隣のゴリラに恋してる
三・悩みの相談は相手を選ぼう ④
「ふむ? 改まって、何をだい?」
「あー…………や、それが、さ」
ドンと来いと懐深く構えてくれる伯父さんに対し、俺は言葉を濁してしまう。
いざ話そうとしたら、妙に緊張するというか、気まずく感じてきた。普通なら親族相手に話すようなことじゃない。
しかし俺の場合は普通のケースじゃないし、逆に言うと伯父さん以外に最適な相手はいないので、意を決して口を開く。
「…………その、さ。最近クラスに、ちょっと気になる相手がいて」
「む…………なるほど、そうか……」
俺の言葉にジョー伯父さんは驚いていたが、すぐに重く頷く。
「呪いのことがあるからね。確かに、他の人には分からないかもしれないなぁ」
「そうっ、そうなんだよ! 明らかに普通じゃないんだろうなって自覚はあるから、なかなか他の人には言えなくてさ」
「ああ、分かるよ。伯父さんも色々と悩んだ経験がある」
同意をくれた伯父さんは俺の肩をポンポンと叩き、とても優しい目で訊いてきた。
「女の子が女の子に見えないからな――男を好きになったんだろう?」
「違うよ!? ぇ、やっ、全然違うっ、そっちで悩んでないよ!?」
「……うん? あれ、違った? 女顔の男にときめいたとか元男なら普通に見えるからそっちに惹かれたとかじゃないのかい?」
予想が外れたのが意外だったのか目を丸くする伯父さんに、俺は全力で首を横に振る。
「…………ありゃ、違ったのか。てっきり新たな道を開拓したのかと……」
「……むしろその発想に辿り着いた伯父さんの過去が気になるんだけどさぁ……」
「おう、言いたかないが色々と人生の迷走があるよ。彷徨いまくったせいで、呪いが解けてからは女遊びしまくってるしね。いやー、貯金しといて良かったよ」
「あんまし聞きたくない話題だなぁ……じゃなくて、俺はクラスの女子が気になってるの!」
勢いに任せて言い切ると、伯父さんはまじまじと俺の顔を見て、
「…………え、でも、浩太は異性が動物に見えるんじゃ……まさか、その子のことは特別で女の子に見える? だとしたらそれは罠だよ!?」
「何の罠かは知らんけど、他と一緒でアニマルに見えてるよ」
「そ、そうなのか……でもまあ、浩太は幅広く色々な動物に見えているみたいだからね。可愛らしい犬猫なら或いは…………で、何に見える子なの?」
「あれ。ゴリラ」
「……………………あの? ウホウホの?」
「ウホウホ言ってるところは見たことないけど、そう。しっかりゴリラ。見た目だけだとオスかメスかも分からん。俺にそう見えてるから確実に女の子だけど」
俺の説明に、ジョー伯父さんは微妙極まりない表情になる。どう整理すればいいか困っている感じだった。呪いの経験者である伯父さんなら理解して貰えることもあるけど……そうか。経験しているからこそ戸惑うってのもあるのか。
それでも伯父さんは真っ直ぐに俺を見つめ、
「……浩太、一つだけ教えてくれないか。もしかして動物園の住民達に、性的に興奮するなんてことは――」
「ない、全くないよ。そんな真剣なトーンで訊かれても、重大な真実とか出て来ないよ」
「ありゃ、違うのか。でも浩太、外見ガチゴリラの子を好きになっている時点で全否定は出来なくないかい?」
「好きなのかどうかはまだグレーなんだって。それに外見は全く好みじゃないから悩んでいるというか……」
「まあ、そうか。そうだよなぁ」
「伯父さんはそーいう感じの、なかったの?」
俺の質問にジョー伯父さんは殆ど間を置かず手を横に振り、
「ああ、ないない。だって俺に見えていたの、蛙だよ? 髪型の違いも分からないし、誰が誰なのかも判別が難しいから、学生時代は最低限しか女子と会話してないさ」
「…………見分けがつかないのは大変だ」
