3 イケメン -Hottie-①

 小学六年生の春、俺がルインに告白した、その前後のいきさつについて語ろう。

 前もって断っておくが、これから話すのはとてもつらくてしんどい話である。いわゆる黒歴史というやつである。でもこれを伝えておかないとルインと俺の関係を正しく伝えることができないから、やむなく話すことにする。

 まず〈前〉。

 小学六年生になるまで、俺はルインと話したことがなかった。

 遠目に見てわいい女の子だとは思っていたけれども、友達グループが違ったし、小学生は自分の友達以外の人間に対して、そこまで強い興味は持たないものだと思う。だから、ルインのことはなんとも思っていなかった。

 小学六年生になって、俺は塾に通い始めた。塾の座席は指定されていて、俺はたまたまルインの隣の席だった。

 塾の休み時間だとかに、ルインは頻繁に俺に話しかけてきた。学校の中だと男子グループと女子グループの間には溝があったけれども、塾の中ではなかった。だから俺の人生の中で、物心ついてから初めて親しく話した異性がルインだった。

 だから俺はルインを好きになった。つまり彼女を好きになったそもそもの理由は「女子なのに俺に気安く話しかけてくれたから」でしかなかった。

 本当に、自分でも嫌になるくらい浅はかな理由だと思う。ただ、きっかけはありきたりでも、おもいの強さは本物だった。あの頃の自分の恋心の強さのことは、ルインのことを考えるだけで頭が沸騰しそうになった日々のことは、寝る前に彼女と話した内容を思い出してニヤニヤした日々のことは、とても鮮やかに思い出せる。これが恋でなかったら何を恋と呼ぶのかと思うほどの、くっきりとした初恋だった。

 今となってはルインの魅力を、俺は色んな形で語ることができる。けれども根本には「ただ好きだから好きなのだ」のような、同語反復トートロジーでしか説明できない部分があるように思える。そういった理屈じゃない部分が形成されたのがこの時期だった。

 人は人生において、たった三回だけ、本当の恋に落ちることができる──という与太話が本当かうそかはわからないが、少なくとも俺は、人生における有限回の恋のうち、一回をルインに使のだ。そんなはっきりとした感覚があった。

 俺はルインに恋をして、告白して、それを受諾してもらって、キスをした。ここまではどこにでもあるありきたりな、いやありきたりの中ではかなり幸せな、初恋だったと思う。

 そして〈後〉。

 ルインが告白を受け入れてくれた翌日から週末まで、俺は高熱を出して学校を休んだ。

 俺はあまり風邪をひかない方だし、ひいても長引かない方だが、なぜだかその時ばかりは熱が下がらなかった。まるで不吉な予兆のように。

 週明け、俺は小学校に登校した。

 その日、俺はとても上機嫌だった。病み上がりのだるさはあったが、機嫌の良さの方が上回っていた。

 なんたって学校には愛するルインがいるからだ。目がくりっとして大きくて、舌足らずなしゃべり方がわいくて、唇はさくらんぼ色でよく笑う、うるわしい恋人がいるからだ。

 だが俺はルインと学校で話したことはなかった。繰り返しになるが、友達グループが違ったからだ。とはいえ塾で隣の席になってからは、彼女のことは時たま眺めていた。今日も様子をうかがって、機会があれば話しかけてみようと思った。

 しかし教室でルインの方を見ていて、ふと異変に気づいた。

 ルインのそばに、男がいる。

 レクの時間に『クラスで一番格好いい男子』を投票したところ、圧倒的に一位だったかざという男子だった。小学生にしては顔立ちがくっきりしていて、背が高く、スポーツも万能だった。ひょうきんな面もあって、今もルインやそのそばにいる女友達を笑わせていた。

 慎重で思慮深い十七歳の俺ならば、遠目に様子をうかがって状況の把握に努めるところだ。

 だが十二歳の俺は浅はかで、機転もかなかった。

 何が起きているのか気になって──それからたぶん、ルインをけらけらと笑わせている風間くんへの嫉妬もあったと思う──ルインたちの方へ近づいていった。

 俺がルインのいるグループと接触するのは初めてだったし、風間くんとも話したことがなかったから、俺がいきなり近づいてきたことに、彼らはちょっと驚いたようだった。ルインの反応は覚えていない。

