第1章 深窓の令嬢の夜の顔③

 このあたりは桜ノ塚高校まで歩いて行ける距離ではあるが、学校をはさんで最寄り駅とは反対方向になるため、この付近で知り合いと会うことはほとんどない。だが、一般的に学校の外でクラスメイトを見かけるというイベント自体はさほど珍しいものではない。もちろん、ぞえは人気ものだから、コンビニでばったり会えば自慢できるかもしれない。だけど、残念ながら僕はそういう価値観をもっていなかった。

「言ったほうがよかったのか?」

「ち、ちがいますっ」

 ぞえは慌てて否定する。

「わたし、あのときこの恰好だったんですよ」

 それからシャツの肩のあたりを指で摘まんでみせた。

「似合ってるんじゃないか」

「え?」

 きょとんとするぞえ

 そこで僕はようやくピンときた。

「もしかしてぞえがそういうかつこうをしていたことを誰かに話せばよかったのか? まぁ、確かに似合ってるからな」

「そ、それもちがうようなちがわないような……」

 たぶんちがっていたようだ。ぞえの声が尻すぼみに不明瞭になっていく。

「悪い。わかるように話してくれないか。僕はあまり察しがよくないみたいだ」

 普段話が合う連中としか接していないせいか、こういうところでコミュニケーション能力の低さが露呈する。

「わたしはこんなファッションはしないと思われています」

 ぞえは懇切丁寧に説明するように切り出した。

 なるほど。それだけ聞けば僕にも話が見えてきた。深窓の令嬢然としたぞえがそのイメージにそぐわないファッションに身を包んでいれば、それは確かにセンセーショナルな情報だろう。珍しいものを見たと話のネタにされてもおかしくはない。だからぞえおそれた。自分のことがクラス中の話題になっているかもしれないと。その結果が、教室の前で青い顔をして中に入るのを躊躇ためらっていた今朝の姿なのだ。

「所詮はファッションの話だよ」

「え?」

 僕があっさりと言ってのけると、ぞえは目をぱちくりさせた。「学校を離れたぞえがどんな奇抜なかつこうをしていても僕には関係がないし、ましてや奇抜でも何でもない普通のかつこうをしているなら、なおのこと誰かに話す理由がない」

 そもそも僕が話をする相手なんて片手で数えられるほどだが。

「普通、ですか? これが……」

 ぞえはあらためて自分のかつこうを見て──それから自信がなさそうに僕を上目遣いに見た。

「普通だろ」

 何度聞かれても、僕はそれ以外の答えをもっていない。

 ギャル系ファッションはとっくにひとつのジャンルだ。市民権を得ている。何なら学校の制服をそれっぽくすることだってできる。

「あ、あかざわさん、ちょっと、ちょっとだけ待っててくださいね」

 ぞえは慌てたようにそう言うと、ここから動くなとばかりに両手で僕を制しながら席を立ち、この場を離れた。小さなレジ袋だけがそこに残される。

 いったいどこに行くのかと彼女を目で追えば、ぞえは雑誌コーナーで何やら物色しはじめた。やがて一冊の雑誌を手に取ると、こちらに戻ってこようとして──足を止めた。わずかにしゆんじゆん。それから直角に折れ曲がると、今度はレジへと足を向けたのだった。

「これ、なんですけど」

 程なくして戻ってきた彼女が広げたのは一冊のファッション雑誌だった。

 どうやらこれを僕に見せたかったが、立ち読みならかく、さすがにイートインで座って読むのは論外と思ったのだろう。ちゃんと購入してから持ってきたようだ。

 ぞえが広げて見せたのはギャル系ファッションのページだ。派手な服とメイクでポーズをキメたモデルたちがページを色鮮やかに飾っている。制服をベースにしたものもあった。

「わたし、こういうかつこうが好きなんです。服もいっぱい持ってます。ほら、これとか」

 と、ぞえは写真の一枚を指さすが、やたらと体を寄せてくるものだから僕としてはそれどころではなかった。知ってほしい一心なのか、それともただ単にパーソナルスペースに無頓着なのか。

 僕は努めてぞえを意識しないようにして数ページある特集記事を流し読みしていると、そのうちに彼女が離れた。

「まだ近所ばかりで、遠くには行けてないのですが……」

 ぞえは恥ずかしそうにそう付け加える。

 普段の自分とのかいが理由で好きな服を着るのを躊躇ためらっているのなら、人目が多いところに出ていけないのも当然か。

「別にいいんじゃないか。ぞえがどこでどんな服を着ようがさ」

「で、でも──」

「さっきも言ったけど、所詮はファッションの話だよ」

 納得がいかない様子でまだ何か言葉を重ねようとするぞえの発音を僕は遮った。雑誌を閉じ、彼女の前に滑らせる。カイザルのものはカイザルに。ぞえのものはぞえに。

「だからぞえが好きな服を着るのは決定的に正しいし、周囲が抱くイメージに振り回されて好きな服を着ないのは決定的に正しくない」

 そう言いきる。

「これは誰でもないぞえ自身の話だろ。自分で決めないと」

 そして、最後にそう結論し、僕は立ち上がった。

「まぁ、ぞえは人気ものだから立場があるのかもしれないけどさ。……じゃあ、僕はこれで」

「あ……」

 ぞえの小さな発音。

 僕はそれを聞こえなかったことにして売り場に向かった。夕食として食べるためミートソースパスタをひとつ買う。

 それを持って店を出ようとしたときだった。

「あ、あの……」

 ぞえがまた声をかけてきた。イートインから飛び出してきて、僕の前に立ちふさがるようなかたちになる。

「わたし、この姿でまだ誰にもわたしだと気づかれたことがありません」

「そうなんだ」

 この服装は先ほども言ったように、普段のぞえみずのイメージからかけ離れている。加えて濃いめのメイクもしているので、彼女と結びつかないものも多そうだ。

「どうしてあかざわさんは昨日、わたしだと気づいたんですか?」

「どうして、か……」

 僕はおうがえしに発音する。

 そうやってあらためて問われると難しい質問だ。

「だからさ、ファッションなんだって」

 少し考えてから、僕はそう答える。この台詞せりふ、今日何度目だろうか。

「ファッションって人を覆い隠すものじゃなくて、人が着るものだろ? 昨日ここでぞえを見たとき、まずは服が目についた。センスがいいと思った。それからどんな子が着てるんだろうと思って人を見たら、そこにぞえがいた。……こんなところかな?」

 そう言い終えた僕を見て、ぞえぜんとしていた。

 どうやら伝わらなかったようだ。僕自身もそう思う。そもそも誰かを誰かと認識するプロセスを説明すること自体、意外に難易度が高い。普段当たり前のようにやっているのだから、それをわかるように説明しろと言われてもな。

「じゃあ」

「え? あ、はい……」

 これ以上の説明を求められる前に、僕はぞえを残し立ち去ることにした。

刊行シリーズ

孤独な深窓の令嬢はギャルの夢を見るかの書影