第一幕 ウォールウッドの醜聞③


 シズク・ティアードロップが名探偵なのかその助手なのかは一度置いておいて。

 実際のところ聞き込みに関しては彼の仕事なのだからやらなければならない。

 相手が《アンロウ》なのはわかったが、それだけだ。

 それでも《アンロウ》の処理を任されている以上、犯人を見つけなければならない。

「容疑者……というより殺害予想時刻に館にいたのは五人だ」

 殺害現場から移動して、しきの中の応接室。

 先ほどの執務室と同じくらいの広さに、向かい合うソファと間に背の低いテーブルが。

 ノーマンとハリソンが対面で腰かけ、シズクはノーマンの隣に、やはり少しだけ距離を置いて膝を抱えていた。

「五人」

「そうだ、使用人とたまたま宿泊していたのが一人」

「このしき、結構大きいですけど多いのか少ないのか。外部に容疑者はいるんですか?」

「いるし、現在調査中だ。ただ、この家はわりと防犯がしっかりしていたな。日没には原則的に門はもちろん、館の全ての鍵はじようされていた」

「へぇ。意識高いですね」

くなった旦那が強盗に殺され、メアリー氏がこの館の主になってからはそうしているようだ。使用人も信頼のおける者以外は解雇したようだ」

「なるほど」

「……」

 隣のシズクがフードの奥で唇を曲げた気配がした。

 防犯はしていても、結局殺されちゃいましたね、とかそんなことを考えているのだろう。

 ノーマンもちょっと思ったが、そんなこと言ったらハリソンに怒られる。

「事件当時しきにいたのは五人」

 疲労気味の刑事が繰り返す。

『執事』、『執事見習い』、『下男』、『侍女』、『医師』の五人。

 死亡時刻である二十三時前後のアリバイは全員無し。

「…………無いんですか」

「『侍女』、『医師』はそれぞれの部屋で就寝ないしその準備。『執事』は自分の私室で明日の準備、『執事見習い』は地下のボイラー室で掃除、『下男』は図書室で本の整理をしていた。だが、それぞれの部屋の距離はある程度離れていて、それぞれを見ていないらしい」

