#2 承認よっきゅりたい町野さん

 この間まで中学生だった僕たちも、高校生の自覚を持ち始める四月の二週目。


「ふわぁ……」


 春の陽射しが差しこむ空き教室で、僕はあくびをひとつする。

 放課後の喧噪から離れた部室で、部員は僕以外に誰もいない。

 活動内容も床にドミノを並べるだけだから、緊張感なんて持ちようがない。

 そんな怠惰なぼっちに活を入れるかのように、部室の引き戸がガラリと開いた。


「もの申したい! 高校生が無限に見続けるあのアプリにもの申したいよ、二反田!」


 現れたのは、制服のスカートにジャージを羽織ったポニーテールの女子生徒。

 いつもは笑っているけれど、今日は腕組みをしてなにやら不機嫌だ。


「いらっしゃい。町野さんはショート動画がきらいなの?」


 町野さんは水泳部に所属していて、クラスでも一軍のポジションにいる。

 そんな人が、ぼっち文化部の僕を頻繁に訪ねてくる理由はよくわからない。


「『見るのはいいけど撮られるのはいや』って、人類の九十九割が思ってるでしょ」

「過言すぎない?」

「だから部活も遅く行くのに、最近は教室でも撮ってる子が多くて……くぅ!」


 町野さんの両目が、不等号を線対称に並べた形で閉じられる。


「まあ僕は撮られたことないけど、町野さんは人気者だもんね」


 体育会系らしいキレッキレの動きで、くっきりした目鼻立ちの笑顔。教室に輪ができているときは、たいていその中心で町野さんがスマホを向けられている。


「わたしはいいんだよ。踊るの好きだし。でもなんていうか、全世界に発信なのに、みんなのああいう感じがモヤっと。ほら、わかる? 主にベニちゃんが撮られてて。ギャルちゃんたちも悪い子じゃないんだけど、みんな好きなんだけど」


 うちのクラスには、雪出紅さんという美少女がいる。

 お母さんが北欧出身らしく、金髪碧眼で色白で小柄。

 ただ性格は極めて内気らしく、町野さんの陰に隠れている姿をよく見かけた。


「わかるよ。デジタルタトゥーのリスクを自覚している人同士が撮ってアップするのは問題ないけれど、スマホを持ってない、界隈の風潮に詳しくない、そういう人だってそれなりにいるのに、コミュニケーション力の高さからくる無自覚な同調圧力で、無自覚な承認欲求の踏み台にされる感じは、僕も苦手かな」

「おー。二反田、言語化うまいね。講釈垂れの達人」

「素直に喜べない形容」

「喜んでいいよ。内容むずかしくて入ってこなかったけど、気持ちが軽くなったし」


 町野さんは機嫌よさそうに、口を「ω」の形にした。


「ならよかった。でも共感じゃ問題は解決しないよ」

「なんでもかんでもは解決できないよ。雨が降りだしたら屋根の下で雨宿りをする。いったん服を乾かせば、また雨の中を走っていける。人生はそうやってしのいでいくものだって、うちのお父さんがメイドカフェで言ってた、ってお母さんが言ってた」

