隣のゴリラに恋してる
二・ゴリラさんとの出会いからこれまで ⑦
「…………分かりました。でも、条件があります」
「おおっ。いいぜ、ノートの為なら腹踊りでもブレイキンでも決めてみせるぞ!」
「踊りなんて見たくないです。私が望むのは──」
魂の交渉から小一時間後。
俺は学校最寄りの駅に近い喫茶店で、テーブルを挟みごっさんと向き合っていた。
ただしごっさんの前にはデラックスイチゴパフェとストレートティー、俺の前には広げたノート二冊に水という凄まじい格差が存在している。
「まだ終わらないんですか? そろそろこれ、食べ終わりますよ?」
「ちょっ、早いよ! ごっさんもっと味わって食べて!」
「十分に味わってます。でも私、アイスが溶けすぎるのもフレークがふにゃふにゃになるのも好きじゃないので、自然と早めにスプーンを運んでしまいますね」
つまりペースダウンする気はないのか。まだ英語のノートが終わったばかりだってのに。
ノートを貸す代わりにごっさんの出した条件は二つ。一つはコピーではなく自力で書き写す
こと。そしてもう一つは、写し終わるまで好きな物を食べさせるというものだった。ゴールデンウイークに友達とバイトしたから金は多少あったし、ごっさんの指定した店が喫茶店だったから大したことにはならないだろうと高をくくっていた過去の自分を殴りたい。
既にごっさんはパンケーキとガトーショコラを食べ終えた後だ。紅茶も二杯目で、しかも普通のより高いヤツだった。おかげで俺の財布は瀕死寸前、自分のコーヒー代すら惜しい。
「くっ……コピーさせてくれれば、こんなことには……!」
「自分の書いた物を他の人が所有するのは嫌なんです。それに丸々写さなければもっと早くに終わっていたでしょう?」
「だって改めて自分のノート見たら読み返す気起こらないんだもんよ! 折角高い代償を払うんだから、少しくらい良い点取りたいし……!」
「向上心があるのはいいですね。さて、次は甘い物が続いたので少し塩気のあるものに……」
「まだ食うん!? ごっさん、流石に食べすぎじゃね? 夕飯入らなくなるぞ?」
「ご心配なく。これくらいなら少しご飯の量を減らすだけで済みますから」
なるほど。つまりただじゃ済まないのは俺の財布だけか。グッバイ俺のバイト代。
仕方ない、これはテストの結果で取り返そう。もう既に取り返しが利かない金額になってる説もあるけど。
俺は涙を呑んで世界史のテスト範囲を片っ端から書き写しつつ、
「ところでごっさん。テスト前で部活休みじゃん? 遊びに行く約束とかしてないの?」
「……何の為に部活がないと思ってるんですか。ちゃんと勉強に当てますよ」
「んじゃ、テストの後は?」
「テスト最終日の後から部活があるので、特に予定はないです」
「あー、そうなんか。中学の時、うちの学校はテスト最終日も部活動禁止だったんだよ。通常運転は翌日からで、最終日は大体クラスの皆で遊び行ってたなー」
ノートを写す手は止めず思い出を交えて話していると、視界の端でゴリラの手がティーカップを持ったまま不自然に止まっているのが見えた。
「……そういえば、この前遊んだ私の友人も斎木くんと似たようなことを話していました。もしかしたら同じ学校なのかもしれないですね」
「お、そうなん? というかごっさん、普通に友達と遊んだりもするんだな。意外だわ」
「物凄く引っかかる言い方ですね。私に友達がいないと思っていたんですか?」
「んや、そうじゃないって。違うからそのビンタ準備は止めよう? 俺は単に、ごっさんがクラスの他の女子と遊んだって話を聞いたことなかったからさ」
いつでも殴れるようにスタンバっていたごっさんは、一応納得してくれたのか手を引っ込めて紅茶を飲み、
「……確かに、今のクラスメートとはないですね。遊んだ子は小学生の時からの友人で、違う学校というのもあっていつも向こうから押しかけに近い形で来るんですよ」
「へー、違う学校の……どこで知り合ったん?」
「塾です。何故か一緒に勉強している思い出はあまりないですけど」
「もし俺と中学が一緒なら小学校も一緒かもなぁ。その友達の名前は? あと学校名」
共通の話題にもなるしなんとなしに訊くと、ごっさんが俺をじっと見てくる。
「……言いません。共通の知り合いだとして、私のことを色々訊かれると面倒ですし」
「おいおいごっさん、俺をどう思ってるんだい? これでも気配りには定評あるんだぜ?」
「初耳な上に全然そうは思えないので聞かなかったことにしますね。彼女のプライバシーもありますし」
「知り合いの知り合いみっけて盛り上がるのは普通のことだと思うんだけどなぁ……」
「余計な時間を使っているとノート回収しますよ。その前に──すみません、追加の注文いいですか?」
それは俺にではなく通りすがりの店員さんへの言葉で、こっちへの許可なんて端からなかった。ゴリラじゃなくて鬼だったとは。ヤバいので俺は急いでノートの写し作業に戻る。
そしてここにきての小倉トーストを注文しだしたごっさんの声を聞きながら、なんとなしにさっきの会話を思い返していた。
──彼女。つまり女の子、か。まあごっさんなら異性の友達って方がびっくりだけど、やっぱ女の友達だったんだな。うむうむ。
「何をニヤニヤしてるんです?」
「ふぁ?」
唐突な指摘に、俺は自分の顔に手を当てて、
「え? 俺、笑ってた?」
「はい。もしかしてまた手慰みに描いた絵を見ました? それで笑っていたならフォークで刺しますよ?」
「いや全然そんなじゃないっつーか、自覚なかったんだけど……」
割と恐ろしいことを言ってくるごっさんだけど、それよりも無意識に自分が笑っていたことの方が気になった。
なんだろ。ごっさんの友達が女の子だってのが、嬉しかったのか、俺? いや、どっちかっつーと、これは……ホッとしてる……?
「……今度は変な顔をして、どうしたんです? もしかして斎木くんも小倉トースト食べたかったんです?」
見当違いのことを訊いてくるごっさんにどう返せばいいか分からず、曖昧な返事をする俺をどうやら真剣に心配したようで、ごっさんは運ばれてきた小倉トーストを半分こして分けてくれた。その上、奢りじゃなくてちゃんと支払おうとしてくれたのを、『これはお礼だから』と気持ちだけ貰い、心で泣きつつ全額出した訳だが。
どうしてごっさんの友達が女子だったことにあんな反応したのかは分からず仕舞いだった。自分でも不思議で、帰宅してからもなんだかもやっとしたのが残ってしまい、莫大な対価を払ったのにテスト勉強をする気にならず。
机の前でごっさんのことを考えながら、ぐだぐだな一晩を過ごしてしまった。
◇ ◆
――とまあ、そんなこんなで隣の席に座る長身のゴリラ女子とは近すぎず遠くもない距離感で、時に世話になり時に叩かれと、それなりに上手くやっていたはずなのだが。
いつの頃からか、気が付けばゴリラに視線を奪われ、ゴリラのことを考え、ゴリラと話すと浮き立つような気持ちになる自分に気付いてしまった。
そうして六月が終わる頃には、この捉え難い感情をどう定義するかが、俺にとっての最重要課題になっていた。