 だからか唐突に会話が途切れる形になった。

 そうしてできた沈黙の中で、俺は言った。

「ルイン」

「何?」ルインはいつも通りの調子で俺に接した。

「話そうよ」

 俺は言った。当時の俺は直球でしか物事を進められなかった。カーブを投げられない愚直な球児のように。

「え、なんで?」

 と言ったのはルインではなく、ルインの周りにいるせっかちな女友達だった。

 その時、俺はなぜだかみじめな気持ちになった覚えがある。勘の悪い昔の俺でも、この後に起きる出来事をなんとなく予想していたのだろうか?

 俺はぐっと拳に力を入れてから言った。

「だって俺、ルインの彼氏だもん!」

 すると最も起きて欲しくないことが起きた。

 ひっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっのような声で、ルインの周りにいる男女がそろって笑い始めたのだった。

「何冗談言ってんの!?」

 と女子の一人が言った。

みやざわがルインの彼氏のわけないでしょ!!」

 と女子の一人が机をたたきながら言った。

「宮澤ってオモシレーな!」

 と風間くんはあなどるような笑みを浮かべた。

「ルインの彼氏は風間くんだよ!」

 と女子の一人が言った。

 それからもルインの取り巻きたちは、長い時間をかけて、けたたましく笑い続けた。まるで壊れた汽笛がプラットフォームで鳴り響いているみたいに。相変わらずルインの反応は覚えていない。

 それから数分かけて、俺は状況を把握した。

 どうやらルインは俺からの告白を受けた二日後、風間くんから告白されたらしい。

 そしてそれを受諾し、二人はカップルになったらしい。

 俺は混乱した。深く深く混乱した。そもそも「恋人」というものの定義すらも曖昧な時期だ。だから当時の俺の混乱は哲学的と言ってもいいくらいに混迷を極めた。

 だが、常識的に考えると、恋人というものは一人につき、最大で一人のものではないか。

 つまり排他律が適用されるのではないか。

 風間くんがルインの彼氏になった以上、俺はルインの彼氏ではなくなったのだ。

 フられたのだ!

 俺は泣きそうになった。恋人ができて一週間でフられるなんてひどすぎる。それも直接フられるわけではなく、別の男の彼女になることで、間接的に知らされるなんて。

 俺は半泣きになり、なじるような口調でルインに聞いた。

「な……なんでルインは風間くんの告白を受けたの?」

 するとルインはためらいがちに、しかしはっきりと言った。


「だって、風間くんってイケメンなんだもん……」


 なんて身も蓋もないことを言うのだろう。しかしそれは否定しがたい事実だった。風間くんはイケメンであり、俺はイケメンではない。

 それは火を見るよりも明らかな事実だったので、俺は言葉を失ってしまった。色々と言いたいことがあったはずなのに。

 ルインのグループが騒いでいるのを見て、近づいてきた男子が言った。

「ねールイン、『恋人のあかし』やってよー」

「えー、恋人のあかし?」とルインは言った。

「そうそう、先週もやってたやつ」と別の男子が言った。

 って何?

 俺が学校を休んでいる間に、二人は何をしていたの?

 何人かの視線が集まっているのを前にして、

「しょうがないなー」とルインは言った。

 その声色は甘かった。彼女が空気を読んでそんな声色を作ったのか、実際に満更でもなかったのか、たまたまそんな声が出ただけなのか。今でも彼女の真意はわからない。

 俺の目の前で、二人はゆっくりと抱き合い──、


 熱烈なキスをし始めた。


 それを見た瞬間、俺の心のどこかに、バキッと亀裂が入った感じがした。

刊行シリーズ

宮澤くんのあまりにも愚かな恋の書影
宮澤くんのとびっきり愚かな恋の書影