続・ツッコミ待ちの町野さん

#57 僕と梅ジュースと町野さん

 ドミノを片づけて部室を出ると、空がまだ明るかった。

 日中に比べればましなものの、うだるような熱さに包まれ喉に渇きを覚える。


「お茶……う」


 スクバの水筒を取りだそうとして、僕は西日のまぶしさに目を細めた。

 瞬間、昔の記憶がよみがえってくる。


 子どもの頃、母が公園の自販機でジュースを買ってくれることになった。

 風邪をひいて病院で診てもらった帰りのことで、母は夏休みなのに遊べない僕をあわれんでくれたのだと思う。

 自販機を見上げて迷っていると、一本だけ金色に透き通ったペットボトルを見つけた。

 パッケージには「梅ジュース」と書かれている。

 いま思えばお茶と大差ない色だけど、西日のせいか僕にはキラキラと輝いて見えた。


「ナミちゃん。それ子どもには酸っぱいよ」


 ボタンを押そうとしたところで母に止められ、僕は珍しくむきになる。


「これがいい」


 風邪で迷惑をかけたこともあり、僕は強さを見せたかったのだと思う。ペットボトルの蓋も自分で開けられないくせに、自立心を証明したかった。

 母もそれ以上は引き留めなかったので、僕は梅ジュースのボタンを押した。

 蓋を開けてもらったペットボトルに口をつけ、勢いよく飲む。


「……んっ……!」


 吐きだしこそしなかったものの、甘ったるい酸味にむせかけた。

 でも意地で平然としてみせて、時間をかけて梅ジュースを飲み干す。

 おかげで辺りはすっかり暗くなっていた。

 自販機の光で青白く見えた母が、「ナミちゃんすごい」と笑ってくれたのを覚えている。


 文字通りに甘酸っぱい記憶を思いだすたび、僕は梅ジュースを買ってしまう。


「あそこのコンビニなら、置いてあるかも」


 僕は「買い物をしている姿を知人に見られたくない」という謎の自意識があるので、普段は学校近くの店は利用しない。

 でも夏休みのこの時間なら誰もいないだろうとフラグを立てたら、一瞬で回収された。

 コンビニの前に、町野さんがいる。

 夕陽に照らされた町野さんは、部活仲間の輪の中で楽しげに笑っている。

 僕は迷った。

 声をかければ僕と町野さんだけが会話をするターンが発生し、その場の全員に注目されることになる。言葉選びでワンミスも許されない。

 軽く手を挙げて通りすぎても、僕に気づいた部活仲間が「彼氏?w」と町野さんを冷やかす可能性がある。シンプルに迷惑だ。

 よし引き返そう――と思ったら、輪の中のひとりと目があった。

 いま背を向けるのはあまりに不自然で、余計に注目されてしまうだろう。

 もう町野さんに気づかないふりで、しれっと店に入るしかない。

 僕は気配を完全に消して、コンビニの自動ドアにたどりついた。

 ほっと胸をなで下ろして、冷蔵庫に向かう。

 目的の梅ジュースがあった。

 あとは棚の陰で時間を潰し、表の集団が解散したら店を出よう。

 そう思って外の様子を確認すると、ガラス壁にびっしりと部活女子が貼りついていた。

 僕が「うわあ!」と仰け反ると、こんどは耳元で声がする。


「なんで無視したの?」


 ひぃと喉を鳴らして振り返ると、貼りつけたような笑顔の町野さんがいた。


「それは……その……長くなるし、たぶん町野さんには理解できない感覚で……」

「『台パン』の反意語って、『床ぺろ』かな?」


 意味不明だけれど怖い言葉で、町野さんがにこにこ圧をかけてくる。


「えっと、リスク回避というか、気づかいというか――」


 僕はやむなくすべてを説明し、最終的には梅ジュースの思い出まで話した。


「めっちゃかわいいエピソード! わたしも飲みたい!」


 町野さんが冷蔵庫を開ける傍らで、僕は振り返って外を見る。


「誰もいない……なんだか申し訳ない気持ちです」

「気にしなくていいよ。解散するところだったし。それに二反田がいるの、先輩が教えてくれたんだよ。『宿敵来たれり』って」


