レッドは、己の手に握られたその形見を見て、おぼろげだった記憶の一部──アクタガワの死の瞬間を取り戻し、目を閉じ唇を嚙んだ。
しかし悔恨はほんの二秒、戦意にみなぎるレッドの瞳は再び見開かれ、ビスコを正面から見据える。
「あいつ、刺青から力を引き出すのか!」
「光栄に思いな。おまえもその一部になるんだ」
「冗談じゃ……わあっ、アクタガワ!!」
レッドが掲げる天蟹弓の輝きに、いきなりアクタガワが暴れ出した。動物的本能で、眼前の武器が自身の写し身であるとすぐにわかったのであろう。
その暴れ方は「ぼくのほうが強いぞ!」と示すようで、同じ魂ふたつが巡り合えばこれはお互いに張り合うのは仕方がないことであるらしい。
「落ち着け! 兄弟で力を合わせないと──」
ぽこぽこ(泡)!
「わーっ、揺らすな!」
「こらーっ! パパ、アクタガワ!」
そこで赤星兄弟は、ぺしん、ぺしん! とシュガーにおでこをはたかれる。慌てふためいていた男たちはいきなり神妙になって、女児の前に頭を垂れた。
「自分が相手だからって急に慌てて。おとなげないぞっ!」
「はい」
ぽこ(泡)。
「向こうとこっち、どっちが強いの!?」
「こっちです」
ぽこ(泡)。
「だったら自分を信じて。三人で一緒に祈るよ、せーの!」
「「来ォォいッ、超信弓!!」」
ビスコ、シュガー、そしてアクタガワ。三人の信じる力が胞子となって舞い上がり、ぐおんッッ、と、ビスコの手に虹色の弓を顕現させる!
「!! あれは!」
レッドの表情がわずかに驚愕に染まる。超胞子の力であらゆる未来を創造する『超信力』の弓は、黒時空においてはついに顕現しえなかった力であるからだ。
「そうか、これが、超信弓……夢見る力の弓ってわけか!」
黒時空の天蟹弓。そして白時空の超信弓! 並び立つはずのない二つの究極弓が、この海上において向かい合う。
「上等だぜ。先に撃ちな! あたしが現実見せてやるッ!!」
「抜かせェ、コラァァ──────ッッ!!」
ばぎゅうんッッ!!
どぎゅんッッ!!
二つの極大の閃光がぶつかり合い、海上で特大の爆発を起こした! ぼぐん、ぼぐん、ぼぐんっっ!! とキノコが咲き上がり、まるでモーセのように海を割って、海面に大きなキノコの足場を咲かせる。
「うおお───っっ……」
衝撃に髪をなびかせて、アクタガワの上で堪えるビスコ。
「ご……互角だと!?」
一方のレッドも驚きを隠せない。お互いが本気で放った二つの矢の力は、驚くことに完全な互角であったらしい。
だが、次の手が速かったのは──
「パパ、いまだよっ!」
「よォッしゃァァ────ッッ!!」
ビスコのほうであった! パウー仕込みの棍術でもって、娘からパスされた大菌棍を振りかぶり、レッド目掛けて袈裟懸けに振り下ろす。
「どらッ!!」
「! ちぃッ」
レッドが咄嗟に天蟹弓で受ければ、胞子の閃光が飛び散ってあたりを大きく照らす。続く二撃、三撃と雷光のようなスピードで、ビスコの技がレッドに攻め手を許さない。
「弱点見えたぜ。お前、一撃のパワーがでけえ分、手数は劣るようだな!」
(こいつ……!!)
「刺青にいくつも悪霊を飼ってるようだが、それが仇になったのさ。怨念の重みを抱えながら、俺のスピードに追い付けるかよ!」
「──悪霊、だと!」
ビスコと至近距離で向かい合い、翡翠の瞳をぶつけあって、レッドの表情が憤怒の色に染まった。犬歯をぎりりと嚙みしめれば、今度は右手首の刺青が輝き、腕全体から太陽色のツタが伸びあがって、ビスコを押し戻してゆく!
「! ツタが!? こ、この技は!」
「悪霊と言ったのか。あたしの中の、みんなのことを!」
ばぎいんっ! とビスコを跳ね飛ばし、大きく振りかぶられたのは、紅菱王シシの武器のはずである『獅子紅剣』である!
「みんなの魂を、悪霊と言ったのか─────ッッ!!」
ずばんっっ!!
