三歳になった。
言葉にするととても簡単に聞こえるが、一歳から三歳への成長は大きなものがある。
まず、一人で歩けるようになった。食事だって離乳食じゃなくて、ちゃんとしたものが食べられるようになった。それになによりトイレが一人で出来るようになったのだ!
なんという成長。これで毎度毎度するたびに、母親の手をわずらわせることがなくなった。なくなったので、トレーニングの頻度を高めることができた。頻度が高まったので、器の成長も早くなった。
さらにこれは嬉しい誤算だったのだが、トレーニングで器が成長すると取り込む魔力量が増える。多分だが、魔力量を調整できない幼い身体は『もっと取り込まないと』と勘違いして、それだけ取り込んでしまうのだろう。
おかげで、俺は魔喰いが起きなくなる日……身体が成長しきる最後の瞬間まで器を成長させることができた。二歳の最後の方なんかは一日に二十回以上も魔喰いを起こしていたのだ。
それで……これ、最初の何倍になってんだろ?
多分だけど、最初の数十倍とか数百倍とかになってないだろうか。生まれたときの器の大きさなんて覚えてないので完全に体感だけど、それくらい大きくなっている気がする。
俺はいつもの癖で排泄トレーニングをしようと魔力をお腹に集めてみるが、ふわっ、と温かくなっただけで何も起きない。
「……ん」
やっぱり、何度試してみても魔喰いは起きない。自分の成長を肌で感じながら、俺は嬉しいような悲しいような、そんな気持ちになりながら布団の上に横になる。
そろそろ起きないと……と、思っていたら障子を開けて母親が入ってきた。
「イツキ。起きてるかな~?」
「ママ、起きてるよ!」
「今日は『七五三』だから家の外に出れるよ。楽しみにしてたもんね!」
「うん!」
勢いよく頷く。
何しろ母親の言う通り、俺は生まれて初めて家の外に出るのだ。
テンションの上がったまま、俺は思わず聞いた。
「外出れる? ちゃんと出れる!?」
「そうだよ。ほら、お着替えしようね」
家から外に出ていないというのは、冗談でも誇張でも何でもなく本当の話だ。子どもなら絶対受ける予防接種とか定期健診とかはわざわざ医者が家にやってきて受けているのである。
生まれたときに俺が感じた『もしかして金持ちの家?』という予想は大当たりだったのだが、いくら金持ちだからって意味もなく子どもを一回も外に出さないなんてありえない。
だから何か理由があると思って父親に聞いたところ『〝魔〟に襲われないため』と返ってきた。モンスターは魔力を求め、人を襲う。その中でも子どもは特に狙われると。
俺はその日にテレビで見た動物番組のことを思い出し、妙に納得した覚えがあったりする。野生動物も狙われるのは子どもや病気の個体など、襲いやすい生き物らしいし。
「イツキ。着替えたか!」
「まだ!」
噂をすればなんとやら。父親が勢いよく部屋までやってきた。
普段は仕事で忙しくしている父親も今日だけは無理を言って休みをもらってきたらしい。祓魔師にとってそれだけ七五三の意味するところが大きいのだ。
何しろ七五三は子どもの魔力量を測定する行事。
これで本人の人生はおろか、家の盛衰まで決まる……らしい。とんでもないことだ。まさか三歳にして家の期待を背負うようなことになるとは。
「緊張してるか、イツキ」
「してない!」
噓だ。めちゃくちゃしてる。
というか、期待かけられまくりの状態で緊張しない方が無理あるだろ。
思い返せば前世だと就職した瞬間に人生の進路が決定的になった。だが、あれはあくまでも自分の人生だけで家の期待なんてものはくっついていなかった。しかし、考えたからと言って緊張がどうなるわけでもない。
「よし、行くか。イツキ」
「行く!」
着替え終わるや否や伸ばされた父親の手を取って、部屋の外に出る。
それだけで父親の顔がほころぶ。
「朝ごはんは車の中で食べるんだぞ」
「くるま! くるま乗れるの!?」
「そうだ。ぶーぶーだ!」
片目に眼帯した傷だらけの男が『ぶーぶー』なんて言葉を口にするのは、血を吐き出すときのくぐもった息漏れくらいだと思っていたのだが、そうじゃないらしい。
てか、その見た目でぶーぶーて……。
俺はやや引きながら父に手を引かれながら門をくぐって家の外に出た。外に出てから目に入ったのは数年ぶりに目にするアスファルトの道路と、そこに門の近くに停めてある黒い高級車。そして、車の前で姿勢を正すスーツ姿の青年。
「良いか、イツキ」
「どうしたの? パパ」
思わず浮足立ってしまい今すぐにでも飛び出したい気持ちになっていた俺の手をぎゅっと握りしめて、父親が立ち止まる。
「これから『神在月』家に向かう。その途中は何があっても、どんなことがあってもパパから離れぬことだ」
「う! 分かった!」
「良い子だ」
いまさら理由を説明されなくても、俺はちゃんと理解している。
父親から離れたせいでモンスターに殺されました、なんてシャレにならない。絶対に父親から離れないからな俺は。
俺たちが向かうや否や、車の近くに立っていた青年が深々と頭を下げた。え、誰?
