第一幕 ウォールウッドの醜聞②


 三十分ほど歩きたどり着いたウォールウッド邸はそれなりに豪勢な二階建ての館だった。

 その主人であるメアリーの私室、すなわち殺害現場もやはりそれなりに豪勢な部屋だった。

 部屋の中央に執務机、かべぎわにはびっしりと整頓された本棚や書類置き。どちらかといえばファイルやバインダーの方が多い。

 窓は二つ。人が通れそうな大きいもので日当たりも良さそう。

 天井近くには小さな換気口らしきものが一つだけ。

 じゆうたんは思わず沈み込んで行くんじゃないかと思うほどふかふかだった。

 い部屋だと思う。

 問題は────執務机が真っ二つに割れて、そこに血痕があったということだ。

 ノーマンはファイルを取り出して、部屋着姿のメアリー氏の殺害写真と見比べる。

 写真では真っ二つになった執務机の間でメアリーがひしゃげていた。

 正確には胸部がごっそり潰れている。骨が肉を突き破り、内臓は破裂していただろう。

 彼女を執務机に腰かけさせ、そこに鋼鉄かなにかの巨大なハンマーを思い切り振り下ろしたとしても、そうはならないはずだ。

 しっかりとした造りの机がぶっ潰れている。

「なるほど」

「どうだ、ヘイミッシュ」

 声をかけて来たのはシズクではなかった。

 くたびれたモスグリーンのコートとやはりくたびれた黒いスーツの長身の瘦せた男。

 髪は短くそろえられているが、身だしなみより手入れの楽さを優先という感じ。

 顔はそこそこ、だが疲れている表情と目のくまのせいで女性受けは悪そうだ。

 ハリソン・レナード。

 バルディウム警察の刑事であり、ノーマンとはそれなりに旧知の仲だった。

 彼と会う時はいつもろうこんぱいという感じなのでノーマンは勝手に心配していた。

「そうですねぇ」

 かけられた声に肩をすくめる。

「俺にはなんとも」

「別にお前の推理を期待しているわけじゃない」

 切り捨てるような、うんざりしているのがにじみ出る声だった。

「状況を理解しているかと聞いたんだ」

「あぁ、それなら一応。死体に、壊れた机、それに……」

 部屋の角にはむっつりと黙ったシズクがいて、さらにずらせば一つだけしかない出入り口が。

 本来は扉があったのだろうが───壊れてただの出入り口になったもの。

「壊された扉。窓の方は?」

「事件当時、鍵が掛かっていたのが確認されている」

「なるほど。あるのはねずみくらいしか通れなそうな通気口くらい、か」

 つまりと、ノーマンはうなずいた。

「密室殺人、というわけですね。それも明らかに不自然な死体。当然犯人は見つかっていないし、犯行の手口も不明」

「だから呼んだ」

「でしょうね」

 むっつりとした表情でハリソンはうなずく。

 頼るのは不本意だが、ほかにどうしようもないと言わんばかりに。

 別に彼が無能というわけでもないし、警察の権力構造や法律を無視して民間人に殺人事件の資料を渡し、勝手に調査をさせているわけでもない。

 これがノーマンと、それにシズクの仕事なのだ。

 普通に考えて起こりえない事件。

 条理に反した犯行手口。道理にそぐわない被害や死体。

 魔法や奇跡でもないかぎりできないようなこと。

 人間にはできないはずなのに───起きてしまった事件。

「こういうのはお前たちの仕事だろう、『探偵』」

「その呼び方、あんまりしっくりこないんですよね。『カルテシウス』の調査員は現場じゃそう呼ばれてますけど」

「公にはされてない組織だろう。俺のような仲介役でない警察からしたら勝手に現場に乗りこんで好き勝手するやからだ。そう言った方が早い」

「うーん否定できないですね」

「なら仕事をしろ。俺はしきの関係者と話してくる。お前たちが何者か怪しんでいるからな」

「だったら名探偵とでも言っておいてください」

「笑えないな」

 肩をすくめながら慣れた様子でハリソンは部屋を出ていった。

「……こんしんの冗談だったんだけどな」

こんしんの冗談が面白くないという現実を受け止めてくださいノーマン君」

 やっと口を開いたと思えば辛辣な意見のシズクだった。

 彼女はハリソンが去って行った出入り口を見てつぶやいた。

「相変わらずやる気がない人ですね。ノーマン君ほどではないですけれど」

「やる気がないんじゃないよ。出しどころがわかってるんだ。俺たちを呼んだってことはあの人の仕事は警察や関係者への説明やなわばりの調整だからね」

「はぁ」

