第1章 深窓の令嬢の夜の顔①


 それは新年度の一学期がはじまってすぐのことだ。

 新年度といっても二年生ともなれば新鮮味はほとんどない。ここ私立桜ノ塚高校は進学校なので始業式の翌日からさっそく授業がはじまる。自己紹介と鉄板ネタで最初の授業を潰してくれるような先生はごくわずかだ。

 その日の授業と終礼がつつがなく終わると、僕はノートや筆記用具をスクールバッグに放り込んで帰り支度をする。席を立つとぞえの周りに何人かの女子が集まっているのが見えた。

 自分とは大違いだな──と、僕は内心で自嘲する。

 誰にも声をかけることなく、そして、誰からも声をかけられることなく教室の出口へと歩を進めていると、ぞえと周りの女子たちの話し声が耳に入ってきた。

「ね、ぞえさん、昨日発売のこれ、もう見た?」

「いいえ、まだですが」

 答えるぞえはクラスメイトが相手でも言葉遣いが丁寧だ。彼女のイメージ通りと言えばそうなのだろう。

「いいのあったんだー。……あ、これこれ。これなんかぞえさんにいい感じ」

「どうでしょうか」

 ぞえは自信なげに曖昧な返事をする。もつとも、この服が似合うと勧められたところで、着もしないで確かにと即答できる人間はいないだろうから、彼女のこの反応も至極当然だ。

「ほら、春休みにみんなで遊びにいったときもこんな感じだったし、絶対に似合うって」

 相手はなおも勧めてくる。きっと彼女の中ではその服を着たぞえのイメージが出来上がっているのだろう。

「あ、これ……」

 ふとぞえが何かに気づいた。

「ああ、それはセラがナチュラブとコラボするって記事ね。……ぞえさんもこういうの気になるんだ」

「ええ、少し……」

 ぞえは恥ずかしそうにうなずいた。

 僕の記憶によれば、ナチュラブは十代の少女をターゲットにしたギャル系ファッションのブランド『ナチュラル・ラブ』のこと。セラは確か、高校生モデルの名前だったはずだ。

 話を総合すると、セラがデザインしたアイテムがナチュラル・ラブから発売される、ということのようだ。……我ながら妙な知識が身についているな。この分野が趣味というわけでもないのに。

「はいはい。あたしも興味あります」

「やっぱセンスいいよねー、セラは」

 そこにさらに何人かの女子が加わり、一気ににぎやかになる。

 ぞえみずは人気ものだ。彼女の周りには自然と人が集まってくる。輪の中心は常に彼女だ。

「出たら絶対ほしいんだけど、似合うかどうか自信がなくて」

「わかるー! 自分が着ると何かちがうってなるよね」

 ぞえは優しげな笑みを浮かべながら、ナチュラブとセラの話題で盛り上がる彼女たちを見ていた。

 一方、僕はまだまだおしゃべりが終わりそうにない女子たちの横を通り、教室の出入り口へと向かう。

 と、その途中、ぞえが僕を見たような気がして、そちらに目を向ける──が、別にそんなことはなく、彼女は先ほどと同じように周りの会話に耳を傾けている。どうやら気のせいだったようだ。


§§§


 家に帰り、本を読んで過ごす。

 気がつけば時計の針は午後八時少し前を指していて、少々腹が空いていた。残念ながら食べるものがろくになく、夕食を求めて近くのコンビニに行くことにする。

 僕はひとり暮らしだ。高校に上がるタイミングで家を離れ、今の学校に入学するためにこの地にきた。そのため生活に必要なことはすべて自分でやらなくてはいけないし、それを怠れば自身に返ってきて、その尻ぬぐいをするのも僕だ。

 家を出て、五分ほど夜道を往く。

 そうして辿たどいたコンビニでのこと。僕が店舗に入ろうとしたのとタイミングを同じくして、ちょうど女の子が出てきた。

 としは僕と同じくらいか。鎖骨が見えるほどに首周りが大きく開いた黒のトップスに、デニムのショートパンツといった姿。そこまで本格的ではないが、いわゆるギャル系ファッションというやつだろう。ボリュームをつけるようにアップにした髪や要所要所を濃いめにしたメイクもそれっぽさを強調している。

 そして、何よりその表情が印象的だった。

 どうしても服に目がいきがちだが、彼女はとてもいきいきとしていた。僕は彼女が自分の思うまま、心のまま好きなことをやっているのだろうと感じた。

 好きなこととは何だろうか? 服か、メイクか。それともこうして夜のコンビニに買いものにきていることだろうか。それはわからない。だけど、確かに彼女はいきいきとしていた。表情だけではない。在り方そのものがいきいきとしていて、とても印象的だった。

 そんな彼女にギャル系の服はよく似合っていた。

 少女は目当てのものを買ったからか、上機嫌な様子で店から出てきた。だが、そこで僕の姿を見つけ、わずかに目を見開いた後、すっと視線をらした。

 浮かれている姿を見られて恥ずかしかったのだろう──と、最初は思った。

 だけど、彼女とすれちがってから気づく。


「ああ、ぞえか」

「えっ」


 僕はそのまま通り過ぎるつもりだった。でも、彼女が想像していた以上に大きな反応を示したので、思わず振り返ってしまった。彼女もこちらを見ていた。

 僕たちは見つめ合う。

ぞえ?」

「い、いえ、人ちがいです……!」

 どうしたのだろうと思い、呼びかける。と、彼女は慌てたようにそう言い、ぱたぱたと小走りに駆けていったのだった。

ぞえだよな……」

 店舗の前の駐車場を横切り遠ざかっていく彼女の背中を見ながら、僕はつぶやく。

 今のがぞえみずであることは間違いなかった。にもかかわらず、なぜ彼女は人違いなどと言ったのだろうか?

 僕は首をかしげながら店の中を回り、目についた弁当を手に取った。それを持ってレジへ行ったところであるものを見つける。カードだ。このコンビニで使えるチャージ式の電子マネーのカード。それがレジの前に落ちていた。誰かが会計の際に落としたのだろう。

 拾い上げて裏面を見ると、そこには『ぞえみず』と律儀に自筆で署名がされていた。やはり先ほどすれちがったのはぞえだったようだ。

「何か落ちてましたか?」

「いえ、僕が落としただけです」

 聞いてきた店員にそう答える。見ず知らずの他人のものなら店に預けるつもりだったが、これがぞえのものであるなら僕から返したほうが早そうだ。

 拾ったカードをポケットに押し込み、代わりに財布を引っ張り出す。そうして会計を終えると、僕は家に戻った。

刊行シリーズ

孤独な深窓の令嬢はギャルの夢を見るかの書影