「ぐわァッ!」
薙ぎ払われた獅子紅剣はすさまじい切れ味で、神器・大菌棍を両断してしまう。咄嗟に身を引いて躱すものの、その切っ先はビスコの胸筋を斬り裂いて血を噴き出した。
「パパっっ!!」
背後のアクタガワからシュガーの菌鞭が伸びて、続く斬撃からビスコを間一髪で救い出す。ビスコは鞍上で冷や汗を拭いながら、レッドの恐るべき力に驚嘆する。
「鬼気迫るとはこのことだぜ。どんだけ俺を殺したいんだ、あいつ!」
「パパ……」
「んん?」
呟くシュガーの表情は切なく、憐憫をもって眼前を見つめている。レッドからの追撃がないのを不思議に思い、ビスコもシュガーの目線を追うと……
「ぐ……あ……熱い……!!」
「ああっ……!?」
無傷なはずのレッドの身体中から、肉を焦がす白煙が上がっている。その身に力を与えるはずの刺青の怨念が、逆に宿主を焼き尽くさんばかりに燃え滾っているのだ。
勝て、ビスコ。
勝て──
「ぐわああああ──っっ……!!」
「オーバーヒートだ。あいつ、自分の刺青に焼かれてる!」
肉の焦げる匂いが漂い、痛ましさにシュガーは眼をそむける。それでもレッドは獅子紅剣に寄りかかり、膝をつくことすら己に許さない。
「だ、だめだ。勝つ。あたしは、勝つんだ──」
「止めろ、バカ女!! 再戦は受けてやる。こんな所で、自滅するつもりかよッ!!」
「勝って、おまえを、喰わなくちゃ……!!」
ビスコと合わせる翡翠の瞳には、もはや理性は残っておらず、ただ決意と焦燥の入り混じった、悲愴のほむらが燃え盛っている。
「強くなって、ラストを倒さなくちゃ。でなければ、なんの、ために──!!」
「パパ!」
シュガーが縋るように父親を振り向く。
「お願い。あの人を助けてあげて!」
「……ようし。わかった!!」
ビスコは頷いた。
自分のことは自分がよくわかっている。言ってわかる相手でないのなら、ひとまず気絶させるほかはない。
「お前の出番だぜ、アクタガワ!」
「ぐうおおお───っっ……!!」
一方のレッドは肉体の限界を越えながらも、使命感だけで天蟹弓の弦を修復する。
「あたしが、勝てないなら、何のために!!」
ビスコの手綱で突っ込んでくるアクタガワへ狙いを合わせると、矢を引き絞り喉を震わせ、悲鳴にも近い声で叫ぶ!
「みんなは死んでいったんだよおおおお───ッッ!!」
「……レッド!!」
「メア、力を貸して! ライフ・オーシャン・ストリ──ムッ!」
ここが海であったことが幸いした。海神メアの神威がシュガーに力を貸し、渦を巻き上げてアクタガワを包み込んだのである。
海神の加護を受けたアクタガワの周りには、海水を巻き上げる渦潮の力が顕現する。大鋏をぎらりと掲げれば、それを中心に海水の竜巻が巻き起こる!
「その力! あたしに寄越せえ───ッッ!!」
放たれる天蟹弓、しかし!
「いけえ、アクタガワ!」
「「ライフ・オーシャン・ブリザ───ドッッ!!」」
迎え撃つ大鋏から海水が昇竜のごとく沸き上がり、放たれた天蟹弓の矢を寸前で吞み込んだ! 乾坤のライフ・オーシャン・ブリザードはそのままレッドを巻き上げ、絶対零度の氷柱となって凍り付く。
「う、うわああっっ!?」
焼き尽くされて灰になりかけたレッドの身体は、そこで急速に冷凍され一命をとりとめる。いまだ戦意剝き出しでもがくレッドへ向かい、アクタガワが大質量の甲殻を跳ね上げ、ドリルのように身体を回転させる。
「こいつで頭を冷やしな!」
「かに奥義!」
「「 太 陽 蟹 大 回 転 ッッ !! 」」
どずばんっっ!
砕け散る氷柱! アクタガワのスピンアタックは、丁度レッドを気絶させるだけの見事なコントロールで炸裂した。レッドは舞い散る氷のきらめきの中で、焦燥に覆われた意識をついに手放す。
(ああ。)
(あたしやっぱり、だめだよ、一人じゃ。)
(おまえなしじゃ。)
(ミロ……。)
目尻から刺青を伝って、翡翠色の涙がひとつこぼれた。
その涙ごと、自分の身体がビスコの腕に受け止められるのを、レッドは失いつつある意識の片隅で、かすかに感じていた。