白い球形の光『白棘』は時間と共に自動的に補充され、最大で七つストックできる。なので、ペースを計算していれば打ち尽くす事はない。
混乱が、そのペースを見失わせた。被召物を切り替えるという意識を優先し過ぎた。
『白棘』の補充は、およそ一〇秒で一つ。
一分間の六分の一。だが、その間は低、中、高、極低音の『花弁』には干渉できない。被召物を切り替える事もできない。
まさしく致命的な結果は、直後に襲いかかってきた。
その時、彼岸は太い鎖を持つ巨大な烏賊のような被召物『DECテンタクル』となり、地面から生えた大木のような腕の形をした被召物『樹木手』に絡みついていた。
ガカッ!! と。ライダースーツの美女が放った『白棘』が、新たな『花弁』をスポットへ打ち込んだのはその時だった。
『DECテンタクル』が締め上げていたターゲットが、召喚師『唯一無私』の操作によってぐにゃりと形を変える。それは人間の腕ほどもある太さの有刺鉄線をぐしゃぐしゃに丸めた、直径五メートルもの球体だった。
個体名『敵視する巨眼』。
中心にある紅い瞳がじっとりと標的を見据える。有刺鉄線の球体の中央で淡い光が瞬いた直後、その全身が爆発するように全方位へ膨張する。
カッ!! と。
たった一撃で、一〇もの鎖が弾き飛ばされ、彼岸の巨体が大きく仰け反らされる。
《きゃあ!?》
敵の『音域』は中音から低音へ。
現在、高音の被召物で固定されている彼岸にとっては、致命的な相性だ。
次々と、有刺鉄線の塊は爆発と収縮を繰り返す。そのたびに彼岸が形作る巨大烏賊の被召物『DECテンタクル』が削り取られていく。半透明の腹に埋め込まれた柔らかい彼岸の輪郭に亀裂が届けば終わりだ。基本的に、相性の悪い相手には何をやっても勝てないのがセオリーだ。こういう時はさっさと有利な『音域』を持つ別の被召物に切り替えるべきなのだが……『白棘』のストックが切れた召喚師の蓮華には、それができない。
三つ巴の『音域』は全ての基本だ。よほど被召物のコスト差が開かない限り、これを無視して力技で相手を押し負かす事はできない。
一〇秒。
たった一〇秒。
ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ!! と。
濡れた紙や発泡スチロールの塊のように、次々に『DECテンタクル』の各所が削り取られる。内部にある彼岸へと破壊の爪痕が近づいていく。太い鎖でできた触手状の腕が千切れて吹き飛び、近くの街灯を丸ごとへし折った。
頭の中に直接響く彼岸の悲鳴を耳にして、蓮華は歯を食いしばる。
(ストック……『白棘』の補充はまだなの!? このままじゃ彼岸が……!!)
じりじりと、ただ『その時』を待ち続ける蓮華だったが、そこで彼女は気づいた。
目の前。ライダースーツを纏った美貌の『唯一無私』が、さらに手持ちの『白棘』をブラッドサインで突き出そうとしている事に。
(……間違った)
ごくり、と喉が鳴る。
すでに弱点の『音域』を確保し、有利な状況をキープしているなら、『ガードオブオナー』側に被召物を切り替えるメリットはない。となると、手持ちの『白棘』を使う理由は他にある。
(敵の手を見誤った!!)
『唯一無私』が狙っているのは、低、中、高、どれも外れだ。
白。
打ち尽くした後も、未だに地面や壁をゆっくりと反射している、蓮華が放った『白棘』だ。『白棘』は一度打ち出し、動きを止めると自然消滅する。つまり、召喚師が干渉できるのはブラッドサインによる最初の一打だけだ。逆に言えば動いている間は『無防備』となる。新しい『白棘』をぶつけて軌道を曲げる以外は、ただその行く末を眺めるしかない。
(禁忌の三。『白棘』のストックがない時に、まだ場にある『白棘』が誤ってスポットに入った場合、召喚師は問答無用で殺される。被召物の組成が暴走し、『清濁万象を吞み干す「漆黒」の顎』と呼ばれる最大最悪の化け物に切り替わって召喚師を喰らい尽くす……)
鉄則とまで呼ばれるその基本を思い出して、蓮華の全身を冷たいものが埋め尽くす。
敵は被召物同士の激突なんて視野にも入れていなかった。
『清濁万象を吞み干す「漆黒」の顎』の禁忌を使い、召喚師を直接殺しに来ていたのだ。
(まずい、まずい!! あと何秒? 五秒? 三秒? どっちみち、補充が来るまで何もできない!! 召喚師の私が殺されれば彼岸は何の力も使えなくなる……!!)
ゴッ!! と。
ライダースーツの『唯一無私』が、渾身の力を込めてブラッドサインを突いた。弾丸のように放たれた敵方の白い球形の光『白棘』は、一度倉庫の壁に当てて反射させてから蓮華が放った『白棘』にぶつけてスポットにぶち込むつもりらしい。頭を抱えるほど的確なコースだった。
手持ちはない。
蓮華には何もできない。
ストックゼロ。この状態で自分の『白棘』をスポットに叩き込まれれば、問答無用で殺戮される。
だから、もはや蓮華は己の力を当てにしなかった。
「彼岸!! 左手側の倉庫をぶっ壊して! 今すぐ!!」
「っ!?」
ライダースーツの『唯一無私』の顔色がわずかに変わった。
直後に、有刺鉄線の爆発で身を削られ続ける巨大烏賊が、倒れ込むように倉庫を押し潰した。金属でできた建築物が、紙箱を踏むようにあっさりと破壊される。
敵は、倉庫の壁に当てて反射させてから、蓮華の『白棘』を狙おうとしていた。
その壁が丸ごと失われたため、『ガードオブオナー』の召喚師が放った『白棘』は反射できずに予定のコースからすっぽ抜けていく。
(敵方の被召物の組成は、極低音の母音六つは無視するとして、低音三、中音二、高音二で音域『低音』……個体名『敵視する巨眼』。これなら『アレ』が使える)
同時。
わずかに稼いだ時間が、蓮華の手元に補充の『白棘』を与える。
虚空から生じた、たった一つのストック。