にくろかわ鳩尾みぞおちさり、くろかわの身体を管理室のガラスへ思い切り打ち付けた。

 ガラスはそのりよくを支えきれずに粉々にくだけ、ガラスへんを散らしながら、くろかわもろとも赤くえるさびへと落ちていく。

 主人の危機にあわてふためく、いとりのスーツ達は、ジャビの相手もそこそこに、我先にとに組まれた足場へ向けて飛び降りてゆき、くろかわの救出に向かう。

 くろかわは足場のはしっこにつかまってもがいており、走り寄った一人の黒スーツにつかまってなんとかがると、いらちに任せてえ、そいつをとした。


「はッ。しぶといろうだ」ビスコはそれを見下ろし、慣れないスーツとネクタイをてながら、まみれの顔で笑った。「なぐって悪かったな、ジジイ! でも、おれもガキのころ、よくなぐられたから……これでチャラってことで、いいだろ?」

「ビスコ、お前……!」


 快活に笑うビスコと裏腹に、ジャビは息をんだ。ビスコの身体が、その理由である。び矢にむしばまれたその身体は、みぎかたから首、もはやほおまでをさびおおわれている。腹や、ひざ、他の部分も服でかくれていこそすれ、ひどありさまであることは想像にかたくない。


「ばかな。こんな、こんな身体で……! なぜ来たビスコ、ワシなんぞのために!」

「はッ! そう簡単に死なせてたまるか。まだまだ働いて、もらわねえと……」


 びぎ、と、さびが身体をむしばむ痛みに、わずかにビスコの動きが止まったのを、ジャビがばやく助ける。ビスコはその手をやさしくはらって、にい、と笑ってみせた。


おれくろかわを仕留める。……ここで、ケリをつける。その間にジャビはその、ガネーシャほうとやらをこわしに行くんだ。さびいも、おれたちの里も、それで助かる」

「バカ言わしゃんな。お前を置いてか!」

おれだれだ? ジジイ」


 緑色の光が、強く、おだやかに、ジャビと目を合わせた。


おれはビスコだ。あんたが、全てを注いで育てた男だ。おれを信じろ。おれがあんたを、信じるように」


 ジャビがよく知る、れつで、自信家なビスコ。ただひとつだけ、ちがった。もう、ビスコはえていなかった。ビスコというかわいたうつわが、温かい水で満ちていることを、そこで初めて、ジャビはさとることができた。


「……ビスコ。うらむか、わしを」


 ジャビはふるえる声でうつむき、ビスコに問いかける。


「おまえを、しゆどうに引きずりこんで。こんな、死地のきわきわまで、お前を、呼び込んでまで。これまで、愛というものに気付かせなかった、わしを。うらむか……ビスコ……」


 ビスコはしばらくそこへくして、小さくふるえるジャビをじっと見つめている。そしてしずかにかがみ、そのふるえをおさえるように、びたりよううでで父の身体を強くきしめた。

 ジャビは、思わぬことに両目を大きく見開き、息をつめて身体をこわばらせたが、ビスコから伝わる体温と心臓のどういて、少しずつきんちようゆるめ、やがて小さな身体にんだ息をまとめてした。

 ビスコは静かに目を閉じ、すっかりせてしまったジャビの身体が、落ちついてふるえを止めるのを感じると、その軽い身体をひょいと持ち上げて、エレベーターめがけてぶん投げた。


「行けッ! ジジイ!」

「死ぬな、ビスコ!」


 ジャビが去り際に投げてよこした、キノコ守りのがいとうまとったビスコは、かくいていた手荷物から自分の弓を拾い上げた。

 もう、あとは、やることをやるだけだった。

 いたひとだけは、死地を目前にして奮い立ち、ぎらりと犬歯を光らせて、割れたガラスをえてさびへ飛び込んでいった。


 こうじようの足場は、いんせきのように落ちてきたビスコの身体を受け止めてわずかにたわみ、ぎしぎしと悲鳴を上げた。

 辺りには、からさびに巻かれて、さびの像と化した黒スーツのなきがらや、折れた手すりにくししになってびくびくとふるえる者、びたこしやらあしやらを折って身体をずるずる引きずる者と、およそ悪の根城の本丸としては、いささかひようけのありさまになっている。

 ビスコはひとつ、ごきりと首を鳴らして、手すりに寄りかかってあらい息をつくくろかわへ向かい、どうもうさをしにして笑いかけた。


「おいおい。こっちゃ一応、命けてきてんだぜ。本丸がはんかいしてるじゃねえか。悪の親玉なら、でっかく構えててもらわねえとよォ、ねえんだよなァ、張り合いがさァ」

「ガラクタ同然の身体で、ノコノコ、出て来やがって……!」


 くろかわは息を必死で整えながら、ふるえる手でじゆうをビスコへ構える。



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影