俺が不思議に思っているとお化けの身体はぐずぐずと崩れて、黒い霧になって消えていった。その一部始終を見ていた俺は思わず父親の方を見た。
何故か。決まっている。
あのお化けを燃やしたのは父親だからだ。
窓に張り付いた瞬間に、父親の方から半透明の糸みたいなものが伸びて、それが化け物を包んだ瞬間に燃えたのだ。
魔法だ。
俺は生まれて初めて見るそれに思わず目を奪われた。張り付いていた化け物のことなんて忘れてしまうほどに。
「イツキ。なんともなかったか?」
「パパ! すごい!」
「わはは。すごいだろう。こう見えてもパパは強い祓魔師で……」
「パパが糸伸ばしてた! それで燃えた!」
「……むッ!? 今のが見えたのか!」
俺が目の色を変えてそう言うと、父親は顔色を変えた。
「き、聞いたか楓ッ!? イツキは他人の『導糸』が見えてるぞッ! 『真眼』持ちだッ!」
「……い、イツキ。本当に見えたの?」
母親が勢いよく振り向いて、そう聞いてくる。
導糸が何かは良く分からないが、さっき父親から伸びていた糸がそうなら、間違いなく見えていた。
「うん。見えたよ!」
「て、天才だ。イツキは天才なのかも知れんッ!」
父親がやけに盛り上がっているが、これはいつものことである。
というか糸が見えただけで、そんなに盛り上がっているのが良く分からなかったので、父親に尋ねた。
「パパ。しるべいとって何?」
「イツキ。さっきお化けが急に燃えただろう?」
「うん。火がでてた」
「あれが魔法だ。その魔法を使うには導糸が必要なのだ」
「さっきの糸?」
「そうだ」
父親に言われて俺は確信した。
やっぱりさっきお化けが燃えるときに父親が使っていた半透明の糸が導糸なんだ。だが、それが見えたからって何があるんだろう。
「見えたらダメなの?」
「まさか! ただ、普通は他人の導糸を魔法なしに見ることは出来ないのだ。だからこそ、その真眼を喉から手が出るほど欲しがる祓魔師は溢れるほどいる。しかし……」
「むー?」
「その眼は努力では手に入らない。天性のものなのだ。イツキ! お前はすごいぞッ!」
「わっ!」
急に褒められて、思わずパンを落としそうになった。
そこからは化け物に襲われることなく首都高を走り抜けて、東京を抜けて北の方に向かうこと数時間。
「皆様、到着いたしました」
「うむ。ご苦労」
途中でトイレ休憩なんかを挟みながらも、運転しっぱなしだった運転手さんが車を停めたのはこれまた大きな門の前。
この門、ウチよりデカくない……?
そもそも家の前に門を構える時点で一般人からはかけ離れた財力があることは間違いないのだが、一口に同じ門とはいってもその大きさで財力の格差を感じざるを得ない。
「イツキ、初めての車はどうだった?」
「楽しかった!」
「そうか。お前が五歳を迎えれば、また乗れる日も来るだろう」
何なんだよ、その七五三のたびに何かが来る方式。
「つぎ五歳? どして?」
「『廻術』が使えないと、外には出られない。廻術というのはな……簡単に言えば魔力を操る技術のことだな。これがないと〝魔〟に喰われる。危険なのだ」
「パパがつかってた魔法とは違うの?」
「その手前の技術だな。廻術は身体の中の魔力を操る。その後、魔力を身体の外に出す『絲術』という技を学び、晴れて魔法が使えるようになるのだ」
「むっ……」
きゅ、急に難しくなってきたぞ魔法が。
カイジュツにシジュツ……?