 どうでもいいと言わんばかりの曖昧なあいづちだった。

 基本的に世の中に興味がない少女なのだ。

「始めましょうか」

「うん、よろしく」

 シズクは右の手袋の先をくわえ、手を下ろす。

 手袋をくわえたまま、左の手袋も外してから彼女がノーマンへと手を差し出して。

 そっとノーマンはシズクの手を優しく握った。

 細く、柔らかい、握れば砕けないか心配になるような小さな手。

 そのまま真っ二つに割れた執務机の下に行き、空いている手で触れる。

 深呼吸し、そして彼女は小さくつぶやいた。

「─────《エコーハウリング幻視ヴイジヨン》」

 その瞬間、ノーマンとシズクの世界は切り替わった。



 ノーマンとシズクは音を聞いていた。

 何かが何かに反響し、その音が映像を作りだす。

 執務室。鍵を掛けられ閉まっている扉と窓。

 机は壊れていない。

 机の正面に寄り掛かった寝間着姿のメアリー・ウォールウッド。

 おびえている。

 体が震え、表情はこわばっている。

 目に映るのは恐怖、疑問、きようがく────拒絶。

 彼女が何かを叫んだ。

 次の瞬間、メアリーがぶっ潰れた。

 しっかりした執務机ごと彼女の胸が潰れ、机は真っ二つに。

 冗談みたいな光景。

 人間にできるはずがない。

 できるとしたら、それはバケモノだ。



「っ───」

 ひきつけを起こすように、シズクが息をむ音と共に世界が切り替わる。

「ふぅっ……ふぅっ……」

 少しの間、頭を押さえ落ち着くのを待った。

 ふらつく彼女の肩を抱き、支える。

 この世界には魔法も奇跡もない。

 あるのは現実と条理とただの人間と《アンロウ》と呼ばれる『何か』だけ。

 潜み、変わり、外れ、ゆがんだモノ。

 人にできないことをする、人によく似たバケモノ。

 シズクの場合は《残響涙花エコーハウリング》と呼んでいる。

幻視ヴイジヨン》とはその能力の応用としたもの。

 触れたものの何か思念のようなものを読み取り、それをヴィジョンとして見る力。

 残留思念を見ているのかと思ったけれど話を聞く限りどうも違う。

 極めてまれに、本人の意思とは関係なく発動するのだが、彼女の《幻視ヴイジヨン》は時に未来のヴィジョンを見ることもあるからだ。

 ゆえに彼女が見ているのはただの残留思念ではない。

 任意でヴィジョンを読み取ることもあれば、偶然触れたものにヴィジョンを見ることもある。

 彼女が露出を抑えているのはそのため。

 特にふと触れたものにヴィジョンを見ないために手袋は必須だし、他人と距離を置いたり会話をしないのも余計なモノを見ないようにする、言うなれば彼女なりの処世術だ。

 触れれば見えるヴィジョン。過去か未来の残響エコー

 この世の法則から外れた『何か』。

 だからそれは《アンロウ》と呼ばれている。

エコーハウリング》のシズク・ティアードロップ。

 彼女のヴィジョンは触れさえすれば他人と共有もできる。

 彼女のような《アンロウ》と、人間には不可能な事件や事故を調査するのがノーマンの仕事である。自分以外の誰かと彼女がヴィジョンを一緒に見ているところを見たことはないが。

「落ち着いた? シズク」

「えぇ、まぁ。それにしても……」

 銀髪を揺らしながら彼女は息を吐く。

 彼女はこの異能により、不可解な殺人事件に駆り出されることが多い。

 ヴィジョンを見てしまえば、犯人が一発で分かるからだ。

 不可能な殺人事件が、ヴィジョンを見たら、犯人がすごく頑張っただけということもあった。

 だが、今回は。

「犯人、見えませんでしたね」

「だね」

 そう、ヴィジョンでは犯人は見えなかった。

 そして《幻視ヴイジヨン》では《アンロウ》は捉えられない。

「と、いうことは問題はどんな《アンロウ》かってことだね」

 掛けた言葉にシズクはすぐに答えなかった。

 ポケットから包み紙を取り出す。

 革手袋で丁寧にかれたのはチョコレート菓子だった。

 事件に対する興味の無さを全開で。

「それを考えるのは貴方あなたの仕事ですよ」

「…………そこは名探偵でいてほしいんだけどな」

 問題は。

 この全くやる気のない名探偵をどうするか、ということだ。

 彼女がその気にさえなってくれれば───この事件は簡単に解決できるのだから。

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バケモノのきみに告ぐ、2の書影
バケモノのきみに告ぐ、の書影