錆喰いビスコ9 我の星、梵の星

5 ①

 抱きしめた肉から、こぼれる──

 真っ赤な死のぬめり。とめどなくあふる鮮血は、止まるどころか勢いを増しつづけ、濁流となって自分の服を汚してゆく。

 腕の中で、愛するものが冷たくなってゆく恐怖に、

 レッドはその身を震わせて、

 絶望に戦慄わなないた。


「あああ……。」

「いやだ、いやだ、いやだ……!」

「あたしも一緒に死ぬ。」

「殺してくれ、」

「あたしを殺してくれ────ッッ!!」


 ***


「う……!」

「! レッドさん!」


 ミロは寝台で身じろぎしたきよの女に、慌ててその顔をのぞき込む。


「いやだよ。いかないで。ミロ……!!」


 覚醒してはいないようだが、その童顔は苦しげにゆがみ、歯をいしばって絶望の悪夢に耐えているようだ。


(レッドさん……。)


 どんな夢を見ているかはわからないが、ミロはだか胸がいっぱいになるような苦しさを覚えて、その首筋から頰にかけてを静かにでてやる。


(……このいれずみの全てが、託されたおもいの数だとしたら)


 入り組んだいれずみのそれぞれがミロの手に触れるたび、それぞれがじわりと焦がす熱を持って、白い指とてのひらに伝わる。


(この人は。一体どれだけ、つらい思いをしてきたんだろう?)


 ミロの優しい手に触れられている間だけ、レッドは呼吸を落ちつけるようだった。ミロは青く星のような瞳でその寝顔をひととき見つめ、それで触診を終えた。



『別時空から女ビスコが降って来た』──

 という尋常ならぬニュースは、すぐにチロルによって共有され、現在はばんりようの救急室でミロが様子を見ている、という状態であった。

 あのじんを超えたパワーでまた暴れ出したら大変だというので、レッドの胴や腕は鉄の金具で寝台に固定されており、万一のことも考え、シュガーとソルトの二児があかぼしマリーのもとに預けられている。


(心はともかく、身体からだの回復速度はすごいな……あのアクタガワの一撃を受けて、もうすっかり回復しつつある)

「ミロ、もう入っていい?」

「あっ、チロル!」


 病室の外から、チロルの軽薄な声がする。


「待ってね、いま服を着せて……」

「いいらしい」

「うむ、どれどれ……」

「やっぱ疑わしくなってきたわ。こんなバケモンが、ほんとに俺なのか~~~?」

「ああっっ、だめだって、こら、入ってくんなっっ!!」


 ミロが制止するのも聞かず、ならずもの三人がゾロゾロと病室に入ってきた。ミロの繊細な施術を台無しにするがことく、


(((じい~~~っっ)))


 寝台の前後左右から無遠慮にレッドをのぞき込んでいる。

 レッドは目覚めぬまでも露骨に息苦しさを感じたのか、「ウ~~~ン!!」とうなって首をばたばたと振り、おでこに脂汗をかいている。


「ほほ~。これが女あかぼしちゃんですか」

「こ、これが……!!」

「コラ──!? 女子二人!! ちょっとは遠慮しなさい!!」


 品定めするようなチロルと、まなこを見開いてレッドにくぎけになるパウー。患者をまもろうと二人をい止めるミロの隙をついて、今度はビスコが別時空の自分を見つめる。


「いまだに納得いかねえぜ。見ろ、狂犬じみたこのツラの、どこが俺なんだ!? こんなのが世の中に放たれてみろ。法も平和もあったもんじゃね~」

「あんた鏡見たことないの?」

「法も平和もじゆうりんしておいて、何をしらじらしい」

「本気かお前ら!? 何とか言ってやれミロ、こいつそもそも──」

「女じゃねえか、って言いたいのもわかるけど」


 女子二人の想像以上のきようしんしんっぷりに、ミロは引き離すのを諦め、ビスコの問いかけに答えた。


「医学的見地で見ても、この人の組成はほぼビスコだよ。チロルの分析どおり、黒時空の人達はみんな性別が反転してるんだと思う」

「ふう~~~ん……」

「ま、もともとあかぼしも、ヒロインみたいなもんだけどね」

「どういう意味だ!? 説明しろ!!」

「……説明してもらうのはこちらのほうだっ!」


 びくっ! とすくがる一同。それまで言葉少なにレッドを見つめていたパウーが、いきなりいきり立ってビスコにつかみかかったのだ。


「女になった自分を見てみろ、亭主殿。すべてが私より大きいではないか!? 妻の私に恥をかかせおって、どういうつもりなんだ!」

「ええっっ!?」

「そうだよ。どういうつもり!?」

「知ったことか俺がァ───っっ!?!?」

(う、うう……)


 やかましい声が……

 さすがにレッドの混濁した意識の奥にとどき、


(う、うるせ~~……!!)


