「!! てめええ──ッッ、俺の子供を、放せ───ッッ!!」
すでにビスコは背中から弓を引きぬいている。番えられた矢が錆喰いの輝きを鏃に灯せば、それは太陽色の直線となって女へ襲い掛かった。
ビスコが鞍上から放つ必中の矢を受け止められるものなど、最早この地球にいない、
そのはずが、
「寝ぼけんじゃねーぞ、イヌヤロウ……!!」
そこに閃く外套のシールド! なんと巨軀の女が翻すキノコ守りの外套が、音速を超えたビスコの矢の勢いを殺し、ふわりとその場に浮遊させたのである。尋常ならぬ合気の技、思わず庇われているシュガーも感嘆するほどだ。
「赤星シュガーは……」
「何いッ、俺の矢を!」
「あたしの、子だああ────ッッ!!」
そして女の手に収まった矢は、その凄まじい筋力によって投げ返される。衝撃がまるで海面を割るように水を跳ね上げ、弓から放った矢と全く遜色ない勢いで、ビスコめがけて突き進んでくる!
「うおおおっ!? アクタガワッッ!!」
咄嗟に操った手綱で、アクタガワの大鋏が錆喰いの矢を撥ねのける。矢ははるか後方に吹き飛んでゆき、水面に着地すると同時にそこに無数の錆喰いを咲かせた。
(……何モンだ、あいつは!!)
背後の海面に咲いた錆喰いの山を見ながら、ビスコが心中で呟く。
(いや! 言葉にはできないけど、俺にはわかってる。あいつが何なのか!)
「おまえが誰なのか、大体察しがついたぜ」
ビスコの思考とシンクロするように、女の声が響いた。ブーツの裏から咲かすクラゲダケで海面に仁王立ちし、ビスコを睨んでいる。
「だが万が一ってこともあるからな。人違いで殺されちゃあ、おまえも浮かばれねえだろう……あたしに名乗ってみな、キノコ守りのチンピラ!」
「この俺を知らねえとは。てめえ、太陽系のモンじゃねえらしいな!」
咬みつくように吼え合う口の、尖った犬歯の位置まで同じだ。シュガーは「離れておいで」と自分を解き放つ女と父を、おそるおそる交互に眺めている。
「だったら母星に伝えやがれ。地球は二人の人間によって守られている……俺がその一人! 地球最強のキノコ守り、赤星ビスコだッ!」
(赤星、ビスコ!)
女はその名前を聞いて、やはり、と得心いったようだった。そしてその前についた修飾詞について、わずかに嘲りの笑みを漏らす。
「……地球最強の、キノコ守り?」
「何か可笑しいか、てめえコラァッ」
「おかしいさ。おまえが、最強であるわけがねえ……」
微笑む女の口端から、ぎらりと犬歯が覗く!
「丁度、あたしがそうだからなあッ!!」
女はその全身に力を漲らせ、ビスコめがけて〈どぎゅんっ!〉と流星のようにカッ跳んでいく。ビスコもアクタガワの眉間を蹴って中空に躍ると、短刀を引き抜いて女を迎え撃つ。陽光にかがやく海上で、トカゲ爪の短刀と豪腕が交差する!
ばぎんっ!
(うおおっっ!? な、なんつー怪力だ!?)
「おい、何だあ、そりゃ?」
この日本に、膂力においてビスコを上回るものなど、妻のパウーを入れても数えるほど。しかし女の怪力は、その鬼神めいた見た目すら更に上回るものであった。
ビスコは隕石のような女の拳撃を辛うじて躱し、その伸びた腕の腱に「そこだァッ」と一撃切りつける。しかしトカゲ爪の短刀は女の刺青に触れるや否や、それを斬り裂くどころか逆にへし折れてしまった。
「うげえっ!? 噓だろ!!」
「まさかそれが全力じゃねえだろうな。仮にもあたしの分霊なら! 少しは気張ってみせやがれ、ビスコ──ッッ!!」
カウンター気味に入った女の左フックが、ビスコの鼻っ柱を捉え、盛大に血を噴き出させた。その力、その技に、ビスコはいよいよ確信を強める。
(間違いない。こいつは、この女は!!)
