第一幕 ウォールウッドの醜聞④

 苦笑しながら、シズクは残ったポテトを口に運ぶ。

「大事ですよ。特別な相手にしか見せない姿ってのは」

「そうかな?」

「えぇ。少なくとも私はそうです」

 興味深い話だ。何に対してのそう、なのだろう。

 推理の着眼点としてか。あるいは、特別な相手にだけ見せる姿がある、という方か。

 いつもフードをかぶり、こうして食事の間でも手袋をして、露出を許さないシズクならば特に。

「密室に関しては……まぁどうでもいいですね」

「ま、そこはね。密室自体は俺たちの仕事じゃない」

 では誰かと言うと、おおむねハリソン刑事の仕事である。

 不可解な《アンロウ》の事件が起きて騒ぎになるたびに、それを隠蔽するのが彼の仕事だ。

 推理小説というのなら、よっぽど彼の方が向いているかもしれない。

「だからといっても、犯人の処理は俺たちの仕事だ」

「真面目ですねぇ」

 彼女にも真面目になってほしいところだ。

「………………そういえば君の曲、そろそろ完成するんじゃない?」

 チップスを箸でまもうとしていた彼女の動きが、一瞬だけ止まる。

「……珍しいですね、ノーマン君からそれに触れるの」

「君が独学で作曲を始めてそれなりにったしね。俺は専門外だから横で見てるだけだったけれど。まぁそれでも、なんとなくもうできる感じかなってのは最近思ってたんだよね」

 それがシズクにとって意味のあるものだと、ノーマンは知っている。

「ただ、やっぱり君の曲が完成するなら、一番に聞かせてほしいな」

「────仕方ないですねぇ」

 そしてシズクはその黄色い瞳で真っすぐにノーマンを見た。

 その色には、それまでになかった光がある。

 暗い黄の色。

「それじゃあ、早く終わらせてイチャイチャしましょうか」

 重々しい言葉にも聞こえたけれど、チップス一本分くらいの重さしかなかった。



 その夜、犯人がしきに残っていたのは警察にそう言われたからだ。

 今回の現場に居合わせた五人のうち四人はそもそも住み込みであるし、一人は部外者ながら警察に言われてしまえば拒否はできなかった。

 メアリー・ウォールウッドがくなって、あるいは殺されてから数日間、実際五人ともしきから出られていなかったのだし。

 人が死んだしきで──なんて。そんなことも言えない。

 言うなれば喪に服していたのだ。

 五人ともメアリー・ウォールウッドを慕っていたのだから。

 犯人が夜半、玄関広間に足を踏み入れたのは誰に言われたわけでもなかった。

 嫌な感じがしたのだ。

 耳の奥で。

 ぞわぞわと、かきむしるような。

 言葉にできない不安と不快。

 まるで誰かに名前を呼ばれているような。

 殺した女に呼ばれているような────そんな声。

 気づいたらいてもたってもいられなくて、呼ばれた声に従ってメアリーの私室まで来ていた。

「……あぁ、来ましたか」

 部屋の中央に、フードをかぶった少女はいた。

 両手には手袋もめた露出を徹底的に認めない姿に、肩にかついだバイオリンケース。

 フードからこぼれる色素の抜けた銀髪は目を引く。

 半分閉じた暗い黄の瞳。世の中の全てに興味ない、そんな目。

 窓から差し込む月明かりしかない暗い部屋に立つ彼女はまるで花のようだ。

 暗い洞窟の奥で、ひっそりとたたずつぼみみたいに。

 そんな彼女は真っ二つに割れた机の真ん中に突っ立っている。

 今日の昼過ぎに突然現れて、犯人を含めた五人に事情聴取をした謎の二人組の片割れだ。

 事情聴取、というのも変な話だった。

 普通それが行われる場合、相手が犯行時間のアリバイや被害者との関係とかを聞くものだ。

 だが彼ら───というか、もう一人の少年だけがメアリーとの関係やそれまでどういう人生を歩んできたかばかりを聞いていた。

