隣のゴリラに恋してる

三・悩みの相談は相手を選ぼう ③

 話しながらごっさんを見ると、丁度また順番が回ってきて、アタックを決めるところだったが……え、今のボールを叩いた音なの? 本当に? 鉄板を床に叩きつけた音じゃなくて?

 着地したごっさんは、チラリと刺すような視線をくれる。口は動いていなかったが、何故か脳内に『次はあなたの頭がこうなる番です』と聞こえてきた気がした。


「…………うん、めっさ怒ってるみたいだから、そろそろ行きますわ。お邪魔しました」

「追い出すようでごめんねー。あ、でも、強羅さんと仲良いのなら試合の応援に来てよ。さっきのスパイク、本番でもやったら中途半端なブロックなんて吹き飛ばせちゃうだろうし」


 シマウマ先輩は朗らかに言う。だが本当に試合を見に行った場合、その日か次に教室で会った時が俺の命日になるんじゃなかろうか?

 ……俺の頭はボールみたいに衝撃吸収してくれないだろうなぁ。受けるのが背中でも数日は痕が残りそうだ。

 あまりからかいすぎないようにしとこ……と教訓を胸にして、靴を履いた俺は体育館を後にする。少し離れただけで涼しく感じるんだから、中はもっと暑いんだろう。

 手の甲で首筋の汗を拭い、ガシガシと頭を掻いて、


「……やっぱどうかしてるな……暑さのせいに出来ないもんかねー…………はぁ……」


 ゴリラのスパイクする姿を格好良いと思うのはまだ分かるとして、だ。こっちを意識してくれたのを嬉しいと思うのは、友達としての好意のラインを越えている気がする。


「はー、どうしたもんか…………いやどうもしないんだけど……」


 もうすぐ夏休みだし、会わない期間にある程度落ち着くかなぁ。それに休み明けには、たぶん席替えがあるだろうから、隣でなくなれば……


「って、こんなこと考えている時点でドツボだよな…………はぁ……」


 もしこれがマジの恋心だったとしても、告白する気も付き合いたい気もない。だから余計にもやもやする。

 普通の恋愛と違うので相談する相手もいないし……


「どうしたもんだかな、マジで…………あー、くそっ」


 胸のもやもやを振り払えず、俺は駐輪場でマイチャリに乗ると、ストレスと迷いを吹き飛ばすべくがむしゃらにペダルを漕いで、帰宅はせずに駅前の繁華街へと繰り出した。

 そして遊んでもスッキリせず消化不良で帰った我が家には、意外な人物が待っていた。


「ただいまー、っと」


 大して特徴のない、やや広めのマンションの一戸が斎木家の住まいだ。4LDKで夫婦の部屋と子供達一人一人に個室がある。といっても、次男がまだ幼いので寝る時は親と三人で寝ることが多い。

 リビングと夫婦の部屋は奥、後の三部屋は玄関側にあるので、俺はとりあえず自分の部屋に荷物を置いてから冷蔵庫から麦茶でも飲もうかと思った……が、その前に、向かいの部屋のドアが開きっぱなしで、中の光景が目に入った。


「あれ? 澪、珍しいな」

「んー? あ、兄さんお帰り。でも、何が珍しいの?」


 ベッドに寝転がってスマホを弄っていた妹は、顔だけこっちに向けて訊いてくる。

 ただし俺の目には、ベッドにカピバラが寝転がっているようにしか見えない。顔だけでなく、まんまカピバラだ。マジで本物と見分けがつかない。ただし本物のカピバラにパンツを穿かせる動物園はないだろう。

