第一章 医者はどこだ!⑨

 再びマスクとゴム手袋を装着する。行うのはヤスリがけ。粉が飛び散る作業になる。

 ビニール袋に人形を入れ、テープで封じる。さらに小さな穴を二つ開け、そこから左腕と左脚だけを露出させた。そして露出部位がズレないように穴をテープで固定する。

 先程接着させた箇所から先の手足もテープで隙間なく覆い隠し、人形の保護マスクも完了。

「ヤスリ、400」「はい」

 執刀医が助手に向かって手を伸ばすと、その上にスポンジヤスリが乗せられた。

 パテを盛った場所が自然なラインになるまで、ひたすらヤスリで磨いていく。

 その過程で、パテに気泡の穴が見つかってしまうことがある。

「瞬着」「ほい」

 そんなときは瞬間接着剤でしっかりと埋めてやる。固まったら、またヤスる。

「800」「どーぞ」

 徐々に表面が整ってきたら、粒度が細かいヤスリに持ち替え、より滑らかに仕上げていく。

すごい……私の身体からだ、治ってきました! まるで治癒魔法です!』

『人形作りに魔法なんて便利なものはねーんだよ。ひたすら地味で苦痛な反復作業だ』

『あ、いま人形作りって言いましたね。人形治しじゃなくて』

 指摘が入り、おさむは己の発言を削り取るように黙々とヤスリを当てていった。

 発生する粉を払いながら、何度も表面を確認する。目視と手触りによる感覚の荒野を行き交った末、大方整ったと判断したら、待っているのは最後の作業。

「サフ」「<画像>」

 スプレー缶タイプのサーフェイサーを吹き付ける。人形本来の肌の色とパテの黄色が等しく白に染まり、処理具合を目視しやすくなる。果たして地道なヤスリがけの成果は、

「んん……これでいいんじゃないか?」

「エゴーもいいと思う」

 光にかざしてチェックし合った結果、パテは一切の違和感なく手足の一部となっていた。

すごい。一発だ」

「捨てサフが少ないに越したことはないだろ。もつたいないし」

 ゴム手袋を外し、椅子の上で脱力する。これでおさむが担当する作業は全て完了した。

「じゃ、あとの処置は頼むよ。どうする、エアブラシを使うのか?」

「ナメるなよ、おとじや。これくらい、エゴーなら筆で塗れる」

 セレーネは挑発するように十指をくねらせ、準備室へと向かった。

『ありがとうございます、神様! 私、元に戻ることができました!』

 あかはじけるような声に、『セレーネが塗り終わったらな』と返す。

『私は、一からあなたに生み出していただいたわけではありません。それでも、言わせてください。いま私の中には間違いなく、魂というものが宿っています』

『……やめてくれ。俺にはもう、人形に傾ける情熱なんてないんだ』

『そうでしょうか? 私を治しているとき、いえ、ときのあなたは、とてもきとしているように感じられましたよ』

『……人形に、感覚なんてものは備わっちゃいねーんだよ』

『わかりませんよ? 人形だって、見るかもしれない。しやべったり、考えたりするかもしれない。だって、魂が宿っていますから。神様に宿していただいたのですから』

『だとしたら、神様はあんたのほうだ。つくがみって言うんだろ、そういうの』

『ふふ、浪漫ロマンのある話ですね。この会話も、もしかしたら妄想なんかじゃなくて、本当に意思疎通を成しているのかもしれませんね』

 浪漫ロマンを通り越して恐怖だろ、とおさむは突っ込みを入れた。人形に──いや、自分自身に?

「……セレーネは、人形と会話したことはあるか?」

 塗料を抱えて戻ってきたセレーネに、ふとファンタジーな問いを投げかけた。

「当然だ。女子とは皆、人形やぬいぐるみとしやべれる生き物である」

 なら、男にだって同様のことができるのかもしれない。

 人形を引き渡しながら、おさむは『──お大事に』と患者をいたわる挨拶を送った。

 塗装を託されたセレーネは、シアン、マゼンタ、イエローの色の三原色と、適度に薄め液も加えながら、人形本来の肌の色を再現していく。

 塗料皿に色白なスキンカラーが出来上がってくると、

「……ん、<画像>」

 人類がまだ知り得ぬ原理を発見した学者のごとく、探していた色を見つけたようだ。

 筆先を患部に向け、サーフェイサー色で染まった肌をゆっくり丁寧に塗り直していく。

 塗料の乾燥を待ち、スプレー缶タイプのトップコートを吹きかける。

 これで塗装工程も完了。テープで保護していた部分の肌の色と比べてみると、

「……完璧だよ、セレーネ」

 おさむは思わずマスクを外し、吸い寄せられるようにじゆうあかの偶像へと顔を寄せた。

 見事に治癒した手足は自然で美しく、一度破断したものとはまず気付けない。

「肌の色の再現もばっちりだし、筆でここまでムラなく塗れるとは……俺には無理だ」

「エゴーは色神であるゆえ」

 ぶいっとダブルピースサインを見せる少女に、感服と感謝の拍手を送る。

「手伝ってくれてありがとな。そしたら俺、依頼主がまだ帰ってないか探してくるから……」

「──待て、おとじや」席を立とうとした寸前、セレーネにエプロンをつかまれて制止された。

「このあか、全部塗り直したい」

 言われたことを理解するのに数秒を要した末、「……はあ!?」と大きな声が出た。

「最初から塗りが微妙だと思っていた。エゴーなら、もっとあかをかわいくできる」

「い、いやいやいや! ダメだってそれは!」

 セレーネの手によって人形の塗り直しリペイントが施されたなら、美少女フィギュアとしての質は間違いなく向上するはず。しかし、今回求められているのはそれではない。

 壊れてしまった人形を、元通りに治す。期待されているのはその一点だけだ。

刊行シリーズ

美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるかの書影