プロローグ

 深窓の令嬢と表現される少女がいるとすれば、きっとそれは彼女のことなのだろう。


 彼女を見たとき、まず最初に日本人離れした明るいブラウンの髪が目を引く。しかも、周囲の女子よりも群を抜いて容姿が端麗で、おそらく範囲をこの学校全体に広げても彼女にけんしうる同性はいないだろう。

 静かで落ち着いた雰囲気を身にまとい、その髪の色とも相まって休日は洋館の窓辺で本を読んで過ごすのが似合いそうな美少女──。

 まさしく深窓の令嬢だ。


 名前をぞえみずという。


 彼女は決して派手なほうではなく、リーダーといったタイプでもない。

 だけど、人が集まってくる。

 つい先ほど終礼が終わって放課後になった今も、担任の先生が教室を出るか出ないかのうちに何人かの女子生徒が我先にとぞえのもとに寄っていった。

「ね、ぞえさん。これからさ、駅前のモールに行かない? 夏の新作が入ってるって話なの」

 女子のひとりが誘う。

 夏の新作とはファッションかいわいの話だろうか。つい先日ゴールデンウィークが明けたというのに気の早いことだ。

 しかし、対するぞえの答えは、残念ながら彼女たちが期待していたものではなかった。

「すみません。今日は用事があるので……」

 丁寧な口調でやんわりと断ると、ぞえはちょうどそばを通りかかった僕をちらと見た。

 かすかに目が合う。

 用事、ね──僕は納得し、教室を出た。


§§§


 夕食を家にあるものですませ、時間を確認するともうあと十分ほどで午後八時だった。

「さて、そろそろ行くか。ちょうど外のコーヒーが飲みたかったし」

 誰に聞かせるわけでもなく僕は言う。

 勉強の手をとめ、家を出た。夜道を歩いて向かったのは近所のコンビニだ。レジでコーヒーを注文し、何枚かの硬貨を代金にカップを受け取ると、サーバーでコーヒーをれてからイートインに腰を下ろした。

 ひと口飲み、入り口に目をやる。と、ちょうど自動ドアが開くところだった。

 入ってきたのは女の子だ。黒地にピンクの英字がプリントされたビッグシルエットのシャツにショートパンツといった姿。髪はアップにしてまとめられているが、そのボリュームを見るに下ろせばかなりの長さであろうことが容易に想像できた。メイクもやや濃いめ。いわゆるギャル系ファッションに分類されるスタイルだ。

 彼女は入ってくるなり真っ先に僕がいるイートインに目を向けた。僕の姿を認め、うれしそうに笑みを見せる。

「こんばんは、あかざわさん」

 そして、この僕──あかざわきみちかに挨拶を投げかけてきた。


 彼女の名前はぞえみず


 そう、教室で深窓の令嬢然としていたあの女子生徒だ。

 まさか彼女がこのようなファッションに身を包み、夜のコンビニで僕と会っているなど誰が思うだろうか。


 僕は彼女に軽く手を上げて応えた。

「先に何か買ってきたら?」

 ここはイートイン。店で商品を買ったもののみ座る資格がある場所だ。もつとも、ふたりそろって何も買っていないのならかく、僕のつれ合いということで長居さえしなければそうそう怒られることもないだろう。

「そうですね。ちょっと行ってきます」

 ぞえはくすりと笑うと、きびすかえした。売り場のほうへと向かう。

 程なくして彼女は、僕が持っているのと同じカップを手にして戻ってきた。隣のイスに腰を下ろす。

「やっぱりきてくれましたね」

 と、ぞえ

「そりゃあ呼ばれたからな」

「言葉にしてないのに?」

 それは問いかけのかたちをした期待だった。

「慣れた。でも、次からは言葉にしてくれ。僕が見逃したらどうするんだ」

「大丈夫です。ちゃんと伝わってると信じてました」

 ぞえは得意げにほほむ。

 僕たちはにより学校でおおっぴらに言葉を交わすことができない。だからLINEのIDも交換してあるというのに、それを使わずにそんな不確実な方法をとる必要がどこにあるのか。

「その服、初めて見るな」

 話題を変えて僕がそう指摘すると、彼女はよくぞ気づいたとばかりに目を輝かせた。

「夏の新作です。ネットで買いました」

「ああ」

 僕はそのフレーズにピンとくる。

「それで誘いを断ったのか」

 ネットでひと通りチェックしているのなら行く理由はない。

 と、想像したのだがどうやらそれは少しちがったようで、ぞえは恥ずかしそうに言う。

「それもありますが、今日はあかざわさんとこうして話がしたかったので」

「だったら行けただろう」

 僕とここで会うのは決まって午後八時。放課後にクラスメイトと駅前のショッピングモールを回る程度なら、この時間までもつれ込むことはまずないだろう。どちらかを排除する必要があるとは思えない。

「この服を早くあかざわさんに見せたかったんです」

 心なしか怒っているふうのぞえ

 理由になっているようでなっていないが、もうおいておこう。

「寒くないか?」

 ゴールデンウィークも過ぎ、もう初夏と言っていいような季節だが、日が暮れて夜になってしまうとまだ肌寒く感じる。僕も部屋ではTシャツ姿だったが、ここにくるにあたっては上に一枚羽織って出てきた。

「いいんです」

 返ってきたのはそんな言葉。暑さ寒さよりファッションを重視しているようだ。

 しかし、次の瞬間だった。

「くしゅ」

 ぞえの口から小さなくしゃみが飛び出した。ほら言わんこっちゃない、と僕は言いかけたが、その言葉を吞み込む。

 結果、沈黙が下りた。

 やがてぞえが先に口を開く。

「いいんです」

「何も言ってないだろ」

 言いそうにはなったが。

 学校では深窓の令嬢然として大人っぽく落ち着き払っているというのに、この振れ幅の大きさは何なのだろうか。

「それにしても、今のぞえの姿を写真に撮って見せたら、みんな驚くだろうな」

 そして、大きなギャップがもうひとつ。彼女の服装だ。

 ぞえは落ち着いたデザインの服を着そうな雰囲気だが、実際にはギャル系ファッションを好む。そんなことはきっと誰も想像はしないだろうし、もっと言えば望まないだろう。

 ここでだけの彼女の姿。

「や、やめてくださいっ」

「冗談だよ」

 僕がイートインのテーブルの上に置いたスマートフォンに手を伸ばす素振りを見せると、ぞえはわたわたと慌てながらその手を上から押さえようとする。が、僕のひと言でぴたりとその動きをとめた。

「もう。あかざわさんも冗談を言うんですね」

 彼女はばつが悪そうに手を引っ込め、少しねたように口をとがらせた。

「普通これくらい言うと思うけど?」

「ええ、言いますね、『普通』」

 そして、今度はしそうに笑った。


 なぜ僕とぞえみずがこんなことになっているかというと、それは新年度のはじまりにまで遡る──。

刊行シリーズ

孤独な深窓の令嬢はギャルの夢を見るかの書影