3 イケメン -Hottie-②

 二人は舌を入れ始めて、お互いの体を触り合った。それを見ているうちにその亀裂はパキパキパキッと拡大し、悪化していった。

 この時にできた心の亀裂は、今もまだ治っていない。野ざらしのまま風雨を浴びて、今もずきずきと痛みを発している。

 俺はキスを最後まで見届けることもできず、敗北感と共にその場を離れた。

 さよなら、ルイン、とその時は思った。

 本当にさよならできていればよかったのに。


 ルインの行動によって心を乱される日々は、実際にはそこで終わりではなく、そこから始まった。

 風間くんと付き合い始めたルインだが、なんと彼とは一週間で別れてしまい、別の男と付き合い始めた。

 ご多分に漏れず、その男もイケメンだった。別のクラスの『クラスで一番格好いい男子』だった。明らかに、ルインには面食いの傾向があった。

 最終的に、彼女は五クラス全ての『クラスで一番格好いい男子』と一回以上ずつ付き合った。以上というのは、別れてからりを戻した男もいたからだ。

 ルインが小学生の時に、付き合ったのはその五人だけではなかった。彼女は風間くんと付き合ったのを皮切りに、誰かと付き合っては短期間で別れるということを幾度となく繰り返した。同級生はもちろん他校の男子とか、中学生や年下の男子にも手を出していた。相手の九割はイケメンだった。

 俺はそういったうわさを聞いては、自分がルインとキスをした甘い記憶と、風間くんとのキスをなすすべなく見せつけられた苦い記憶の両方を思い出し、精神を痛めつけられた。

 苦いだけの思い出ならば、記憶の底に封じ込めれば済む。

 甘いだけの思い出ならば、何度思い出したって支障がない。

 ところが甘さと苦さの両方を持った思い出は、甘いがゆえに軽率に頭に浮かび、苦いがゆえに俺を打ちのめす。半永久的に俺の心をかき乱し続けるのだった。

 ルインの呪縛から逃れるために、俺は勉学に励んだ。風間くんや、その他のルインの彼氏に、俺が勝てるものと言えば学力くらいしかなく、勉強して立派な人間になることによって、彼らを見返してやろう……と思ったのは動機の三割くらいで、

 たぶん一番の動機は、ルインも勉学に励んでいて、難関校を目標にしていたからだった。彼女と同じ学校に入ることができれば、ひょっとしたらふたたび付き合うチャンスも巡ってくるのではないかと思っていたのだ。

 そう。俺はルインによって心を乱されている自覚はあったが、同時にルインがまだ好きだった。だから、どこかでりを戻せるチャンスはないかと、最低限の気は配っていたのだ。

 好きという自覚を失って、彼女が単なるコンプレックスの対象になったのは、いつのことだろう?

 あるいは今でも、彼女への好意は失われていないのだろうか?

 俺とルインの中学受験は成功し、俺たちは同じ中高一貫の私立の進学校に入った。

 中学に入ると、ルインも外聞が気になるようになったのか、表立った男遊びは控えるようになった。

 また俺も、彼女に関する情報を得づらくなった。中学生になると小学生の時以上に、個人のプライバシーが守られるものだし、受験が終わった以上、ルインと同じ学習塾にも行かなくなったからだ。

 しかし断片的に得られた情報を総合すると、ただ表向き静かになっただけで、ルインは小学生の時と同じような、節操のない男女交際を繰り返していたんじゃないかという気がする。

 同級生のイケメンは、だいたいルインと付き合ったといううわさがあった。

 これらは事実だろうと俺は思っていた。

 そしてその大半が、一ヶ月もせずにフられたといううわさがあった。

 これらも事実だろうと俺は思っていた。

 またネットを使って男と会っているとか、変な男と付き合っていた時期があったとか、有名な配信者の彼女になった時期があるとか、そういううわさもあった。詳しくは知らないが、八割方事実なんじゃないかと、俺は勝手に見積もっていた。

 というか、事実であろうと事実でなかろうと、ルインに関するうわさを聞くたびに俺の精神が乱されるのは確かであり、もはや遠くに見える風景が、しんろうかそうでないかくらいの違いしかないんじゃないかと俺は思っていた。

 昼間、セフレがいると言われた時も、とつのことで返事には窮したが、内心では「いてもおかしくないか」という諦めに似た気持ちはあった。

 むしろ、彼氏が現在いないことの方が意外かもしれなかった。「二人いる」と言われる方が、まだ可能性が高そうだ。

 こういった様々な出来事があり、大半は俺の独り相撲であり、色んな因果が巡ったり巡らなかったりして、俺とルインは五年ぶりに付き合うことになった。

 セフレのために。

 それから授業中にラインをして、俺たちは土曜日にデートをする約束をした。

 ルインは下校デートをしたがったのだが、部活があるからと言って俺は断った。火・金が部活のある日で、今日は金曜日だった。

 俺が入っている映像研究部は、サボったからといって何かがあるわけでもない、ゆるい部活なのだが、部員が二人しかいなくて、俺が行かないともう一人の部員のソロ部活になってしまう。それに今日は漫画を借りる約束もしていたので、行かないとさすがに申し訳ないと思ったのだ。

 というわけで休日にデートを持ち越すことになり、俺は放課後、映研の部室に向かった。

 映研と名は付いているが、映画は撮ったことがない、そもそも機材が五年前に壊れて以来、購入すらしていない、ただダベるだけの、ありきたりな文化部だ。

 去年まで、映研には三年生の先輩が三人、同級生が一人いた。

 それから、今となっては幽霊部員になった部員がだいたい七人くらいいた。だいたいというのは、映研のようなゆるめの部活は一ヶ月に一回くらいふらりと来る人や、二ヶ月に一回くらい来る人がいて、どこまでを部員に含めていいのかがわからないからだ。部室に来た人の全員が、ちゃんと入部届を出していたのかもよくわからない。

 ただ今年になって、ちゃんと部室に来る人間は俺と、その同級生の女の子だけになってしまった。仕方がないので二人で部活を存続している。

 映研の部室のドアノブを回すと、鍵は開いていた。ということは必然的に、もう一人の部員が中にいるということになる。その女の子は鍵係なので、いつも俺より先に来ている。

 俺は部室の中に入った。

 部屋は散らかっている。来るたびに「こんなにも散らかっていたっけ?」と新鮮な驚きを覚えるくらいに散らかっている。

 床にはボロボロのカーペットが敷かれているが、く床に固定できておらず、端っこがくしゃくしゃになっている。黄ばんでいて、元は紺と白のチェック柄だったのだろうが、白の方はほぼ黄色になっている。まるで汚れた毛布が転がっているかのようだったし、使っている俺の感覚としても、カーペットというよりは足元の障害物だった。

 かべぎわには倒壊しかけの本棚がある。そこには様々な本・DVD・CDが、判型を無視してぶち込まれている。その横には昔の部員が貼ったらしい映画のポスターがあるが、ほとんどが日に焼け、色を失っている。びようが取れて空中で丸まってしまっているものもあるが、誰も直さずにそのままになっている。見た目のバラバラな椅子が四脚ほど、まとめて部屋の隅っこにったらかされている。これらは去年までは使われていたのだが、今年になって部員が二人になったので使われなくなった。

刊行シリーズ

宮澤くんのあまりにも愚かな恋の書影
宮澤くんのとびっきり愚かな恋の書影