 アリバイとかはどうでもいい、という態度が印象的であり、いい加減でさえあった。

 あの時少女は、少年の隣でずっと黙っていた。

「───」

 こいつだ。

 耳の奥に聞こえる嫌な音。

 本能か、勘か、あるいは別の何かがそう直感させる。

 この少女に呼ばれて、自分はここまで来てしまった。

 彼女はつまらなそうな視線を向ける。

「────ひっ」

 それだけの視線がたまらなく恐ろしかった。

 なぜかは、分からない。

 ただの少女にしか見えないし、最初に見かけた時もそうだった。

 なのに、今は違う。

 少女から放たれている何かが、自分の何かを刺激している。

 喉が引きつり、体が震え、無意識のうちに一歩引きさがって、

「おっと、逃げちゃだめだよ」

「!!」

 いつの間にか、背後に少年がいた。

 首の後ろで結ばれた灰色の髪と厚手のコート、黒いフェルトハットが妙に似合う少年。

 顔立ちは整っているが垂れ目とぼんやりとした表情と雰囲気で美男子という印象はない。

 同年代よりも年上の婦人に愛されそうな、大した爪や牙もない小動物のような男だった。

 音も気配もなく現れた彼は、軽い足取りで自分を追い越し、少女に並ぶ。

 そして。

 片手で帽子を押さえながら、人差し指で少年が犯人を指し示して言う。

「─────君が犯人だ」



 ビクンと、『執事見習い』───アルフレッド・カーティスの表情がゆがむ。

 目が見開かれ、薄い金髪が揺れ、顔が真っ青に。

「どう、して……!?」

 漏れた声はあえぐように。

「……」

 そんなアルフレッドを見て、ノーマンはなぜかきょとんとした顔をした。

 シズクは肩をすくめ、息を吐いて口を開いた。

「一人目で当たりでしたね、ノーマン君」

 事情聴取の時彼女はずっと口を開かず、ノーマンの隣にいただけだった。

 気だるげな、どうでも良さそうな澄んだ声。

「うん。いや、手間が省けてよかったね。正直、さっきのノリで犯人は容疑者候補の中にいませんでしたとかだったらどうしようかと思っていた」

「結果オーライですよ。何さんでしたっけ、この人」

「アルフレッド・カーティス」

「そうそう」

「何を……何を言っているんだ、君たちは!?」

 上がった叫びは悲鳴だった。緊張感のない二人の会話。

 これじゃあ、まるで。

「か……カマをかけたのか!? 俺が、犯人だとわかっていないのに!」

「犯人が誰かなんてどうでもいいんだよ、アルフレッド君」

 ピシャリと彼は言う。

「な……何を……探偵なんだろう!? 君たちは!」

「探偵じゃない。そう呼ばれることもあるけど。いや、どうでもいいは言い過ぎかな。ただ、優先度が低いんだ」

「なら、何が───」

貴方あなたがどんなバケモノなのか、ですよ」

「───」

 亀裂が、入った。

 アルフレッドという青年の表情に。

 犯人であると言われ、過剰な反応をしてしまったのとは違う。

 真っ青を通り越して真っ白に。

 それまで彼にあったのは焦燥と疑問。

 今の彼には───はっきりとした恐怖が。

「君のようなバケモノを《アンロウ》と呼んでいる。心当たりがあるだろう?」

 アンノウン? 違う、アンロウだ。

「このバルディウムには《アンロウ》がやたら多くてね。俺らはその《アンロウ》専門の探偵……というわけでもないね。俺は《アンロウ》じゃないし」

「───同じ穴のむじなですよ」

 シズク・ティアードロップは笑う。

 暗闇でずっとつぼみのまま、光を浴びることを拒否する咲かない花のような少女。

 けれど今、彼女は言葉をつむぎ、笑っている。

 暗い穴の中で、同じむじなにだけ笑いかける。

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バケモノのきみに告ぐ、2の書影
バケモノのきみに告ぐ、の書影