宙に浮かぶ『白棘』へブラッドサインの先端を突き付け、蓮華は即座に打ち出す。パニックに陥った訳でも、考えなしでもない。今度こそ、冷徹で正確な計算に基づいた、攻めの一撃だ。
狙ったのは敵の召喚師が放った『白棘』だった。
ちょっとした意趣返し。
二つの『白棘』は激突すると軌道を大きく変え、『唯一無私』が放った『白棘』が宙に浮かぶ中音と高音の『花弁』を立て続けに叩く。叩かれ、押し出された二つの『花弁』がスポットへと吸い込まれる。
これで低音三、中音三、高音三。
「禁忌の一」
蓮華の呟きを聞き、ライダースーツの美女の顔が凍りついた。
きっと、思い出したのだろう。その頭の中を読むように、蓮華は宣告する。
「低、中、高音の三つを同数揃えてはならない。そうした場合、自らの錬成した被召物は『清濁万象を吞み干す「漆黒」の顎』へと形を変えて召喚主を丸吞みする!!」
ぐぢゅり……!! という粘質な音が響いた。
有刺鉄線の塊だった敵方の被召物『敵視する巨眼』が真っ黒な粘液の渦へと形を変える。それは蛇のように首をもたげる。竜巻の最上部の内側は、びっしりと牙で埋め尽くされていた。
悲鳴はなかった。
その前に、真上から襲いかかった『清濁万象を吞み干す「漆黒」の顎』が、ちっぽけな人間を一撃で吞み込んだ。
気味の悪い音と共に命が失われた。
それを証明するように、『清濁万象を吞み干す「漆黒」の顎』は再び形状を変える。意識を失った依代の女が、徹底的に砕けた地面へと無造作に投げ出される。
救いはなかった。召喚師は死に、『清濁万象を吞み干す「漆黒」の顎』を宿した依代の精神は砕かれている。瓦礫に吞まれた同業者、フリーの召喚師の中年男も生きてはいないはずだ。
勝利の特典など何もない。
山のように積まれた瓦礫が元に戻る訳でも、失われた命が冗談のように蘇る訳でもない。
ただ、勝ったと、生き残ったという単純な事実が残るだけ。
それが召喚師の世界だ。
繫がった意識を通じて、妹の彼岸の心の呟きが姉の蓮華にまで伝わってくる。
《『白き女王』よ、失われし人の子の魂の行く末を見届けたまえ……》
「感傷に浸っている暇はない。彼岸、このまま一気に走るから。もう隠れていられない。『チェイン』を使って突破するしかない!!」
通常、励起手榴弾を使った召喚師同士の戦いは、決着がつくか、最大でも一〇分程度で人工霊場が自然消滅する。
だが敵対する召喚師を撃破した直後に限り、九〇秒程度の時間は人工霊場を連れたまま自由に移動できる。現代の召喚儀礼は『闘争』を軸に神々を呼び出す技術だが、標的撃破後も場に残る『余熱』を使い、敵の意思に縛られず敵の存在だけを借りてシステムを回していると考えれば良い。この九〇秒の間に次の敵対者を捉えて戦闘に持ち込めば、現状の被召物を保った状態で戦いを始める事ができる。
そのメリットは大きい。
敵は最弱の被召物から錬成しなくてはならないのに対し、蓮華達はすでに強い被召物をぶつけられる。時間が経てば経つほど、とても一〇分間では呼び出せない複雑で高度な被召物へ膨れ上がる。当然、受けた外傷は継続するし、一秒でも途切れればご破算、全て一からやり直しだが、繫げればやがて最強に手が届く。どんなルーキーでも、続ける限りは努力が報われる。
戦場である埋立地の港湾地帯。その対岸で吞気に巨大な花火が打ち上げられるのを合図に、召喚師の蓮華と被召物に形を変えた彼岸の姉妹はアスファルトの上を駆け出す。
もはや隠れる意義はない。
「彼岸、速攻!! 敵は必ず最初期の被召物から始めるしかない。育てる前に叩き潰して!!」
敵を、倒して、倒して、倒して、倒して。
負の連鎖を繫げるようにしながら、蓮華と彼岸は夜の港湾地帯を駆け抜けていく。
破壊して、狩り出す。
そうしながらも、彼岸に宿る被召物はさらに膨らんでいく。
二人の駆け抜けた道をなぞるように、バタバタと人間が転がっていく。禁忌を犯して暴走した『漆黒の顎』と違い、正攻法で被召物を倒すだけなら召喚師を殺す事はない。自らの奉じる神を目の前で殺された衝撃により、一つの行動を繰り返すゼンマイ人形のようになるのだから。もっとも、普段であればここからさらにとどめを刺すのがセオリーである訳だが、時間がなかったのは互いにとって幸運だっただろう。
召喚師・依代ともに一般の銃火器は通用せず、敵が密集さえしていれば延々と『チェイン』で戦闘を続行できる。彼らが重宝される所以だが、やはりそれも万能とは言えない。
『ガードオブオナー』側の対応は的確だった。
《人の気配が消えた……。お姉ちゃん、その、これって……》
「『チェイン』を解くために、人を遠ざけたか。一度、人工霊場を解除して彼岸を元の人間に戻してから仕切り直そうとしているのね。でも好都合!!」
召喚師と被召物は一気に目的の場所まで駆け抜ける。
九〇秒ほどで『チェイン』が崩れ、人工霊場も失われた。彼岸の体が、得体のしれない化け物から元の可憐な少女へと戻っていく。これで継続の力はご破算となった。
巫女装束を纏う彼岸の体が、ぐらりと横に揺れる。
「……づっ……」
「大丈夫、彼岸!?」
『チェイン』による連続戦闘は裏技のようなもので、本来の一〇分間の縛りを大きく越える負荷を、時間の経過と共に依代へ与えていく。気を失わなかっただけでも僥倖だ。
そして蓮華が妹に肩を貸した途端、一斉に取り囲まれた。
都合二〇人。召喚師と依代のペアなら一〇組。『チェイン』状態で強力な被召物を扱える状態ならともかく、一から仕掛けるにしては圧倒的に不利な数の差だ。
ぐるりと周囲を見回した蓮華は、そこで顔をしかめる。