続・ツッコミ待ちの町野さん
#39 おなかに描かれる町野さん
インターホンを押そうとしたら、いきなりドアが開いた。
現れたのは、ショートパンツにTシャツ姿の町野さん。僕の腕を引っぱって家に引きずりこむと、ハンドガンを構えながら背中越しにのぞき穴を見る。
「ぼさっとするな、新人。やつらに尾行られてないか?」
こちらを向いた顔はいつも通りだけれど、今日は頭の左右に結んだ毛束がふたつある。
「だ、大丈夫です、町野同士。今日はツーサイドアップなんですね」
「女の子の髪型に詳しいの、二反田らしいね」
「最近の町野さん、『だいぶキモい』の代わりに『二反田らしい』って言ってない?」
「まあキモさはおあいこかな。わたしもドアの前で待ち構えてたし」
「レジスタンスのアジトにきた新人の設定、まだ続ける?」
「もう満足。上がって上がって」
お邪魔しますと、町野家の玄関を上がる。
今日はゴールデンウィークの最終日。なにか用があるとかではなく、シンプルに町野さんの家に遊びにきた。訪問は二度目だけれど、それなりに緊張している。
「今日うち誰もいないから、リビングで遊ぼ」
「へ、へー。ご両親は、祝日も仕事?」
動揺を見せまいと、適当に口を動かす。
「お母さんは秋葉原。お父さんは出張でシリコンバレー。だから親フラはないよ」
僕の心を見透かしたように、ニヤニヤしている町野さん。
「お、お母さんはメイド喫茶の店長って聞いたけど、お父さんはパソコン関係?」
前に挨拶させてもらったところ、小声で「あ……っス……」と返された。町野さんとは真逆の性格みたいで、僕はとても親しみを覚えている。
「うん。キーボードカタカタしながら、『よーし、いい子だ』とか言ってる」
「ハッカーだ……!」
「家でもパーカーのフードかぶってるし、部屋の電気もつけない」
「ハッカーだ……!」
「あとFBIから年賀状が届く」
「ハッカー……なのかな」
「とりあえず、ソファ座ってて。飲みもの取ってくる」
「あ、うん。おかまいなく」
というのも変かと思いつつ、三人掛けのソファに座る。
「麦茶でいい? ほかのがよかったら、ピザと一緒に頼も」
町野さんが戻ってきたので、スマホのアプリでピザを注文する。
それからしばらく、体を動かすフィットネス系のゲームや、寿司を食べ続けないと爆発して死ぬゲームをプレイした。
「一見バカゲーだけど、遊んでると熱くなるでしょ。BGMもいいし」
「うん。オフラインで人とゲームするの小学生以来だから、めちゃめちゃ楽しいです」
「でぃだんだ……」
「僕が我慢してるんだから、町野さんが泣かないで」
二枚のピザが届いたので、もぐもぐしつつミニゲーム集で対決を始める。
「二反田、スポーツ系も強いとかずるくない?」
「リアルのテニスや野球だったら、絶対かなわないけどね」
「くぅ……! あ、そうだ。罰ゲーム決めてなかった」
「いいの? 町野さん、負け越してるけど」
「主人公は追いこまれると覚醒するから。なんか恥ずかしいやつやろ」
ふふんと挑戦的な表情の町野さん。
「じゃあ古来からあるちょうどいい罰ゲーム、『顔に落書き』は?」
「うーん……顔の場合、家に帰るまでに盗撮されるよ」
「僕が負ける前提はともかく、ありえるね……」
「あ、おなかは? おなかに落書き」
ぼわっと炎が広がるみたいに、顔から胸から熱くなった。
「それは……勝っても負けても汗顔の至りです」
「じゃ、決定。わたし別に、おなか見られても平気だしー」
「僕に拒否権は!?」
「ないよね、そんなもの。これはゲームだから、命がけの」
「そういえばデスゲームだったっけ……落ち着こう。スコアは僕が有利だ」
「そうそう。まあ負けたところで、わたしノーダメージだしー」
余裕しゃくしゃくな町野さんを見て、僕の闘争心にも火がついた。
