このあたりは桜ノ塚高校まで歩いて行ける距離ではあるが、学校をはさんで最寄り駅とは反対方向になるため、この付近で知り合いと会うことはほとんどない。だが、一般的に学校の外でクラスメイトを見かけるというイベント自体はさほど珍しいものではない。もちろん、野添は人気ものだから、コンビニでばったり会えば自慢できるかもしれない。だけど、残念ながら僕はそういう価値観をもっていなかった。
「言ったほうがよかったのか?」
「ち、ちがいますっ」
野添は慌てて否定する。
「わたし、あのときこの恰好だったんですよ」
それからシャツの肩のあたりを指で摘まんでみせた。
「似合ってるんじゃないか」
「え?」
きょとんとする野添。
そこで僕はようやくピンときた。
「もしかして野添がそういう恰好をしていたことを誰かに話せばよかったのか? まぁ、確かに似合ってるからな」
「そ、それもちがうようなちがわないような……」
たぶんちがっていたようだ。野添の声が尻すぼみに不明瞭になっていく。
「悪い。わかるように話してくれないか。僕はあまり察しがよくないみたいだ」
普段話が合う連中としか接していないせいか、こういうところでコミュニケーション能力の低さが露呈する。
「わたしはこんなファッションはしないと思われています」
野添は懇切丁寧に説明するように切り出した。
なるほど。それだけ聞けば僕にも話が見えてきた。深窓の令嬢然とした野添がそのイメージにそぐわないファッションに身を包んでいれば、それは確かにセンセーショナルな情報だろう。珍しいものを見たと話のネタにされてもおかしくはない。だから野添は怖れた。自分のことがクラス中の話題になっているかもしれないと。その結果が、教室の前で青い顔をして中に入るのを躊躇っていた今朝の姿なのだ。
「所詮はファッションの話だよ」
「え?」
僕があっさりと言ってのけると、野添は目をぱちくりさせた。「学校を離れた野添がどんな奇抜な恰好をしていても僕には関係がないし、ましてや奇抜でも何でもない普通の恰好をしているなら、尚のこと誰かに話す理由がない」
そもそも僕が話をする相手なんて片手で数えられるほどだが。
「普通、ですか? これが……」
野添はあらためて自分の恰好を見て──それから自信がなさそうに僕を上目遣いに見た。
「普通だろ」
何度聞かれても、僕はそれ以外の答えをもっていない。
ギャル系ファッションはとっくにひとつのジャンルだ。市民権を得ている。何なら学校の制服をそれっぽくすることだってできる。
「あ、赤沢さん、ちょっと、ちょっとだけ待っててくださいね」
野添は慌てたようにそう言うと、ここから動くなとばかりに両手で僕を制しながら席を立ち、この場を離れた。小さなレジ袋だけがそこに残される。
いったいどこに行くのかと彼女を目で追えば、野添は雑誌コーナーで何やら物色しはじめた。やがて一冊の雑誌を手に取ると、こちらに戻ってこようとして──足を止めた。わずかに逡巡。それから直角に折れ曲がると、今度はレジへと足を向けたのだった。
「これ、なんですけど」
程なくして戻ってきた彼女が広げたのは一冊のファッション雑誌だった。
どうやらこれを僕に見せたかったが、立ち読みなら兎も角、さすがにイートインで座って読むのは論外と思ったのだろう。ちゃんと購入してから持ってきたようだ。
野添が広げて見せたのはギャル系ファッションのページだ。派手な服とメイクでポーズをキメたモデルたちがページを色鮮やかに飾っている。制服をベースにしたものもあった。
「わたし、こういう恰好が好きなんです。服もいっぱい持ってます。ほら、これとか」
と、野添は写真の一枚を指さすが、やたらと体を寄せてくるものだから僕としてはそれどころではなかった。知ってほしい一心なのか、それともただ単にパーソナルスペースに無頓着なのか。
僕は努めて野添を意識しないようにして数ページある特集記事を流し読みしていると、そのうちに彼女が離れた。
「まだ近所ばかりで、遠くには行けてないのですが……」
野添は恥ずかしそうにそう付け加える。
普段の自分との乖離が理由で好きな服を着るのを躊躇っているのなら、人目が多いところに出ていけないのも当然か。
「別にいいんじゃないか。野添がどこでどんな服を着ようがさ」
「で、でも──」
「さっきも言ったけど、所詮はファッションの話だよ」
納得がいかない様子でまだ何か言葉を重ねようとする野添の発音を僕は遮った。雑誌を閉じ、彼女の前に滑らせる。カイザルのものはカイザルに。野添のものは野添に。
「だから野添が好きな服を着るのは決定的に正しいし、周囲が抱くイメージに振り回されて好きな服を着ないのは決定的に正しくない」
そう言いきる。
「これは誰でもない野添自身の話だろ。自分で決めないと」
そして、最後にそう結論し、僕は立ち上がった。
「まぁ、野添は人気ものだから立場があるのかもしれないけどさ。……じゃあ、僕はこれで」
「あ……」
野添の小さな発音。
僕はそれを聞こえなかったことにして売り場に向かった。夕食として食べるためミートソースパスタをひとつ買う。
それを持って店を出ようとしたときだった。
「あ、あの……」
野添がまた声をかけてきた。イートインから飛び出してきて、僕の前に立ちふさがるようなかたちになる。
「わたし、この姿でまだ誰にもわたしだと気づかれたことがありません」
「そうなんだ」
この服装は先ほども言ったように、普段の野添瑞希のイメージからかけ離れている。加えて濃いめのメイクもしているので、彼女と結びつかないものも多そうだ。
「どうして赤沢さんは昨日、わたしだと気づいたんですか?」
「どうして、か……」
僕は鸚鵡返しに発音する。
そうやってあらためて問われると難しい質問だ。
「だからさ、ファッションなんだって」
少し考えてから、僕はそう答える。この台詞、今日何度目だろうか。
「ファッションって人を覆い隠すものじゃなくて、人が着るものだろ? 昨日ここで野添を見たとき、まずは服が目についた。センスがいいと思った。それからどんな子が着てるんだろうと思って人を見たら、そこに野添がいた。……こんなところかな?」
そう言い終えた僕を見て、野添は啞然としていた。
どうやら伝わらなかったようだ。僕自身もそう思う。そもそも誰かを誰かと認識するプロセスを説明すること自体、意外に難易度が高い。普段当たり前のようにやっているのだから、それをわかるように説明しろと言われてもな。
「じゃあ」
「え? あ、はい……」
これ以上の説明を求められる前に、僕は野添を残し立ち去ることにした。