続・ツッコミ待ちの町野さん
#32 ログボを授ける町野さん
駅の改札を出ると、真新しい制服を着た学生がたくさんいた。
「え、待って」と「え、やば」だけで会話ができる、一軍候補の「え」系女子。
新生活への不安しかない、きょろきょろと辺りを見回す「アッ……」系男子。
朝の通学路を進むにつれ、そんな一年生たちが増えていく。
「新学期だね。みんな自己紹介には気をつけて」
歩きながらつぶやく僕も、去年は「平凡を装っているけど周囲から見ると明らかに浮いている」系男子だった。通学路でひとりごとを言う時点で、お察しだと思う。
そんな僕も、どうやら今日から二年生。
去年はなんやかんやあって友だちができたけれど、今年はどうなるかわからない。
なにしろ「なんやかんや」の十割が、ひとりのクラスメイトに依存していたから。
「おはよ、二反田」
声に振り返ると、頬にむぎゅっと指がめりこむ。
「おはよう、町野さん。二年になっても『指ほっぺ』やるんだね」
「ログインボーナスみたいで、いいでしょ?」
無邪気に笑うポニーテールの女子は、去年同じクラスだった町野さん。
町野さんは水泳部に所属していて、陽キャで、一軍で、面倒見がよく、顔がいい。
背景モブとして描かれそうな僕とは違い、タイトルに「アオ」とか「ブルー」とか入るようなマンガでも主人公を張れると思う。
「ボーナスなのかな。なにももらってないけど」
「あげてるよ。『思い出』を」
町野さんが、にひっと意味ありげに笑う。
僕が大人になって高校生活を振り返ったら、たしかに町野さんのことを思い出すだろう。
というか、徹頭徹尾町野さんだらけだ。
そう断言できるくらい、去年の僕たちは同じ時間をすごしてきた。
「そういえば、通学路で町野さんと会うの初めてだね」
町野さんは学校から徒歩一分の家に住んでいるので、こんなにゆっくり登校は珍しい。
「新しいクラスが楽しみでねー」
「僕は不安でいっぱいです」
去年は入学早々の自己紹介ですべってしまい、クラスで軽く浮いていた。
所属するドミノ部も「ひとり部活」で、誰とも話さず一週間がすぎた。
そんな僕をあわれんだのか、同じクラスの町野さんが部室を訪ねてきてくれた。
町野さんは陽キャなのに笑いのセンスがラジオリスナーじみていて、部活に行くまでのわずかな時間でボケにボケ倒す。
僕がラジオリスナーみたいな言語野でツッコむと、とても機嫌よさそうに口を「ω」の形にしてプールへと向かう。
そんな日々を繰り返すうち、僕はいつの間にかぼっちでなくなっていた。
球技大会の打ち上げに誘われ、テスト終わりに友人とマックへ寄り、挙げ句の果てには男女で花火大会へ参加して、文化祭では仲間と一緒にステージに上がった。
去年の僕が社会性を獲得できた――もっと言えば、人並み以上の青春をすごせたのは、町野さんのおかげだ。今年のクラス分けは当然気になる。
「不安なの? 別々のクラスでも、二反田とは部室でおしゃべりできるよ?」
「それはそうだけど……」
僕はたぶん、自転車の友だちに走ってついていく小学生のような顔をしていたのだろう。
それを察知した町野さんは、もう少し高校生らしくたとえた。
「あーね。クラス違っちゃうと、遠距離恋愛みたいになるよね」
「ニュアンスはあってるけど、『共通の話題が減る』くらいに留めてください」
通学路には、たくさんの同級生もいるわけで。
「『まーくん、一週間未読無視はひどいよー』」
「なんか始まった」
「『まさか、まーくん……浮気してる? 笑』」
「遠距離恋愛で不安ながらも、明るく振る舞う女の子のLINE?」
「『悪い』『寝てた』『俺一週間くらい普通に寝るし』」
「まーくん真っ黒だこれ」
「『一週間も? シマリスの冬眠サイクルみたい 笑』」
「健気を装って、動物雑学で興味を引こうとしてる……」
「『不安にさせてごめんリス』」
「まーくん、お茶目で空気を変えてきた。プロ彼氏だ」
「『ごめんね、まーくん。いままで毎日クラスで顔を見てたから、部室だけだと遠距離恋愛が不安で。わたしのこと、ウザくなっちゃった? 笑』」
「ちょっと待って、このコント……」
「『俺が悪かった。いまニタ子の不安を解消してやるよ』」
ふいに僕のスマホが震えた。
「町野さんからLINEきてる……『今年も同じクラスだよ、ニタ子』」
「わたし家近いからさー。クラス表、もう見ちゃったんだよね。ちなベニちゃんも、イオちゃんも、八木ちゃんも、リョーマも同じクラスだよ」
そう聞いて胸をなで下ろすと同時に、無性に恥ずかしくなってきた。
「僕、あんなすがるような空気出してた……?」
「『ウノ』って言ってないことにされた人が、『言ったよね?』って隣の人を見る感じ」
「まあまあ出してたね……」
「ま、今日はみんな不安だよ。わたしもそれで、三分早く起きちゃったし」
「誤差の範囲」
「あ、パピちゃんだ。二反田、またあとでね」
町野さんが友だちを見つけて、校門の向こうへ走っていく。
左右に揺れるポニーテールを見ながら、僕は「あとで」の喜びをゆっくり噛みしめた。