「見せてあげるよ、町野さん。ゲームしかしてこなかったぼっちの本気――そしてぼっちゆえに加減を知らない、本物の『罰』ってやつを……!」
かくしてダーツやエアホッケー、ダイスを使った運ゲーや、トランプの大富豪などで死闘を繰り広げた結果、勝利の女神は僕にぬるっと微笑んだ。
「ギギギ、ぐやじい……! 二反田、アニメだったら緑髪キャラのくせに……!」
「序盤で死ぬタイプね。でも僕は、序盤からエリクサー使える性格だから」
「……まあ、負けは負けだからね。はい」
町野さんが、いともあっさりTシャツの裾をめくり上げた。
「早い! 待って! 心の準備が!」
僕は慌てて顔をそむける。
「ここだけの話さー、本当は見せたかったんだよね。腹筋に自信あるから」
「体育会系の悪いとこ出てる! マッチョみんなすぐ脱ぐ!」
「ね。でも筋肉ほめられると、運動部はうれしいんだよ。普段は見てもらえない、普段のがんばりの結果だから」
トートロジーの一文が耳の奥でリフレインして、ゆっくりと腑に落ちた。
僕たちのような文化部は、文化祭で活動の成果を見てもらえる。
けれど運動部は大会を勝ち進まない限り、なにも見てもらえない。
グラウンドを使う野球やサッカーは練習風景を見られるけれど、水泳部にはそれもない。
「……そうだね。わかりました。ちゃんと見ます」
僕はゆっくりと顔を戻し、露出した腹部と向きあった。
「まず目につくのが腹筋の陰影。ともすればあばらが浮いているように見えるけれど、実際は盛り上がったシックスパックの影が立体感を作っているとわかる。いわゆる『くびれ』の部位もシルエットが鋭角で、ブロック体の『X』を彷彿とさせるね」
「わたしがほしかったの、こういう感想だったのかな……」
全力でほめているのに、町野さんは複雑な顔だった。
「全体として彫刻的な印象を受けるものの、おへそはかわいいです」
普通ならばセクハラだけれど、町野さんは「かわいい」を望んでいると踏んだ。
「えっへへー。うれしいなー。触っても、いいよ?」
この逆セクハラがくることも、しっかり想定できている。
「じゃあ準備するね」
きょとんとしている町野さんを尻目に、僕は窓辺に近づいた。
カーテンの向こうでひなたぼっこしていた猫を抱きかかえ、ソファに戻ってくる。
「二反田。なんで、おそば連れてきたの?」
「羞恥の感情って、目の数に比例して高まるんだよ。じゃ、触るね」
僕はフェルトペンのキャップをはずし、ペン先で町野さんのおなかに触れた。
「う……なんて書くの?」
「焦らないで。おそば、見てごらん。きみの飼い主は僕に負けて、いまからおなかに落書きされるよ。情けないね。忸怩たる思いだね」
おそばは「やんのかステップ」を踏みながら、町野さんを見上げている。
「くぅ……恥ずかしい……二反田のロボでなし!」
町野さんは涙目状態で、黒目はどこかへ消失していた。
「敗北の味はどう? おや、さすがの町野さんも恥辱に耐えかねているね。それじゃあ楽にしてあげよう。いまからおなかにこう書くよ。『わたしは約束したのに自室を掃除せず、両親がいないからリビングで遊ぼうとごまかした怠惰なJKです』ってね」
「それぜんぶ書くの!? ていうか……なんでわかったの?」
「掃除したら『ほめてほめて!』って、部屋を見せたがるのが町野さんだからね」
町野さんは悔しがりつつも、口を「ω」の形にして笑った。
「さっすが、わたし古参。もう好きなように描いて」
「いい覚悟。じゃあ遠慮なく」
僕は町野さんのおなかに、お寿司のイラストを描いた。
「うう……おそばが、めっちゃ見てる……」
「ほら、おそば。あれが敗北者のマグロ三種盛りだよ」
後ろ足二本でステップを踏んでいた猫が、ぺしっとおなかにジャブを打つ。
「んふっ」
くすぐったさに町野さんがうめき、僕たちはひーひーと笑った。



