第1章 深窓の令嬢の夜の顔②


 翌日。

 朝、学校に行くと、教室の前には中に入ろうかどうか躊躇ためらっているふうの女の子がいた。ぞえだった。

「どうした?」

「え?」

 声をかけると、彼女がはじかれたようにこちらを振り返った。

「あ、あかざわさん……」

「入らないのか?」

「でも……」

 ぞえよどむ。まるで中に入ることをおそれているかのようだった。

 そこで僕は彼女の顔が青いことに気づく。

「あ、ぞえさんだ。おはよー」

「え!? どうしたの、その顔。大丈夫?」

 彼女が心配になったが、僕が気遣うよりも先にぞえの登校に気づいた女子の何人かがバタバタと寄ってきた。やはり顔色の悪さにぎょっとする。

 どうやら僕の出る幕ではなくなったようだ。僕は廊下に出てきた女子と入れ違うようにして教室の中に入った。


 ぞえみずは決してにぎやかな種類の人間ではない。どちらかと言うと、ほほみながら輪の中心で静かに座っているようなタイプだ。だけど、華やかさがあった。例えるならそこにあるだけで空間にいろどりを添える美しい花だろうか。

 そのぞえも朝は顔色が悪かったがすぐによくなったようで、何ごともなく今日という日が過ぎていく。

 そうして放課後。

「あの、あかざわさん……」

 担任の先生が連絡事項を伝えるだけの短いホームルームが終わり、下校するべく荷物をまとめていると名前を呼ばれた。ぞえだ。

「何?」

「少しお話が……」

 そう切り出してきた彼女はやや緊張気味。

 むりもない。一年生のときから同じクラスとは言え、入学直後にで関わって以来ほとんど話をしていない。いや、話せなかったというべきか。そんな僕に声をかけてきたのだから緊張だってするだろう。

 振り返ってみれば、ぞえは今日一日ずっと僕を意識していたように思う。話をしたかったができず、いよいよ放課後になって意を決して声をかけたのかもしれない。

「いいよ。何の話?」

「ここではちょっと……」

 と、申し訳なさそうに言うぞえ

 人がいるところでは話せない内容ということか。僕も彼女に昨日拾ったカードを返す機会をうかがっていたのでちょうどよかった。

「わかった。場所を──」

「変えなくていい」

 不意に声が割って入ってきて、ぴしゃりと言い放った。

 それはよくぞえのそばにいる女子のひとりだった。名前は日下くさか。気の強そうな目が僕をにらんでいる。

「ダメよ、ぞえさん。こんなやつと話したら」

「で、でも……」

「でもじゃなくて。わかってるでしょ。あかざわと関わったらごろに目をつけられるって」

 彼女は何か言いかけたぞえの言葉を遮る。

 それを聞いたぞえはとても悲しそうに目を伏せた。


 ごろとは一年生のときの担任の先生の名前だ。定年ぎわのベテラン教師で、去年も今年も学年主任をしている。端的に言って怖い。

 去年、僕は入学早々そのごろと大めにめた。以来、僕はごろから目の敵にされ、同じように目をつけられたくなかったらあかざわには関わるな、というのがクラスの暗黙の了解になったのだ。

 当然、二年に上がる際にクラス替えがあり、僕の担任もごろではなくなった。にもかかわらず、暗黙の了解だけは継承されてしまったのだ。それだけごろおそれた、というよりは単に誰かひとりを仲間外れにする遊びが面白かっただけだろう。


あかざわも!」

 日下くさかが僕へと振り返った。

ぞえさんにだけは近づかないで。いいわね! ……ほら、ぞえさん、行こ」

 彼女はぞえの手を取る。どうやら教室の奥で固まっている女子のグループのところにつれていくつもりのようだ。僕の横をまず日下くさかが通り抜けていく。目は合わせないが、すれちがいざま鼻をふんと小さく鳴らした。続けてその彼女に手を引かれたぞえが通っていく。

 そのときだった。

「待ってますから」

 と、ぞえは僕にだけ聞こえる小さな声でそう言った。


§§§


「待っていると言われてもな」

 僕は部屋で独り言ちる。

 普通に考えて、無視しても許される状況だ。ぞえが場所も時間も言わなかったことに加えて、明日になれば教室で顔を合わせる。互いに話しかけにくい立場ではあるが、どうにかならないこともない。

 ただ、僕にはできるだけ早く会っておきたい理由があった。例のカードだ。あまり人のものを長く持っておきたくない。

「ヒントはある。いや、正確には唯一無二の答えか」

 時計を見ると、ちょうどいい時間だった。

 そうしてから開くだけでたいして読めていなかった本を閉じると、ローテーブルの上に置いて立ち上がった。

 家を出る。行き先は昨日のコンビニ。時間も同じ、午後八時。

 かくしてぞえみずはそこにいた。

 昨日の夜、ここで会ったときと同じかつこうでイートインに座っている。学校での深窓の令嬢然とした彼女とは似ても似つかないスタイルだ。目の前には小さなレジ袋。コンビニスイーツでも入っているのかもしれない。

 ぞえは僕を見ると軽く頭を下げた。

「きてくれたんですね」

 その声は緊張気味。

「本当にきてほしいなら時間と場所くらい言ってくれ」

「すみません……」

 僕が苦笑交じりに言えば、ぞえは申し訳なさそうにうなれた。もつとも、あの状況ではあれだけ伝えるのがせいいっぱいだっただろう。下手に具体的な内容にふれたことを言えば邪魔をされかねない。

 僕はひとまず先に昨日拾ったカードをぞえに差し出した。

「え? あ、これ……どうしてあかざわさんが……?」

 彼女は受け取ったそれが自分のものだとわかり、目をぱちくりさせる。

「昨日ここで拾った」

「そうだったんですね。今さっきないことに気づいて、帰ったら部屋を探さないとと思っていました。ありがとうございます」

「で、何か話か?」

 僕はぞえの横に腰を下ろした。イートインの性質上、何も買っていない僕がここに座ってもいいのかと思ったが、ぞえが買っているのでそれでよしとさせてもらおう。どうせこの後、僕も夕食になりそうなものを買うのだし。

「いや、その前に体のほうだな。朝はまだ顔色が悪かったけど、本当にもう大丈夫なのか?」

 確かに具合が悪そうだったのはあのときだけだったが、大事をとってこんな夜に出歩かないほうがいいのではないだろうか。

 ぞえはなぜか押し黙った。

「……それです」

「うん?」

 やがて口を開いた彼女の言葉に、僕は首をかしげる。

あかざわさんは昨日ここでわたしと会ったことを誰かに話そうとは思わなかったのですか? い、いえ、言いふらすと思っていたわけではなくて、どうしてかなと……」

 ぞえが声を絞り出すようにして投げかけた問いは、後半言い訳のようなものを追加して次第に不明瞭になっていった。

 それは僕にとって奇妙なものだった。どこから「それです」につながったのだろうか。

「僕がぞえと会ったこと?」

「……はい」

 彼女はうなずく。

「それは誰かに話すほど特別なことか?」

刊行シリーズ

孤独な深窓の令嬢はギャルの夢を見るかの書影