何が何だか全然分からん。魔法はもっと簡単に使えると思ってたんだけど……。
俺が顔を曇らせていると、父親が大きく笑った。
「わはは、そう急くな。廻術の練習を始めるのはこれから。ゆっくり時間をかけて、五歳までに使えるようになれば良いのだ。すぐに使えるようになる必要はないぞ」
「四歳で廻術が使えたら外でれるー?」
廻術と言いたかったのだが、上手く呂律が回らなかった。だが、父親にはちゃんと伝わったみたいで、「おっ」と片眉を上げた。
「そうだな、使えるようになればだが」
そして、俺を抱きかかえた。
「聞いたか楓! イツキはもう廻術を学ぶ気だぞ」
「えぇ、聞いていましたよ。あなたがイツキに熱をあげるのも分かりますけど。あまりイツキに詰め込みすぎてはダメですよ」
「う、うむ。分かっている……。だが、楓。イツキは生まれて一月でおぼろげだが廻術を使っていた天才だからな……」
「もう。そんなのたまたまじゃないですか。それに、あまりに持ち上げては他の家の方に笑われますよ?」
「……む。だが、いや、しかし、イツキは天才だと思うのだが…………」
我がお母様は、ヤクザもかくやという父親と違って細身の日本美人という出で立ちなんだけど、そんな女性に父親が丸め込まれているのを見ると人って本当に見た目によらないんだな、と思う。
というか、さらっと話が流れてしまったが廻術はずっと俺が使ってきたやつだよな?
意図的に魔喰いを起こしたり、逆に魔力を身体に溜め込むために身体の魔力はずっと動かし続けてきた。父親の言っていることから考えるに、あれが廻術だろう。
なんということだ。俺はいつの間にか魔法を使うためのファーストステップを乗り越えていたのだ。
俺が意外に思ったのは、魔力を身体の外に出す方法が『あれ』以外にあったということだ。知らなかった。ずっと、うんちをすることだけが魔力を身体の外に出す方法とばかりに。
しかし、冷静に考えてみれば魔法を使うときに魔力を使うのなら、身体の外に出す方法があることくらい普通に思いつくな。なんで俺はあんなにうんちにこだわってたんだ……。
俺は自分の二年間にショックを受けながら神在月家の門をくぐると、立派な階段が出迎えてくれた。
……門の先に石階段?
先にあったのは神社の入り口みたいな階段。どんな家なんだ、神在月家。
俺がそれにビビっていると、横から母親が優しく語りかけてきた。
「イツキは石の階段見るの初めてだもんね。びっくりしたでしょ。ひとりで上れるかな?」
「のぼれる!」
母親から心配の声をかけられたので、俺は勢いよく頷いた。
しかし、こんな立派な家の門をくぐるときにうんちのことを考えていたのは多分俺が最初で最後だ。心の中で謝っておこう。
「イツキ。この七五三にはお前以外にも他の家の子どもが来ている。仲良くできるか?」
「うん! 仲良くする」
階段を上りながら頷いたが……正直、気後れする。だって、人見知りだし。いや、相手は俺と同じ三歳の子か。だったら緊張するのも変な話だな。
他の家ってのは間違いなく祓魔師の家の子で、魔喰いを乗り越えたってことになる。どんな子が来るんだろう?
わんぱくキッズだったりするのかな。可愛い子だったらちょっと嬉しいけど。
「確か今回いらっしゃるのは皐月家と霜月家ですよね?」
「あぁ。霜月家がイツキと同じ早生まれだから、皐月家だけ歳下になるな」
「流石に三家とも同い歳とはいかないんですね」
「そうだな。それに両家とも女の子だ」
「そう、ですか。まだ男の子には恵まれていらっしゃらないのですね……」
「側室を入れるか、養子を入れるという話も出ているらしい」
「大変ですね」
石階段を上っている俺を挟んで大人の会話が繰り広げられる。
やってくるのは二人で、二人とも女の子か……。別に相手が女の子だからと気後れするわけではない。どちらかというと、俺が気になっているのは母親の『男の子には恵まれていない』という言葉の方だ。
祓魔師は基本的に男尊女卑。というか、家父長制と言ったほうが正しいかもしれない。つまり、昔の日本のしきたりを色濃く残しているのだ。だから家を継ぐのは基本的に長男。女の子だと継げないらしい。
というか……いま父親は側室って言わなかった? 側室ってあれだよな。本妻とは別の奥さんのことだよな……? 重婚すんの……?
生まれてこの方、彼女どころか母親以外の女の人と手を繫いだことすらない俺からすれば信じられない概念だ。というか現代の日本でそんなことやってもいいの? 犯罪じゃない?
そんな悶々としたものを抱えながら、俺は最後の階段を飛び越える。