#1 透明感アンチの町野さん

 教室の床にドミノを並べる手を止め、ふっと窓の外を見た。

 六時間目が終わったところで、下校に部活にと、学校はいまが一番にぎやかしい。

 それとは逆に校庭の隅の一本桜には、花びらがほとんどなかった。

 四月半ばのさびしげなたたずまいに、僕は自分を重ねあわせる──。


「いやいや、さびしくないよ! ドミノはひとりでも楽しいし」


 しんと静まりかえった空き教室に、思ったよりもひとりごとが響いた。

 ここは僕が創設したドミノ部の部室で、部員はいまのところ僕しかいない。

 別に孤高を気取っているわけではなく、同じ一年一組の何人かに声はかけた。

 しかしドミノは人気がないようで、


「見学? あーっ……時間があるとき、行けたら行くかも……しれません」


 そんな風に距離を感じる敬語で、社交辞令を返されるばかり。


「ドミノみたいなマイナー趣味がバズるには、もう四コマ雑誌で女子がゆるゆると遊ぶ連載を待つしかないのかな……」


 いっそ僕が描いてみようかと考えていると、ふいに部室の引き戸が開いた。


「こんちくわ!」


 制服のスカートにジャージを羽織った女子生徒が、入り口に立っている。

 ポニーテールが似あう顔立ちで、口にはなぜか「ちくわ」をくわえていた。


「『ちくわ越しの空気、おいすぃー』とか言いそうな人きた」


 思わず心の声を漏らすと、女子が口からちくわをはずす。


「ちくわ越しの空気、おいすぃー!」

「本当に言った!」


 サービス精神旺盛な女子が、ふふんと笑ってちくわをかじった。


「こんちくわ!」

「えっと……これ僕が『こんちくわ!』を返すまで続くやつです?」

「ううん、単なるキャラづけ。わたし、見た目にインパクトないから」


 女子のスカートからのぞく脚は、しなやかに引き締まっている。

 斜めがけにしたスポーツバッグも、いかにも運動部所属という感じ。

 なによりその全力の笑顔は、スポドリのCMみたいに端整で潑剌としていた。


「そんな『無課金アバターが唯一持ってるイベント配布の装備つけてきた』みたいなことしなくても、町野さんは十分にキャラ立ってると思うよ」

「お。わたしのこと、知ってるんだ?」

「そりゃあ町野さんは、クラスの人気者だもの」


 中学時代は県大会にも出場した、水泳部のエリート。

 声が大きく、いつも元気で、誰もが「おはよう」と声をかけたくなる。

 主人公でも運動部系ヒロインでも、どっちでもいけそうな人材が町野さんだ。


「わたしも、きみを知ってるよ。『二軍落ちする二反田』くん」


 僕は「うっ」とうめいて、胸を押さえた。

 一週間前、入学式が終わって最初のホームルーム。

 僕たちのクラス担任は、生徒に席を立っての自己紹介を強いるタイプだった。

 自分の番が回ってきたとき、僕は立ち上がってこう言った。


『二反田です。中学時代は「やがて二軍落ちする初期メンバーの弓使いみたいな顔」って言われてました』


 自分的には「軽おもしろ」くらいの、つきあいやすさを演出したつもりだった。


「あの自己紹介は盛大にすべったねえ。二反田は『普段は目立たないけど、たまにぼそっと面白いです』ってキャラを狙ったんだろうけど、みんなはこなす感じの流れだったから、意図せず『かましたった』感が出ちゃって」