新しい教室に入ると、見知った顔の多さに驚く。
「よ、二反田。代わり映えしないメンツだな!」
去年も同じクラスだった八木が、アフロじみた髪を揺らして笑う。
見た目も陽気で声も大きいけれど、八木は友人が少ないタイプなので馬があった。
「ほっとしたよ、八木。雪出さんも、また同じクラスだね」
八木の隣に立っていた、金髪碧眼の女子に声をかける。
雪出さんは北欧にルーツを持つ美少女で、言わば具現化した天使だ。
自称「性格はおとなしめでインパクトが弱い」ため、「コニチハ」的な誇張した外国人風のイントネーションでキャラ作りをしている――のだけれど。
「あ……ドモ」
言葉少なに会釈して、八木の背中に隠れる雪出さん。
あまりによそよそしい態度に、僕はひざから崩れ落ちそうになる。
「去年は一緒に花火を見たり、文化祭で協力したり、仲よくなったはずなのに……」
「あきらめろ、二反田。あーしもそうだった」
現れたのは、赤い髪の頭に黒マスクをした瞳の小さなヤンキー女子。
安楽寝さんは高校デビューを目論んだもののキャラづけをミスり、しばらくぼっちですごしている。いまでは僕の魂で共鳴できる仲間だ。
「安楽寝さんも、よろしく。雪出さん、どうしちゃったの?」
「雪出は、しばらく会わないと好感度リセットされるタイプだ」
「敬語キャラによくある現象……また一年かけて仲よくなるしかないね」
「ぼくもいるぞ、二反田くん」
安楽寝さんの横で、メガネをスチャっとする男子生徒。
「坂本くん、進級おめでとう。また一緒のクラスでうれしいよ」
いかにも賢そうなメガネなのに、坂本くんはドン引きするほど成績が悪い。
けれど優秀な安楽寝さんにつきまとうことで、赤点をいくつか減らせたようだ。
「それにしても、去年のクラスとほとんど変わらないね」
教室の前方を見ると、町野さんが一軍の女子たちとだでぃだでぃ踊っていた。その輪の中には、僕に義理チョコを恵んでくれたギャルのパピ子さんもいる。
後方を見れば、文化祭をきっかけに話すようになった目森さんと早川さんもいた。
もちろん新しい顔もいるけれど、担任の先生も含めてほぼほぼ変わっていない。
「日常ものの安心感だな」
八木の発言はメタ気味だけれど、的外れでもない気がする。
下手にテコ入れなんてしないで、いつもの日々を繰り返してほしい。
僕も含めてみんながそう祈ったから、誰かが聞き届けてくれたのだろう。
始業式が終わると、僕は部室に顔を出した。
当たり前だけど誰もいないし、ドミノもしまってあるので室内はがらんとしている。
「いい雰囲気のクラスだったな」
ゆっくり窓へ近づきながら、さっきまでのホームルームを思い返した。
一年のときの自己紹介は様子をうかがうようだったけれど、二年になるとみんな肩の力が抜けている。僕もすべらなかったし、安楽寝さんが空気を凍らせたりもしなかった。
「桜が満開だ」
校庭の隅を見ると、一本桜が見事に咲いている。
町野さんと出会ったのは桜の散り際だったので、しみじみと思い出深い。
あの花びら一枚をきっかけに、僕たちはこの部室で長い時間をすごすようになった。
ボケては返すの言葉尻。
恋も他愛もない会話。
言葉を交わす時間は短いのに、永遠に感じられたあの日々――。
「今日は『シーズン1のあらすじ+キャラおさらい回』で、明日からまたかけあい主体の日常が始まるんだろうな――ん?」
窓に貼りついていた桜の花びらが、映っている僕の顔と一緒に動いた。
もしやと自分の頬に触れてみると、花弁が一枚貼りついている。
「去年は町野さんのうなじに貼りついていた桜が、いまは僕の頬に……ハッ!」
今朝、町野さんはログインボーナスだと僕の頬に指をねじこんだ。
「あのとき町野さんが『あげてるよ。「思い出」を』って、二重かぎかっこで強調した感じを出してたのは、物理的に『思い出』をくれたってことなんだ……」
僕はなつかしい気持ちに浸って――じゃないよ!
「なんで誰も教えてくれなかったの!?」
クラスでも、けっこうな人数とおしゃべりしたのに!
「『ほっぺに桜の花びらついてるよ』なんて、恋が始まりそうだからじゃない?」
戸口を振り返ると、町野さんが笑いをこらえた顔で立っている。
「せっかく自己紹介を無難にこなせたのに、絶対変なやつだと思われてる……」
「ひそひそ。二反田くん、平凡を装ってるけど明らか浮いてるよね(笑)」
「うう……明日から、『恋の始まり待ちんだ』みたいなあだ名で呼ばれるんだ……またクラスで軽浮きしちゃうんだ……」
「ないない。二反田はもち肌でブルベだから、わたし以外は花びら気づいてないよ」
町野さんが、あははと笑い飛ばした。
「……本当に?」
「本当だよ、道明寺」
「花びらの塩漬けがくっついた、桜餅みたいなあだ名ついてる!」
「まあ響きがイケメンすぎるから、すぐにすたれるよ」
機嫌よさそうに、口を「ω」の形にする町野さん。
かくして僕たちの「日常」は、去年よりも少し早く始まったのだった。