 つまり妹はパンイチの状態でベッドに寝転がっていた訳だが、


「いつもならリビングでゴロゴロしているのに、部屋にいる上にパンツ穿いてんじゃんか。裸族は卒業したんか?」


 そう、妹の澪は部屋にいる時は全裸が多い。食事の時や家族団欒の時には最低限の礼儀みたいにパンツだけ穿いて登場し、それでよく母親に怒られている。

 だらしなく寝転んだカピバラは鬱陶しげに俺を見て、


「人が来てるから仕方なくだよ。あたし、別に気にしないのに」

「向こうが気にするわ。んで、客? 母さんに?」

「さあ? 来てるの、伯父さんだし」

「……!」


 さして特別な感じはなく言われたが、俺にしてみれば渡りに船だ。図ったようなタイミングで、これを逃す手はない。

 俺は持っていた鞄を自分の部屋に放り投げて、着替える間も惜しんでリビングに向かう。

 するとリビングではまだ幼い次男がパズルで遊んでいて、それを見守るようにしてソファーに腰掛けている金髪の男が一人。


「ジョー伯父さん、来てたんだっ?」

「ん? ああ、浩太も帰ってきたか。また少し大きくなったね?」


 正月に会ってからそんなに変わってないと思うけど、伯父さんはわざわざ立ち上がって俺の肩をポンポンと叩く。

 父親より三歳年上の丈一郎伯父さんは、アロハシャツを着ているせいもあって実年齢よりずっと若く見える。脱色した髪も遊んでいる風にワックスを効かせたセットだし、三十そこそこでも通りそうだ。実際はもう四十半ばだけど。


「伯父さん、急にどうしたの?」

「ちょっとハワイに行ってたんだよ。その土産と、あとはまあ仕事のついでに寄ったのさ。ホテルから依頼が入っててなぁ」


 得意気な笑みが子供っぽいジョー伯父さんの仕事は、画家だ。国内外でそれなりに評価されていると本人が言っていた。事実、海外で個展やデザインの仕事もあるのだとか。

 ちなみに伯父さんは擬人化した蛙の絵で有名になった人で、仕事の殆どがそれ関係らしい。特に人気なのは、蛙の美人画だ。

 そんな伯父さんだからこそ、俺は相談したい件がある。


「ジョー伯父さんっ。実は俺、どうしても伯父さんに聞いて貰いたい話があるんだよ!」

「んん? よく分からないけど、いいよ。今日の夕飯は有り難くご相伴にあずかることになったから、時間はあるしね。浩太の部屋で話そうか?」

「助かる、マジで! 正、お前は姉ちゃんの部屋で遊んで貰ってな」

「えー。みーちゃん、すぐ知らんぷりするんだよ?」


 就学前の次男から辛口評価を食らう長女。良くないわ、兄弟の仲が問われる。


「あいつはあれだ、本当は構って欲しいのに恥ずかしくて言えないんだよ。だから正の方からお願いし続けたら、『仕方ないなー』って感じで受けてくれるぞ」

「みーちゃん、恥ずかしがり屋さんなの? いつもはだかなのに?」

「そうだぞ。あれは性格というか性癖の話になるから、別問題だ。正がもうちょっと大きくなったら分かる」

「そうなんだ! じゃあぼく、みーちゃんに遊んでもらってくる!」


 言うが早いか可愛い弟は走ってリビングから出て行った。うむ、一件落着。澪は面倒くさがりだけど責任感は強いし押しに弱いから、あれで上手くいくだろう。

 ……と、何故かジョー伯父さんが気まずそうな目でこっちを見ていた。


「なぁ、澪ちゃんってそういう趣味の子になっちゃったの? 可愛い姪っ子のそんな事実、知りたくなかったんだけど」

「さあ、どうだろ。裸族なのは間違いないけど、そこまで特殊な癖はないんじゃないかな。あのまま外には行かないし」

「そこまでいってたら伯父さん寝込むわ……うーん、まあいい、相談ね。じゃあ浩太の部屋に行こうか?」


 伯父さんに促され、俺は奥のキッチンにいた母親に一声掛けて、「もうちょっとしたら夕ご飯だからねー?」との知らせに適当な返事をしつつ自室に戻った。

 向かいの部屋が賑やかなのをさくっと無視し、先に入っていた伯父さんにイスを勧めてドアを閉める。普段はそこまで気にしないが、話の内容が内容だ。外に漏らす訳にはいかない。

 そんな俺の態度で察するものがあったのか、イスに腰掛けたジョー伯父さんは神妙な顔つきでこっちを見上げ、


「さてさて、浩太から内密の相談とは珍しいな。こっそり小遣いが欲しいとか?」

「んや、そういうのではなく。くれるんなら欲しいけど、それはそれとして、伯父さんに訊きたいことがあってさ」