第一幕 ウォールウッドの醜聞①


 シズク・ティアードロップ。

 いつもフードをかぶり、少年用のズボンかスカートにしてもストッキングやタイツ、常に手袋をめた露出を絶対に認めないファッション。肩にはバイオリンの楽器ケースを提げている。

 フードからこぼれる色素の抜けた白髪は目を引く。

 暗い黄の瞳はいつも半分くらい閉じているけれど、それが逆に彼女の魅力を引き出している。

 今年ようやく十六になるにしては背が低く、発育は残念な部類だけれどそれもまたあいきようだ。

 そんな彼女との待ち合わせ場所はバルディウムの住宅街の中心の噴水広場。

 天気は良いが平日なせいか、子供連れの家族や恋人たちが視界でまばらに遊んでいたり、道路では馬車や最近金持ちが乗り回すような自動車の真っ黒なガスが漂っている。

 シズクは通り過ぎた馬車の陰から現れた。

 彼女は道路を横切り、噴水の前で突っ立っていたノーマンのもとへ歩いていく。

 平和な公園が似合わないなと、ノーマンは思った。

「良い天気には似合ってるかもだけど」

「フードに対する嫌味ですかそれは?」

 小柄な体を少しだけ丸めながら歩く姿は露出がないのも相まって、世界のどこからも浮いているような、どこにもなじめないような印象を与えてくる。

 暗闇でずっとつぼみのまま、光を浴びることを拒否する咲かない花のように。

 放っておけばそのまましおれて消えてしまいそうな少女。

「やぁ、シズク。遅かったね。でも安心してほしい、俺も今来たところだよ」

「なんですかそれは。ノーマン君」

 澄んだ声だった。

 けれどそれに乗ったのは気だるげな、わずかな不満をにじませた声だった。

 思っていた反応と違って首をかしげば、首の後ろで結んでいる髪が揺れる。

「ありゃ、おかしいな。前に待ち合わせた時は、どれだけ待っても今来たところって言うものだって言ってなかったかな」

「それは集合時間より前に会えた時の話です。相手が遅れたのにそれを言ったらノーマン君も遅れたことになるじゃないですか」

「おぉ、確かに」

「もう……」

 シズクがフードの奥で息を吐く。

 あきれと苦笑の中にうれしさを込めた嘆息。

「もう、仕方ないですね。遅れてごめんなさい。けれど、なんだってこんなところなんですか」

「悪くないとは思うんだけれど。定番の待ち合わせ場所らしいよ」

「らしいよって。待ち合わせに使ったことあるんですか?」

「ないかな。このあたりに用事なんてほとんどないし」

「でしょうね。私だってそうです、そのせいで迷いました」

「でも、俺はここが待ち合わせに有名なところってくらいは知ってたよ」

「私が知るわけないことをノーマン君は知っているでしょう」

「……まぁね」

 シズク・ティアードロップ。

 驚くことなかれ、彼女はなんと引きこもりである。

 十六歳ともなれば商家や貴族の娘なら花嫁学校に通ったりしているものだし、貧しい家庭なら働いているか結婚しているかだ。

 なのに彼女は学校にも行かず、結婚もせず、働きもせず、自分の下宿先に引きこもって趣味のバイオリンを弾いているのが大半という変わり者というにはなんとも残念な少女なのだ。

