ちょっと、おさらいをしましょうか。
最も単純な『第一の召喚儀礼』と言えば、やはり自己の上書きの話でございますわね。
例えばの話ですけど、空想って度が過ぎれば制御不能の被害妄想になったりするでしょう? でも、もしもその力を自在に制御できれば、抜群のアイデアに化けるのでございますわ。企業の新企画にしても発明家の一品にしても、それは巨万の富を授けてくれますわよね。
いえいえ、何も頭脳労働だけに限った話でもございませんわ。スポーツ選手や軍の狙撃手などが雄叫びだのゾーンだので自ら頭のリミッターを外す技術だってあったはず。
紀元前から現代まで続く技術として、動物の毛皮を被る事でその動物になりきったり、特殊な化粧や面をつけてこの世ならざる者と同じ役割をもらおうとしたり……。所詮は内面の上書き、外界に物理的影響が出る訳ではないなどと侮る事なかれ。それは時に個人の社会的地位向上から超国家間の歴史の変動さえ可能とする、大きな力を生み出すものなのでございますよ。
確実な理論に基づく一定の手順によって、一〇〇%の精度で自己の内面を上書きする技術。それでもって確実な利益を獲得するための方法論全体を指して定義したもの。
ねっ☆ そう考えると『召喚』っていうのも割かし身近なものだとは思いません? そりゃ有名企業のお偉いさんが顧問として胡散臭い占い師を雇ったりする訳だー、っていうか。
さて。
まずはこの前提を押さえてもらった上で、わたくしからこう質問させてもらいましょうか。
もちろん、そんなミニマムな話で満足するあにうえではございませんよね?
『第二の召喚儀礼』。自己の精神を通常の心理学では説明不能な領域まで励起させる事で、魔道書の悪魔を呼び出し、神話の神々に具体的な交渉を迫り、まさしく人智を超えた現象を操る方法論。円の中の五角形だのロータスワンドだの薔薇十字のシジルだの……ま、この辺を何とかしようとしたのが一九~二〇世紀前半に進化を極めた近代西洋魔術結社でございましょうか。あるいは冷戦中のスターゲイト計画だの旧ソ極秘研究だのの超心理学なんかも一部当てはまるかもしれませんが。ぬはははは!! 雨乞いや暗殺から世界の救済まで何でもござれ。これぞまさしく『求める者が思い描く、都合の良い召喚術』のイメージってヤツでございますわ。
でも。
一九九九年。さらにその奥で発見された『第三の召喚儀礼』。
正直に言って、ここからが本番でございますよね。あにうえ?
さて、四〇階建ての高級マンションがあるとしよう。住むとしたら建物のどこに住んでみたいだろうか?
やっぱり見晴らしの良い最上階?
───でも火事が怖いし、停電でエレベーターが止まったらどうするんだ。
なら非常口や階段の近くにしてみようか?
───その階段を伝って強盗さんや空き巣さんはやって来ないのか。
いっそ、できるだけ地上近くはどうだろう?
───上の階で水のトラブルがあると下は洩れなく巻き添えだが。
……結局のところ、最良の答えなんてないのかもしれない。メリットを取ってデメリットも抱き合わせで美味しくいただく。そんな覚悟を決めないと部屋選びはできないのかもしれない。
ちなみに、フード付きのパーカーにスポーツブランドのジャージという、おはようからおやすみまでどこでも通用しそうな凡庸極まる格好をした少年、城山恭介が入ったのは、最上階とその一個下の階を階段や吹き抜けでぶち抜き、二フロアを丸々使った最上位クラスの部屋だった。正確には、屋上も空中庭園・家庭菜園としてキャッシュでご購入済み。都合三フロア分の空間を呼ぶ名前はカタカナで二五文字以上あった気がしたが、恭介は覚えていない。
自分が住んでいる訳でもないので、そこまで気にする必要もないだろう。
インターフォンも押さずに入ってきた恭介のドアの開閉音を耳にしたのか、やたらと長い廊下の向こうから少女の声が聞こえてきた。
「おかえりなのです、お兄ちゃん……」
「おかえりではないよ血も繫がっていないし兄妹でもないし。いらっしゃいとかよくぞ来たとか、そんな感じだろう。あなたの家なんだから、自分で片づけくらいしてくれないと困る訳よ」
右と左の手にそれぞれビニール袋や荷物を下げながら、恭介は少女の声がした方に向かう。
「なんか表は大変な事になっていたよ。道だか橋だかが壊れて交通渋滞。モノレールが止まったせいかあっちこっちで人混みがひどくてさー……。まぁ、ひきこもりのあなたにとっては関係ないかもしれないけどね」
まんまテニスでもできそうなほど広いリビングに、『彼女』はゆったりと腰掛けていた。
椅子に? ソファに?
いいや。
「ああっ! 『トロピカルジュエリー』のルビー林檎のまるまる全部シャーベット! 電話口ではなんだかんだと文句を言いながらも行列に並んでくれるお兄ちゃん愛しています。さあさあ、良い子良い子してあげるのでその供物をこちらに……」
「いや、あなたの愛も屈辱的な躾も一切不要な訳なんだが」
「ああっ! しかも朝昼夜に三〇個ずつしか出さないあっぷるちーまでついてます!? お、お兄ちゃんは一体どこまでご褒美が欲しいのか……。今日はお風呂でも一緒に入りますか?」
「というかね、さっきから僕は怖いんだよ! あなたが腰掛けている、その、ワシントン条約にガッツリ抵触しているっぽいタイガーがさー!!」
部屋の主が腰掛けているのは、体長五メートルに届く巨大な虎だった。
毛皮を使ったソファとか、ソファの形に整えた剝製とか、そういう話ではない。
今も眠たそうに寝そべり、ゆらゆらとゆっくり尻尾を振っている……生きた虎である。
すると少女はぷくーとほっぺたを膨らませて、
「お兄ちゃん、この子はタイガーじゃないです。ライオンとホワイトタイガーを掛け合わせて作ったホワイトライガーなのです。動物園に貸し出したら年間で七億円は堅い超希少種なのですよ……?」
「その秘密兵器みたいな名前のバケモンが、さっきから物珍しそうな目でこっちを見ている訳だが」
「がおがおー……なのです」
「やめなって! いくら召喚師だって不意打ち受ければ普通に死ぬと思うよ、これ!」
ちなみに少女自体は色白で小柄なAカップ、茶色い髪は細い三つ編みを二つ作った上で大きな円を描くように頭の両サイドでまとめるという……ああ面倒臭い、トリッキーなツインテールみたいな髪型をしているのだが、もっと分かりやすい特徴があった。
水着なのだ。
四月中旬だというのに蛍光グリーンのビキニだけを、いや今度は説明が足りなかった、蛍光グリーンと白のシマシマのビキニだけを纏い、適度で心地よい暖房と肉食動物の体温にまみれてうとうとしている訳である。