「ラスト一行で、たたみかけるどんでん返し!」

「でもほんと、二反田って達観してるよね」

「そ、そんなことないよ。人生一周目だし……」


 慣れないほめ言葉に、僕はもじもじしてしまう。


「そのくせ斜に構えてないし、チクチク言葉も言わない。珍しいタイプの陰キャかも」

「気持ちよくなってるところに、どストレートの悪口!」

「わたしも陰キャ、っていうかオタクだよー。マンガとか読むし。海賊? のやつとか」

「僕に話をあわせようとしてくれた美容師さんみたいなフォローやめて」

「乾いた笑いでしか返せない、引きつった二反田が目に浮かぶよ」

「地獄みたいな空気だったね……」

「じゃあさ、二反田。ふたりでショート動画撮ろっか」

「なんで」

「二反田も踊ってみたら明るくなって、美容師さんと話が弾むかもよ」

「ソリューションがパリピすぎる」

「大丈夫。恥ずかしいのは最初だけ。そのうち撮られることが快感になるからって、お父さんが野良猫に話しかけてた、ってお母さんが言ってた」

「お父さんのやばさに隠れてるけど、お母さんもまあまあ怖い!」

「ねぇ〜え! 動画撮ろうよー。一緒に踊ろうよー。ネットには上げないからー」


 陰キャを自称したくせに、町野さんのこういうところはやっぱり陽だと思う。


「無理です」

「は? この流れで拒否るとかありえんくない? 空気読めし。承認よっきゅらせろし」


 ミイラ取りがミイラになったのを悲しみつつも、僕は言い訳を思いついた。


「というか僕も、普段からダンス動画を撮ってるんだ」

「それ、ちくわを人質に取られても同じうそがつける?」


 町野さんが、あやしむ半目で僕を見る。


「人を選ぶ脅迫……さておき、踊ってるのは僕じゃなくてドミノなんだ」


 僕は自分のスマホを取りだし、動画配信サイトのマイページを見せた。


「え、すご。めっちゃ地味」


 サムネを見てわかる通り、ドミノが倒れる動画しかない。登録者数も微々たるもの。

 けれど言葉が必要ないコンテンツだから、再生数はそこそこ回っている。


「地味でいいんだ。僕の研究発表みたいなものだから」

「なるほどですね! なおさらショートでメインチャンネルに誘導しないとですね! 最近の登録者数上位は、ほぼほぼショートの人ですしね! 踊るしかないですね!」

「あやしい動画コンサル風に説得されても、いやです」


 町野さんがふむと腕組みをして考え、やがて頭上に電球が灯ったような顔になり、ぺろりと唇を舐めながら、妖艶な表情で僕に近づいてきた。


「それじゃあいまから、お耳掃除しますね……カリカリ……カリカリ……踊ろ♥」

「オタクはこういうの好きでしょとばかりに、耳元でささやかれても──」

「シャンプーしますね……シャカシャカ……シャカシャカ……踊ろ♥」

「僕は屈しない……僕は……」

「はい、シャンプー終わりでーす。移動お願いしまーす。雑誌とか読みますー? あー、わたしもけっこうオタクですよー。海賊? のマンガとか見ますしー」

「天国から地獄!」

「もう! なんで二反田、踊ってくれないの!」


 町野さんが、片頰だけを膨らませてむっとする。


「逆に町野さんは、なんで僕と踊りたいの」

「理由なんてないよ! 二反田と、おーどーりーたーいー!」


 そんな風にかわいく駄々をこねられて、僕は屈した。


「……わかりました。言っておくけど、僕は運動神経に自信ないからね」


 結局のところ、女子のおねだりはベーシックなのが一番強い。


「大丈夫。女の子がキレッキレで踊って、男の子がぼーっと立ってて、要所要所で一緒のフリで踊る、みたいなやつあるから」


 こうして僕は、半ば強引にダンスを教わることになった。


「どう、二反田」


 部室の壁際にふたりで並んで座り、いま撮影した動画を視聴していた。


「町野さんがプロみたいな動き。笑顔が噴水広場の子どもみたいに満面」

「休み時間とか、けっこう練習してるからね。二反田自身は?」

「自分が思ってた以上に、僕は無表情なんだなって」

「でも味があってよくない? いままで見た動画で一番好きかも。わたしにも送って」


 町野さんがすこぶる機嫌よさそうに、口を「ω」の形にする。

 黒歴史はいますぐに抹消したいけれど、どうも僕はこの口に弱い。


「……送りました」

「うれしいね。こうやって思い出を共有できるの」


 記憶だけで十分と考えるのは、僕が町野さんと違う側だからだろうか。


「まあ町野さんが楽しかったなら、体を張ったかいはあるかも」

「うわ、もうこんな時間。わたし、部活いくね!」


 町野さんが急いで立ち上がり、きたときよりも笑顔で去っていった。

 取り残された僕は、そのままぼんやりと動画を見る。


「たしかになんか、ずっと見ちゃうな……ほかの人のもそうなのかな」


 ふと思いついて検索してみたところ、僕の頰が徐々に熱を持つ。


「これ……踊ってるのカップルばっかりだ……」


 町野さん、これもツッコミ待ちなのですか。

 あるいは気づいたら自分も恥ずかしくなる、ナチュラルなボケなのですか。


 自分と真逆の町野さんが考えることは、本当によくわからない。