「お待ちしておりました。宗一郎様」
「やめてくれ。今日はこの子が主役だ」
しかし、父親はそんな青年に困惑した様子も戸惑う様子も見せずに、すっと受け入れてしまっている。
「失礼いたしました」
「良い。今日は頼む」
父親の言葉で、何だか状況が摑めてきた。この人あれだ。運転手だ。
いや、待て。運転手が車を運転してくれんの? ウチってそんなにお金持ちなの?
俺が目を白黒させていると後部座席のドアが青年の手によって開かれた。
「イツキ。これが車だぞ!」
「ぶ、ぶぅ……」
俺が目を白黒させているのを車に驚いているんだと勘違いしたっぽい父親による説明を食らい、思わず子どもらしく誤魔化す。あの、俺が気になってるのは車じゃなくて運転手……。
しかし、そんなことを口にするのも変なので、俺は用意されたチャイルドシートに行儀よく座った。その横に座るのは母親ではなく父親だ。
「では、出発いたします」
バックミラーを使って俺のシートベルトが正しく付けられていることを見た青年が車を進める。運転手なだけあって、とても穏やかな加速だ。都内でタクシーに乗るとこうはいかない。
「あなた、これをイツキに」
「うむ」
母親が父親に手渡したのはカレーパンの袋。
何を隠そう俺はカレーパンが大好きなのだ。しかも、なぜかこっちの世界にやってきてから初めて好きになった。そういう意味なら好物になったというべきか。前世では特に興味もなかったんだけどな。食の好みが変わるなんて、転生は不思議だ。
父親伝いで渡されたパンをもそもそと食べながら窓の外を眺める。
生まれて初めてみる日本の風景だったが、俺の感想は『前世と何も変わらない』だった。
魔法がある世界だから中世っぽい建物の外観だったり、侍みたいな格好をした人が歩いていたりと、そういう変わったことをちょっと期待したのだが……まぁ、そんなことはない。
テレビを見たときから薄々気がついていたが、やっぱりここは普通の日本だ。もしかしたら、魔法は一般的じゃないのかも。
そんなことをボンヤリ考えていると、車が交差点を穏やかに左折する──その瞬間だった。
ドン、と鈍い音が車の後ろから聞こえた。
『ねェ』
それと掠れた女の人の声が聞こえたのは同時だった。
ぬっと、車の後ろから声とともに顔が現れる。髪の毛が風に揺られて後ろになびきながら、ばっくりと開いた大きな口が見える。いや、違う。顔には口だけしかない。そんな不気味な化け物がドン! と、窓を叩く。
蜘蛛の脚みたいに化け物の細い指が窓いっぱいに広がる。
『見えテるんでしょ?』
「ふぎゃあああ!?」
化け物と目が合った俺が悲鳴をあげるのと、ソイツが発火するのは同時だった。
『ぎゃぁあああああ!』
火だるまになった化け物が車から剝がれ落ちる。思わず振り向くと、化け物の身体は数回アスファルトの上をバウンドすると、炎にもがき苦しんでいるようだった。
だが、通行人も他の車もそれを気にしている様子はない。
……見えてない?