「輪郭とか模様とか微妙な違いはあるんだけど、ぱっと見じゃほぼ分からないんだよ。同じ制服着てるから難易度がさらに上がってねぇ……」
しみじみと語る伯父さんの表情には苦労が滲んでいた。俺も気持ちは分かる。同じ種類の動物で毛並みも一緒だと、もうお手上げだし。
それでも多種多様の動物が入り交じっているからある程度の判別が出来る俺と違って、蛙オンリーの伯父さんは相当に厳しい日々だったはずだ。そもそも蛙自体が割と苦手な人多いし。基本は頭だけとはいえ人間サイズで見えるんだから、伯父さんの呪いはマジでキツい。
「まあ、それが元で蛙の美人画なんて戯画を描いていたのが注目されることになったんだから、人生は分からないもんだよ。塞翁が馬の故事じゃないけどね」
「……なるほど。呪いを受けて悪いことばかりでもないと?」
「いや悪いことばっかだよあんなの百億パーセント必要ないよ。俺はたまたま絵が好きでそこそこの才能があったけど、そうじゃなきゃただの地獄だって。それが大事な十代から三十年続くとかないわ。今の成功は全部なしでいいからまともな状態で生きてきたかったよ」
自棄気味な口調で半笑いを浮かべて語るジョー伯父さんだが、目は完全に死んでいる。俺も呪いを受けた身だが、掛かっている時間と種類が違うから、きっと俺より何倍も何十倍も辛い思いを重ねてきたんだろう。
「伯父さん…………だからいい歳になってからキャバクラとかガールズバーとかにハマって、見合いも断って……」
「だって遊んできてないんだよ!? 絵以外の仕事もしてきたから金はあるし、家を継ぐのは弟に任せたし、もうやりたい放題やるしかないじゃないか!」
「じゃ、若い頃に恋愛の経験はないの?」
「ないなぁ……いい感じになった子はいたけど、顔を見たらとてもじゃないけどキスやその先にチャレンジする気力は湧かなかったし」
「それは物っっ凄く分かる……! だから俺も悩んでて」
「だろうね。あと恋人となると、流石に呪いのことを説明しなくちゃならないからね。信じて貰える可能性は低いと思っていたしなぁ」
「…………そっか、それもあるかー……やっぱ簡単じゃないなぁ」
話していて改めてハードルの高さを実感した。ハードルというか壁に近いか。
越えるか、ぶち壊すか。どちらにしても相当な覚悟とパワーが要りそうだ。
そもそも、本気で好きになっているのか分かんないしなぁ。ちゃんとした恋愛経験ないから判断がつかん。
問題の厄介さに途方に暮れていると、俺の頭を伯父さんの手がワシワシと撫でてきた。
「悩め悩め、伯父さんは出来なかった類の経験だ。結末はどうあれ、しっかり考えないと後悔が残るぞ」
「あー……まあ、うん、そうする。相談乗ってくれてありがと」
「いいってことさ。ま、役に立てたか微妙だけどね。いっそ呪いの解き方でも教えてやれたら良かったのに、こればっかりは誰も知らないからなぁ」
「はー……これもそれも饅頭太の呪いのせいか……」
とっくの昔に死んだはずのふざけた名前の男へのヘイトだけが増したところで、ドアの向こうから母親の「ご飯出来たわよー」の声が聞こえてきて、話は終了となった。
――まさかこの翌日に呪いを解くヒントが見つかるとは、 この時の俺は全く予期していなかった。
◇ ◆
期末テストが終わると、いよいよ夏の気配が濃くなる。
一学期はあと二週間ちょいで終わり、運動部は三年が次々と引退して受験ムードに死んだ目をし始め、気楽な一年二年は長期休暇を遊びに恋にバイトにと全力で青春を謳歌する助走段階に浮かれ始め……
そこに釘を刺す訳じゃないんだろうが、今日の午後はLHRの時間に体育館で全校集会があり、ゲストで警察関係者や教育関係者が来て、有り難くも退屈な話を聞かせてくれた。実に小一時間にわたって、だ。
「…………はー、かったるぅ……」