 町野さんが、くっくと笑う。

 そう。ドミノ部に入部希望者がいないのは、ドミノのせいじゃない。

 僕が不本意ながら「高校デビューに失敗した人」という、軽めの腫れ物になったからだ。


「完璧な分析に頭を垂れるけど、もうちょっと手心を……」

「うーん……うちのクラスってライトな感じだから、ちょっとネタがコアだったかも? でもワードはよかったし、爪痕は残せたと思うよ?(笑)」

「やめて……そういう『M︲1のときだけお笑い評論をするタイムラインの一般人』みたいなコメントが、寝る前に一番『うわあああっ!』てなるから……」


 町野さんがうれしそうに、口を「ω」の形にした。


「二反田はいま、『いきなりきてボケ始めるし、テクいすべりいじりをしてくれるし、なんだこの子かわいいな!』って思ってる?」

「その地雷系女子みたいな思考回路は置いといて、実際なにしにきたんでしょうか」


 かたや高校デビュー失敗系の、ぼっち文化部男子。

 かたやクラスでも一軍に籍を置く、カリスマ主人公系の運動部女子。

 お互いの立場をあらためて考えると、どうしても言葉の端に服従が出てしまう。


「なにしにきたって聞かれたら……見学?」

「ドミノに興味がおありで?」

「んー……『ハット』と同じくらい?」

「ピザの話してる?」

「冗談だってば。でも見学させてくれたら、ドミノにも興味を持つかもよ?」

「『にも』?」


 待ってましたというように、町野さんがにやりと笑った。


「わたしが興味あるのは、二反田ってこと」

「僕に……? あっ、まさか──」


 急いで廊下に出て、スマホを構えた人間がいないかを探す。


「こんな早い段階で、ドッキリを疑うリアクションとか!」


 部室に戻ると、町野さんがけたけた笑っていた。


「だって……オタクに優しいギャルはいるけど、文化部男子に優しい運動部女子なんているわけがないし……」

「ひどい偏見」


 町野さんが、片側だけ頰をふくらませる。


「ご、ごめんなさい」

「オタクに優しいギャルなんていないよ」

「そっち?」

「いま世間は『オタクに優しくすると勘違いして好きになられる』と警戒する風潮で、ギャルはもちろん誰もオタクには優しくしないようです」

「ニュースみたいに淡々と言われると、殺傷力が高い……ね……」


 町野さんが口を「ω」の形にして、ふふんと笑った。


「でもわたしが二反田に興味あるのは本当。あの自己紹介、わたしは面白かったし」

「体育会系の人にハマるとは思えないけど」

「それは本当に偏見。ここだけの話、運動部の女子って十割オタクだよ」

「意外なデータと見せかけた大噓!」

「ともかく二反田は面白いよ。もっと自信持って。わたしは十割笑うから」

「大噓の上塗り!」

「二反田が自己紹介したときも、『寒っ』とかボソついて、自分はなにも面白いこと言えないくせに二反田よりも一段上にいるつもりの人がいたけど──」

「『寒っ』って言われてたんだ……」


 さらりと傷口に塩を塗られ、鼻の奥がツンとなる。


「そういう人より、これから三年も続く高校生活のプロローグですべり散らかす勇気を持った二反田のほうが、百倍かっこいいよ(陽キャ特有の無邪気な笑顔)」

「町野さん……って、ならないよ! 『かっこ陽キャ特有の無邪気な笑顔』って口で説明した時点で、邪気が立ちのぼってるよ!」

「そう? 笑顔はほめられるんだけどなー。じゃあ二反田は、どういう子がタイプ?」

「たっ……」


 町野さんは、ボケの前振りとして聞いたのだと思う。なのに言葉に詰まってしまった自分のリアルなリアクションが恥ずかしい。


「待って、二反田。当ててあげる。あれでしょ? 『鼻につく系』でしょ?」

「鼻につく系?」

「特になんとも思っていなかった女の子の、鼻の頭に桜の花びらがくっついた瞬間に恋に落ちる、みたいなセンスが鼻につくやつ」

「好きだけど、言いかた! 鼻で笑う感じ出てる!」

「男の子って好きだよねー。白ワンピースに麦わら帽子とか、水筒に紅茶を詰めてピクニックとか。わたしみたいな運動部女子とは真逆の、透明感ドヤァな女の子」

「透明感のアンチって初めて見たよ」

「残念だね、二反田。もう桜が散っちゃって」


 町野さんの口元が、ほむっと「ω」の形になった。


「そのアヒル口失敗みたいな笑いかた、クラスではしないよね」


 ずっとからかわれっぱなしなので、僕は一矢報いようと試みる。

 すると町野さんは「ω」の口のまま赤くなり、慌てたようにスマホを取りだした。


「もうこんな時間。わたし、部活いくね」

「あ、うん……」


 なぜか少し切ない気持ちで、僕は手を上げる。

 結局のところ、町野さんは部活が始まるまでの時間つぶしにきただけだろうか。

 それとも自己紹介ですべり散らかした孤独な僕を、憐れんでくれたのだろうか。


「二反田。わたし、またきてもいい? 『もちろん』。ありがと。じゃね」

「いや言ってないよ! ……いいけど」


 町野さんが、本当に無邪気な笑顔でくるりとターンした。

 するとポニーテールがふわりと揺れ、うなじに張りついていたなにかが見える。


「桜の、花びら……」


 僕は啞然として、手からドミノ牌を落とした。

 パタパタと小気味よい音を立てて、床に並べたドミノが倒れ始める。

 あの花びらは町野さんが用意したボケで、僕のツッコミ待ちなのだろうか。

 あるいはそれはささやかな奇跡で、僕は恋に落ちるべきなのだろうか。


 立ちつくす僕の足元で、倒れたドミノが一本桜を咲かせていた。