 正当な感想を導き出す。

 濁った頭のまま薄目を開けても、まだ視力や聴力は回復しきっておらず、何も見えない。ただ感触で理解するには、自分は何か寝台のようなものに寝かされていて、様々な計器で身体からだの組成を調べられているらしい。


(どこだここは。あたしは、一体……!?)


 曖昧な意識のまま本能的な危機を感じたレッドは、身体からだを起こそうとして、寝台に鋼鉄の器具でくくりつけられていることに気付く。首、手首、胴と厳重に拘束するそれを、一瞬にして敵と認識すると……



(ま……)

(まずい、)

られるっっ!!)



「……うううおおおおお─────ッッ!!」


 ばぎんっ!

 いれずみを真っ赤に輝かせ、はじけんばかりの筋肉でそれをぎとばした!


「「「ああっっ!!」」」


 レッドをしりに、わちゃわちゃと騒いでいた一行は、途端に身をひるがえし、体勢を整える。それへ向けてレッドはきよに力をみなぎらせ、それまで寝ていた寝台を一息に持ち上げると、


「どおおおらッッ!!」


 筋肉にみなぎる力で、まるで球でも放るようにそれを投げつけた。とつに飛びのく一同のすぐそばで、寝台は壁に当たって砕け散る。


「ヒェ──ッ!! 起きた!!」

「こいつ!」

「ビスコ、ステイっ! レッドさん、落ち着いて!」


 ミロは慌てて一同の前に立ち、意識が混濁したままのレッドを説得しようとする。


「僕たちは敵じゃありません。あなたは精神に深いダメージを受けている……僕を信じて、治療を受けてください!」

「お、おまえ、は……?」

「僕は、ねこやなぎミロ!」


 ねこやなぎミロ。

 明るく理知的で、涼やかな声。少し音域が低いようだが、それでもレッドの心を優しく包むような、相棒の声だ。


「ビスコの相棒です。学校でてます! だから安心して……」

「……ミロ? そんな、そんなはず、ない……」


 いかなる患者もなだめてきた、美貌のパンダ医師の優しい声にほだされかけて、レッドは先の悪夢をはんすうし、固まった。

 この声が、この暖かさが、ミロであるはずがない。


「だって……ミロは、死、死──」

「おい、やばいぞ。ってる、正気じゃないぜ!」

「レッドさん、しっかりして!」

「その、声で! 話しかけるなあああ────っっ!!」


 思い出したくない、深く封印した記憶に焦がされるようにして、レッドの全身のいれずみが熱波を発し、部屋中のものをはじばした。


「わああ──っ!? ばんりようの研究史が!」


 熱波でめらめらと燃える貴重な書物を前に、チロルがお下げを逆立てて騒ぐ。


「ちょっとミロ! あんたの声で落ち着くどころか、逆効果じゃん!」

「ど、どうして!?」

「いんちきパンダの本質を早くも見抜いたらしい。さすがは俺といったところだ」

「どこがいんちきか言ってみろおいっっ!!」

「退がれ、男児どもっ!」


 少年たちがめだすその後ろから、がうんっ! とひとつてつこんを振り抜き、はくじやこんの戦士パウーが前に歩み出た。


「このままではレッド殿の傷が増すばかり。もう一度気絶させる他あるまい。あかぼしが伴侶たるこのねこやなぎパウー、しかとお役目引き受けた!」

「パウー、だと……!?」


 ふらつく頭にその名を聞いて、レッドがハッと顔を上げる。視力の戻り切らないその瞳の前に、活人のてつこんが突き出される。


「ご無礼、許されよ! けええええりゃあ────ッッ!!」



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影