「そうとも。あたしの名は『赤星ビスコ』!」
『赤星ビスコ』の豪腕が、ビスコの首根っこを摑み、眼前に掲げる。
「黒時空の未来のために。おまえの魂、貰いに来たッ!!」
「がぼっ!!」
首を摑まれた状態で、ビスコは叩きつけるように海底に沈められる。美しいマリンブルーの海中で、口から泡を吐いてビスコはもがく。
(うおおお──っっ!! 自分に殺られて、たまるかああ──ッッ!!)
アンプルサックから一本の薬管を探り当て、それを外套に突き刺せば、ぼんぼんぼんっ!! と続けざまに撥水性のフッ素ダケが咲き誇り、女の身体ごとビスコを中空に跳ね上げた。
「ぶはあっ!」
「く……こいつ、しぶとい!」
「パパ──ッッ!!」
噴水のように跳ね上がったビスコを、シュガーの駆るアクタガワが受け止める。ビスコは濡れネズミになった自分の頭を犬のように振って、ぺしゃんこになった髪型をわずか一秒でもとにもどした。
「パパ、大丈夫!?」
「げほっ、がはっ! あの筋肉は飾りじゃねえ、なんつー力してんだ!」
「あの人、なんだか他人の気がしない」
シュガーは自分でも不思議そうに、ビスコへ言う。
「安心するの。ママとは全然違うのに、なんだか、お母さんみたいな……」
「その感覚、あながち間違いじゃねえぜ、シュガー!」
ビスコが再び前方を見れば、そこには海面に腕を組む『赤星ビスコ』の姿がある。全くダメージは受けていないものの、シュガーが自分ではなくビスコを選んだことに対して、理解しながらも落胆の色を隠せないでいる。
「あいつは『赤星ビスコ』。鏡映しの時空に居る、もう一人の俺なんだ!!」
「ええっっ!?」
そのビスコの大声について、女の方からも異論が飛んでこないので、シュガーは素っ頓狂な声を上げてふたたび交互にお互いを見つめた。
「あれが、パパ!? いやママ?? いやママは猫柳ミロで……」
「混乱するのも当然だ。見た目は似ても似つかねえ……見てみろあの社会性のなさそうな狂犬面を! 人でも取って喰いそうだぜ」
(そこが主にそっくりですが!?)
「おい! いい加減、どっちもビスコじゃ都合が悪い!」
女は不承不承といったふうに、でかい声でがなった。
「黒時空じゃあたしとミロは、レッドとブルーで通ってたんだ。双子茸のレッド。あたしを呼びたきゃそう言え」
「ふたごだけの、『火星』だぁ~~!? 随分大きく出たな、オイッ!」
「そういうおまえは『エノキくん』で充分だろ」
レッドは今一度、ビスコの身体を上から下まで眺めまわして、「ちッ!」といかにも不満そうに舌打ちする。
「細っこい身体しやがってよ。そんなナリで弓が引けんのか?」
「てめーがデカすぎるだけだろーがっ! 侵略者のくせに粋がんじゃねー、こっちは三人、そっちは一人なんだぞ!」
「あたしが、一人、だって?」
ビスコの言葉を聞いて、レッドがひとつ大きく深呼吸をすれば、その全身に刻まれた刺青が真紅に輝きだす。
「後悔するぜ、その言葉。あたしの肉にはな……死んでいったみんなの無念が、祈りが! 血となって流れているんだッ!!」
「な、何だ!?」
「あの人の刺青は、飾りじゃない。ひとつひとつに人の魂が籠ってる!」吹きすさぶ暴風に髪を躍らせながら、シュガーが叫ぶ。「なんて強い……でも、哀しい、力……!!」
「来ォォォおいッッ!!」
ぐわんっっ!! と、海面そのものに大きく波紋が起こる。刺青から立ち上る万魂の力が、集約して大弓の形を成したのだ。
眩くオレンジの光を放つ、その大弓は……
「大顕現・天蟹弓ッッ!!」
神威の大蟹アクタガワの魂、その大爪で構成された、神器『天蟹弓』であった。否、アクタガワだけではない。黒時空の宿命を負って命を捧げたものたち、それら捧魂の決意が無限の力となって、弓とレッドに漲っているのだ。
「……アクタガワ、そうか……」