 本人自身にはそんな雰囲気はまるでないけれど。

 ノーマンは肩をすくめ、

「とりあえず行こうか」

 歩き出す。

 シズクは返事をしなかったがしっかりと隣についてくる。

 拳一つ分の距離を空けて。

「それで?」

 ジロリと冷たいが刺さる。

 ノーマンは答えず、コートの内側からファイルを取り出しそれを手渡す。

「……」

 シズクは黙ってそれを受け取った。ファイルには数枚の書類と写真。

 まず彼女が見たのは貴婦人らしき人物が笑顔で写っている顔写真だ。

「誰ですかこの人」

「メアリー・ウォールウッドさん。運送会社の社長。五年前に死んだ旦那の会社を引き継いで成功させた敏腕女性社長さんだ」

「おいくつで?」

「三十五歳」

「享年三十五って言うべきですね」

 ぞんざいに、つまらなそうな動きで写真をめくる。

 そこにはメアリー・ウォールウッドの死体の写真が。

 それなりにショッキングな死に方をしていたが彼女は顔色を変えずにファイルを閉じた。

「そのとしで運送会社を成功させたってことは仕事ができる人だったんだろうね」

「あんな意味不明にデカい壁に囲まれてたら当然ですよ」

 ノーマンが空を見上げ、シズクもそれに続いた。

 視線の先には、巨大な壁がある。

 城壁都市バルディウムはその名の通りに外周全てを大きな壁に覆われた街だ。

 端から端まで歩けば、急いでも丸一日は余裕でかかる。

 街の中心部にひときわ背の高い塔があるが、城壁はそれよりも高い。

 それだけ大きな城壁を作り出すのにどれだけの時間と労力がかかったのか分からない。

 この街に来てから一年半ほどつが、街の歴史に興味はないので調べてもいなかった。

 ただ、

「───この街には、風が吹かない」

 風なんてどこからか吹いて、どこにでも吹きそうなものだけれど。

 ちょっとした空気の流れはともかく、風と呼べるようなものはほとんどなかった。

 まるで、この街が世界から取り残されたみたいに。

「この街生まれの私からしたらそれが当たり前ですけどね」

 シズクが肩をすくめる。

へきにある街だから気軽に外にも出られませんし、基本的に生活に必要なものは街の中で完結してるから必要もないですしね」

「それでも足りないものは出てくる。そのあたりは街の外に頼らないといけなくて、そのためにこの街じゃ運送会社ってのは重要さ」

「はぁ。引きこもりなのでどうでもいいですけど」

「ある意味引きこもりだからこそ恩恵を受けていると思うけどね……」

「そんなことより」

 ばすんと、音を立ててファイルが突き返された。

「久しぶりに待ち合わせと思ったらこれってことは、いきなり仕事の話ですか?」

「仕事だからね」

「非合法な」

「とんでもない。……あぁ、いえ。ミステリー小説の話ですよ」

 続いた言葉は通りすがりの紳士に向けて。

 高そうなえんふくとシルクハット姿の若い青年だがおそらく貴族か何かだろう。

 小柄な少女から非合法なんて言葉を聞いて足を止めてしまっていたので、ノーマンがほほ笑んで話しかけた。

「あぁ……なるほど。そうなると、そちらのお嬢さんは助手になるのかな」

 上品な笑みの紳士は小さくお辞儀をしてから歩いて行った。

「…………なんですか急に助手とか」

 いつの間にか一歩離れていたシズクが距離を戻しながら聞いてくる。

「知らないの? 何年か前にった推理小説。王都で大流行して、バルディウムでも去年あたりみんな読んでたよ」

「みんなって誰ですか?」

「……君と俺以外の誰かってことかな」

「知りませんよ。文字だらけの本を読むと頭が痛くなるので」

 なんというか。

 クールでダウナーな雰囲気の美少女から聞きたくないセリフの上位ではないだろうか。

「それで?」

「名探偵の主人公がいて、その助手が振り回されながら事件を解決するっていう話だよ」

「ふぅん………………ふっ」

 うつむきながら彼女は小さく口の端っこをゆがめた。

 年頃の少女には似合わない笑い方。

「その話なら、助手はノーマン君の方でしょうに」

「……まぁね」

「ぷぷっ……くく……」

 妙にツボにはまったらしく、小さく肩を震わせていた。

「…………あの本、俺が印象的だったのはさ。わりと頭のネジが外れてる名探偵に振り回されてる助手が、文句言いつつなんだかんだ付き合ってるところだったよ」

「くくくっ……ふふっ……やっぱりノーマン君じゃないですか……!」

 肩の震えが大きくなった。なんだろう、全く釈然としない。

「ふぅ。いえ、失礼でしたね。ノーマン君は文句言わないですし」

「そうか……? そうかな……」

「えぇ。言っていたとしても私は聞いていませんから」

「こいつ……」

「くくくっ」

 笑みとともに揺れた体が少しだけ、ノーマンに触れた。

「それでは行きましょうか助手君。殺人事件なんて面白くもなんともないですし」

「名探偵はそんなこと言わない」

 たぶん。

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