その言葉を頭に浮かべながら、ついクウェンサーはこう尋ねていた。
「フローレイティアさんは、負けた事ってありますか?」
「それはあるよ」
肉を食べてはビールが欲しそうな顔になるフローレイティアは、あっさりと肯定した。
「遠隔指揮している最中に三回、自分が駐留している部隊が負けたのは一回。いやぁ、さんざんだったよ。敗走そのものより、本国に帰った後の風当たりがね。国家規模の戦術兵器であるオブジェクトを失ったんだから仕方のない話だけど」
「えー? 戦争の代名詞ってオブジェクトでしょ。向こうにオブジェクトぶっ壊されたらどうすんですか。普通の戦車とか戦闘機でどうにかできるとは思えないんですけど」
ヘイヴィアが興味津々という感じで言うと、フローレイティアはケロリとした顔でこう答えた。
「簡単よ。『白旗』を上げれば良いの」
「は?」
「今時の戦争なんてのは総力戦なんかじゃないからね。片方のオブジェクトが壊れた時点で勝敗は決まるし、無力な歩兵部隊に追撃するほど勝者は暇じゃないの。別にそういう条約が正式に締結されてる訳じゃないけど、こんなのは口に出すまでもない基本事項ってヤツね。部隊を速やかに撤収して、領土を明け渡してしまえば『泥沼』になる事はないっていうのがセオリーよ」
ポカンとした顔の新米二人を見て、フローレイティアは屈託のない笑みを浮かべた。
「ははっ、驚くのも無理はないよね。訓練の時には緊張感を削がないように、そういう緩いセオリーについては話さないものだし。しかしまぁ、私の体を見ろ。少年兵として一三歳の頃から従軍しているが、古傷の一つもないのよ。オブジェクトは余計な人死にを増やさないよう、全兵力を拡散させず一ヶ所に結集させた、クリーンな超大型兵器なの。私の綺麗な肌はその恩恵である『安全な戦場』の証拠ってヤツよ」
フローレイティアはハシを小さくくるくると回し、
「知っている? この部隊から兵士がリタイヤしていく一番の理由は、敵との銃撃戦で倒れる事でもうっかり地雷を踏む事でもないの。……ベースゾーン内での男女間のいざこざよ。今時の戦場ってのは、銃弾よりも色恋沙汰の方が恐ろしいらしい。いかにここが安全か分かるよね?」
一瞬納得しかけたクウェンサーだが、そこでふと疑問が浮かんだ。
「あれ? でもフローレイティアさん、昼間は太平洋で友軍のオブジェクトに命令を出して敵の拠点を直接砲撃させていたような……」
「良い着眼点ねクウェンサー。あれは正規軍同士の『戦争』じゃないの。ゲリラやテロリストなどに対する攻撃作戦は鎮圧『活動』にあたるから、そういうセオリーは持ち出されないのよ。戦争条約で禁止されている拳銃の特殊弾頭を警察が普通に使っているようなものね。……良いか、覚えておけよ。これがオブジェクトの効率的な運用プランなの。大国のメカニズムは、対抗勢力を上手に排する機構も備えている訳よ」
話題がきな臭くなり、飯が不味くなりそうだったので、クウェンサーは話題を変えようとする。オブジェクト以外の話のタネとなれば、やはりバーベキューの食材しかないだろう。
クウェンサーは夕飯の主役である鹿の肉を眺め、それから獲物を獲得してきたヘイヴィアの顔を見た。
「……それにしても、やっぱり軍人って自力で食糧を得る訓練とかも積んでるの? こっちは三時間粘っても、シャケを一匹釣れるかどうかだったのに」
「近頃のライフルってのは光学スコープだけじゃなくて、赤外線カメラとか索敵マイクとか搭載して、いろんな角度から標的の足取りを追えるようになってんだよ。俺だって釣り竿一本で大自然に立ち向かったらボウズになんだろ」
戦争はオブジェクトの仕事だから、丸っきり税金の無駄遣いだがな、とヘイヴィアは付け加える。フローレイティアの方も器用にハシを動かしながら、
「食糧なんてベースゾーンと補給路がやられない限り、本国からいくらでも回ってくるからね。そして、オブジェクトがいる限り基地がやられる事はないの。動物の獲り方なんて、私が新兵だった頃にも習ったか習わなかったか、ぐらいのものよ。少なくとも、お前みたいな工兵なんぞに必要なスキルじゃないの」
「工兵……ですか。なんか、そういう響きは未だに慣れませんね」
「一応、ベースゾーンの運営は国の税金で回っているからね。ブラブラしてる学者の卵にも、なんか仕事を与えないと政治家さん達の票に響くんだとさ。『本国』の方じゃ、これから評議員選挙の佳境だし……現職のフライド評議員とかピリピリしているのよこれが」
工兵にも色々あるが、クウェンサー達が話題にしているのは爆薬を使う兵士の事だ。と言っても兵士を殺すためのプロフェッショナルではなく、橋を爆破して敵の進路を断ったり、邪魔な岩を吹き飛ばして自軍の進路を築いたり、といった事をする。
変な知識ばかり豊富で、ろくに人を撃つ度胸もない学生には、そういう役職が適任らしい。衛生兵というコースもあるにはあるが、クウェンサーの専攻は機械であって、生き物関係はそれほど詳しくない。
「といっても、ウチの基地は基地構成車両主体の車両団だからハンドル操作だけで陣地構築できるし、超大型兵器のオブジェクトも控えているから、ほとんど工兵としての仕事はないんですけどね」
「それは工兵だけじゃないね。ベースゾーンの連中みんなそんな感じよ」
フローレイティアは数少ないシャケの身にハシを伸ばしつつ、
「くそっ、世の中は平和よね。おかげで銃は錆びるし栄養過多でニキビができそう」
「そっすよね。オブジェクトさえいりゃ俺らは安泰。俺は三年も基地に詰めてりゃ『貴族』の道が待ってるし、クウェンサーの野郎は『安全国』に帰ってお偉い学者様の仲間入りだ」
バンバン、と馴れ馴れしくクウェンサーの肩を叩きながら、ヘイヴィアは笑った。
フローレイティアは『うらやましいガキどもね』と吐き捨てたが、その顔には嫉妬の色などは全くなかった。おそらく、軍人として出世して堅苦しい政治ポストに就くよりも、この安全な戦場が気に入っているのだろう。
そうだよな、とクウェンサーも思う。
「……オブジェクトがあれば、俺達みたいな平和ボケでも戦争できるよな」
この時のクウェンサーの言葉は、まさに世界の真理を突いていただろう。
そう。
オブジェクトさえあれば。
8
一日後、彼らは知る。
自軍のオブジェクトを敵軍のオブジェクトに破壊されてしまった場合、すっかり平和ボケした軍人達にどんな地獄が訪れるかを。
フローレイティアは、負けたら白旗を上げればおしまいだと断言していた。
だが、彼女は同時にこうも言っていたのだ。
別に、正式にそういう条約が締結されている訳じゃないが、と。