 どうやらさっき目があった人が、噂の先輩さんだったらしい。


「うまく顔を思いだせないけど……むっとしてたような気がする」

「してたねー。近くにちっちゃい公園あるから、そこで飲も」


 僕たちは会計をすませ、町野さんの案内で児童公園へ向かった。


「ジャングルジム、なくなっちゃったなー」


 夕焼け空の下、ベンチに座った町野さんは少し眉を下げている。


「これだけ遊具があれば、がんばってるほうじゃないかな」


 どこにでもある児童公園だけれど、ブランコ、砂場、すべり台がそろっていた。

 僕の地元はニュータウンで、公園の数は多いものの東屋だけのところばかりだ。


「あの砂場で形にした、たくさんのメモリー」

「J-POPの歌詞みたいに、泥団子の話してる?」

「傷つけあったね、わたしたち。受け身覚えたね」

「ブランコとの戦いの記録」

「すべり台を逆から上って、またきみと出会えた(ベンチは特に思い入れない)」

「言わなくていいコーラスパート」

「わたしの思い出の公園に二反田がいるのって、なんか変な感じだね」

「梅ジュースの自販機も公園にあったから、僕も混乱しそう」

「その公園、実はここだったらエモいね」

「そういえば……なんて、主人公が一方的にヒロインに好かれるタイプのラノベの過去回みたいなことしなくても、僕たちは子どもの頃に共通の記憶があると思うよ」

「言うて同じ県内だしね。じゃあ二反田、小学校の遠足どこいった?」

「『こどもの国』と『シーパラ』」

「どっちも行ってるー!」


 なんて感じで、ローカルなノスタルジーに花が咲く。


「なつかしいな。母におにぎりを作ってもらって、子どもだけで行ったりもしたっけ」

「二反田も、ちゃんとした思い出あるじゃん」

「小学生のときはね。イルカショーで水をかぶると、なんかうれしかったな」

「あー、わたしもそういう時期あったわー」

「過去の小学生相手にマウント取らないで」

「思い出っていいね。こうして振り返って楽しいし。だからこそコンビニ前の無視は許しがたい。予期せぬところで友だちに会ったら、めっちゃうれしかろうが!」

「思いだしブチキレ……ごめんなさい」

「次からせめて手を振って。忘れたら二反田の記憶をひとつ消すから。わたしの」

「上京する娘を見送る父のつもりで、ぶんぶん振ります」


 町野さんの口が、「ω」の形になった。


「ところで二反田。梅ジュースおいしいけど、『たまにでいい』って味だね」

「パンチあるからね。僕みたいに思い出がないと、忘れがちだけど」


 西日のまぶしさをトリガーにして、僕は記憶と味を同時に思いだしている。


「じゃあ今日のことも忘れないように、強烈な思い出作ろっか」


 えっと町野さんの様子をうかがうと、あらぬほうを見てほくそ笑んでいる。

 その視線をたどると、公園と道路の境の植えこみがガサガサ揺れていた。


「なにか……いる?」


 僕が目をこらすと、不自然なツツジの動きがぴたりと止まる。そして――。


「ほーほー、ほっほー」

「……なんだ鳩か」


 そう言わざるを得なかったのは、小柄な制服女子がチラ見えしていたから。

 先輩さんは僕をきらっているみたいだけれど、僕は先輩さんを好きだから。


「(ここで猫をチョイスしない先輩、かわいいでしょ)」


 町野さんが小声で言い、僕は笑いをこらえながらうなずく。

 きっとこの記憶は、加速度的に増える夏の思い出に埋もれてしまうだろう。

 トリガーにしようにも、夕暮れどきにキジバトは鳴かない。

 だから僕は、自分から誘いの言葉をかけた。


「来年もこの公園で、町野さんと梅ジュースを飲みたいな」


 ふたりで飲めば、きっと今日を思い出せるから。


「絶対飲も!」


 町野さんの笑顔は夕陽に照らされ、梅ジュースみたいにキラキラ輝いていた。



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