「はぁ。どうやって発見したんですか?」

「音だ」

「はい? ……あぁ、いや、確かにそうですね。そりゃそうだ」

「真っ先に駆け付けたのは『執事』、少し遅れて『下男』。そこから他の連中も集まった」

「それで部屋に行ったら鍵が掛かっていて、声をかけても反応はない。こじ開けたらメアリー氏が死んでいた、わけですね」

「そうだ」

「びっくりですね」

「……」

 もっとちゃんと考えてください、なんて声が聞こえたような気がした。

 視線を向けたら、ぷいっとらされた。

「……あぁ? なんで俺の顔を見るんだよ」

 例えばこの過労気味の刑事が同じことをしても、申し訳ないがおぞましいだけだろう。

 いや、い人なのだろうけど。

「えーと、それじゃあ刑事さん。容疑者……でもないか、容疑者候補と話せますか?」

「あぁ、話は通してある」

「いつもお世話になります」

「仕事だ」

 不満そうなため息交じりにそうつぶやいて彼は応接室を出ていった。

 ノーマンはハリソンのそういう所を気に入っていたし、信用していた。

 こんなよく分らないものに情熱を傾ける人間なんて、それこそどうかしている。

「はぁ、やっとですか」

 そして、ハリソンがいなくなった途端に口を開くのがシズクである。

「ノーマン君」

「何かな」

「おなかきました。ダウニー通りのシャワルマが食べたいです」

「話を聞いたら食べに行こうか」

 ノーマンの返答に、シズクは気だるげに肩をすくめた。

「事情聴取、そんなに大事ですか?」

もちろん、重要さ」

 仕事なのだから。

 個人的には、どうでもいいけれど。



「仕事は嫌いですけど、気軽にお店に入れる利点は認めざるを得ないですね」

 焼いた肉と野菜を薄いパン生地でロール状に巻いた異国風のサンドイッチ───シャワルマ、そのロール版を箸でまむシズクは上機嫌につぶやいた。

「『カルテシウス』は生活の担保はしてくれますけど、外出制限はありますし」

「…………いや、外出制限はあるけど、禁止じゃないからね?」

「もう、ノーマン君。私に何を言わせたいんですか?」

「言ってほしいのは君でしょ」

 肩をすくめながら、ノーマンはシズクとは違う形のシャワルマを口にする。

 半月状の生地に肉や野菜を挟んだもので、手に取って食べられるファーストフード。スパイシーなソースが食欲を誘い、ノーマンのお気に入りだ。

 ウォールウッド邸から徒歩で一時間ほどの場所、ダウニー通りの食堂。

 そこにノーマンとシズクは訪れていた。

 遅めの昼食だ。二人とも殺人現場の後で食欲が減るような精神はしていなかった。

「へぇ、私が何を言ってほしいと?」

 本来紙で包んで、手で食べられるロールシャワルマを箸で、小さな口で少しずつ食べるシズクは揶揄からかうように問いかける。

「君、俺とじゃないと外に出かけないじゃん」

「うーん、いまいちですね」

「これは失敬」

「仕方ないですねぇ」

 くすりと、彼女が笑う。

 店にはカウンター席がいくつかとテーブル席が四つあるが、二人がいるのは一番奥。店の外は見えず、カウンターからも死角になっている半個室のような席。

 人目がなければ、シズクの表情は随分と変わる。

「ま、実際のところ外出する用なんて食料と生活用品くらいなので問題ないですし」

「本当にそう思ってる?」

「えぇ。これ以上は、私はあんまり望んでませんよ」

 食事時でも革手袋を外さない彼女は何気なく言う。

 おおよそこの街ではシズク以外に異国の食器具を使う物好きは見たこと無いが、彼女はそれを必要としている。手袋は外せず、それで食事をするのは衛生的に問題があり、だから箸。

 料理によってはもちろん、ナイフやフォーク、スプーンも使う。

 付け合わせのチップスでさえ、指は使わない。

「…………食べる?」

「おや。ふふっ、ご機嫌取りですか?」

 自分の分のチップスを指でまんで差し出したらシズクは喜んで口にした。

 小さい口が少しずつチップスをかじっていくのを見つつ、

「……事件の話だけど。聞いた限りじゃ容疑者の五人とも、メアリー氏との関係は悪くない。むしろいものだったわけだ。普通に考えれば、殺す理由はない」

「普通ってなんですか?」

「さぁね」

 少なくとも、犯人は普通ではない。それから程遠いものだ。普通では、常識ではないもの。

 それが《アンロウ》というものだから。

「ぺろっ」

「俺の指までめてるけど、それもしい?」

「ポテトって、ポテト自体よりもついてる塩がしい説ありません?」

「分からなくもないなぁ」

「玉虫色の発言ですねぇ」

「チップスは黄金色だけどね」

「いまいちです」

「手厳しい」

「でも事件にはぬるいと困りますよね。私ではなくノーマン君が」

「まぁそうだね。事件はどうでもいいけど、仕事はしないと。名探偵さんはどう思う?」

「そうですねぇ」

 輪切りのロールシャワルマを口に運んだ彼女は少し考え、飲み込んで、

「中々セクシーな寝巻でくなってましたね、あの人」

「そこ?」

「えぇ。あぁいうの、どうですか?」

 言われたことを考える。真剣に。

「…………悪くないとは思うけど、君にはちょっと違うんじゃない?」

「胸にコンプレックスがあると思って言葉を選んでるなら心外です」

「君は君らしい服を着てくれてると、俺はうれしいよ」

「んふっ。……今のはいですね」

「やる気出た?」

「んー、もうちょっと欲しいですねぇ」

 彼女は肩をすくめてから、革手袋の人差し指を立てた。

「強いて言えば私が気になるのは、犯人をあの寝巻で迎え入れる関係だったってことですね」

「あー……なるほど?」

 ノーマンは首をかしげてから、容疑者五人の立場を思い浮かべ、

「……いや、でも五人中四人が使用人なんだから、部屋着見せることくらいあるでしょ。もう一人は医者だし、そこはそんな不自然じゃない気がする」

「女心をもうちょっと考えてくださいよ」

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